このインタビューはライブ配信にて収録しました。
建築家・名古屋市立大学 芸術工学部 助教
1987年 愛知県生まれ
2009年 名古屋市立大学卒業
2011年 名古屋市立大学大学院修了(久野紀光研究室)
2011年~2016年 アトリエ・天工人
2016年~ 名古屋市立大学 助教
2017年~ ボンドアーキテクツ 共同主催
2018年~ POSSE 共同主催
2018年~ 大同大学 非常勤講師
教職とビジネス。プロフェッサーアーキテクトを目指して
―まずは、寺嶋さんの現在のお仕事について教えてください。
2009年に名市大芸術工学部、2011年に同大学院を卒業、その後、建築事務所で勤務ののち、2016年に助教という立場で大学に戻ってきました。現在、建築系の学生の実習全般などを担当しています。
―それに加えて外部で設計のお仕事をしていますよね?
はい。事務所は構えていませんが、共同設計というかたちでプロジェクトごとにいろんな方と建築の仕事をしています。
―最近の仕事では、どういった実績がありますか?
例えばこちらの「ソノハウス」という中古マンションのリノベーションの仕事です。当時の芸工生になじみの美容師さんの自宅です。一つ下の芸工生の村越さんとの共同設計しました。
たくさんの独立した壁による計画です。マンションって家の中にも共用部があって、例えば窓です。リノベだと、共用部は増やしたりとかいじることができないんですね。でも窓のある部屋、ない部屋ができてしまうのが嫌で。住宅全体で既存の窓をシェアすることを考えました。空間の外側にぐるっと回遊できるスペースを設けることで、家全体を明るく、行き止まりがないようにしたというのがポイントの作品です。
また、住戸は7階の角部屋なんですが、家の中から周辺を見渡すと、近隣の建物が色々な高さの壁や床のように見えてきたんですね。そんな地上20mの都市の有り様を内部まで反映しようと試みました。住戸という枠を超えて、都市の中にある住まいとして周辺の環境と応答しながらデザインすることを意識しました。
―大学院を卒業して建築事務所への就職は、一般的な就職活動の道を通ったイメージですか?
いえ、いわゆる就職サイトに登録したこともないし、エントリーシートも書いたことがなくて。大学院の卒業直前の2月くらいにもまだ就職先が決まってなかったんですけど、東京のアトリエ(建築事務所)には行きたいと思っていたのでまず家を決めて。どこに行こう、というところで恩師の久野先生に紹介をいただきました。振り返ると、ゼミでの活動が就活のようなものになっていたのかもしれません。
―プロフェッサーアーキテクトを目指されているのは芸工の卒業生の中で特異だなと思います。大学とビジネス、いずれの道も選んだ理由はなぜですか?
大学にいながら設計をすることは学生の頃からいつかはと考えていて、タイミングが合った感じです。まだいわゆる博士号を持っていないので、プロフェッサーアーキテクトを目指している未熟者ですが。教職を取りながら設計をしたい理由に、建築を実際に作るアウトプットの行為だけでなくて、インプットしていく行為も同時にしていきたい思いがありまして。これは、恩師である名市大の久野先生の働き方にそのまま影響を受けています。
―助教の公募とはどのような選考をするものなんですか?
アトリエへの就職とそんなに変わらなくて。募集が出ていたら、ポートフォリオを送って。それで面接を受けて、結果が出る流れです。面接官は、学生時代に教わった教授陣がずらっと。
―卒業校という繋がりはあったかもしれないですが、何か採用基準はあるんですか?
自分でもはっきりはわからないですが、僕の勤めていた建築事務所はちょっと変わったところで。例えば一番最初にやった仕事は、自分で土を練ってレンガを作り、それを積み上げて家を作るといったものだったんです。材料や作り方に非常に造詣が深い建築家の事務所にいたんですね。そういった経験が評価されたかはわからないですが、得意なところがあったとすれば、そういうところだった気がします。
挫折感から熱中へ。建築の価値観を変えた出会い
―子どもの頃や学生時代の姿はどうでしたか?
愛知県の大府市の生まれなんですけど、大府市って今もずっと子どもが増え続けている街なんですよ。でも、僕が子ども時代はまだ小学校が少なく、片道40分くらいかけて通っていたので自然と体が鍛えられて、運動は得意でした。中学生くらいまでは部活で頑張っているタイプでバスケットボールをやってました。
高校に入ってから、音楽やってるような友達とかおしゃれな趣味の友達とかができてきて。それで色んなものを教わりました。僕、とっても影響受けやすいんですよね。
―それが建築やデザインを好きになるきっかけでもあったんですか?
いえ、小中学校時代、運動しつつ読書も趣味で。読んでいたのが松本人志や佐藤雅彦、糸井重里さんみたいな。ちょっと角度を変えた物事の見方をするような方の本が好きだったんです。
そういう嗜好から、芸工に進んだような気がします。
―大学に入った当時から建築を目指されていたんですか?
最初は漠然としていました。家具デザインもいいよなとか思ったり。ただ僕の代から1学年40人になって学科の名前も「生活環境デザイン学科」から「都市環境デザイン学科」に変わった時期で、それまでのようにプロダクトデザインと建築の両方を志せる感じでもなく、入学した段階から建築専門の講義を取る形なので、当時は流れで。
―建築に熱中し始めたのは、いつからなんでしょう?
僕、サボってたわけじゃないのにめちゃめちゃ成績悪かったんです。全然うまくいかないなと感じてました。今思えば、人と違うことをやりたいなと思うばかりで先生の言うことをあんまり聞いてなかった。
2年生の後期ぐらいに久野先生が芸工に赴任されたのがきっかけだった気がします。それまでは割と建築を作法として学んでいたと思うんですけど、久野先生は例えば、「なんで住宅は北側に寄せて南側に庭がなければいけないんだろう?」みたいなところから話が始まるんです。当たり前じゃんと思っていたことが、考えるべき対象になるんだ、みたいな。
―建築について原点から考え直すことを知ったら、なるほどとのめり込んでいったという感じなんですね。そのきっかけが久野先生だったと。
卒業後も変化し続ける、建築との向き合い方
―学生時代の作品もいただいています。「50坪ハウス」というものです。
これは4年生の卒業制作です。日本って戦後に住宅難があって、人口が爆発的に増えてからすごい小さく住んでいたんですよね。その小さく暮らすときの住宅のあり方として9坪ハウスというモデルがあるんです。しかし、日本がこの先人口が減少していくなら、改めて広く住むことにどんな可能性があるんだろうと考え、大きく暮らすモデルとして50坪ハウスという提案をしました。
―色んなバリエーションを提案していますよね。このページだと、墓の家、オフィスの家、路地の家、四季の家、みたいに。ライフスタイルごとに、様々な提案を当てたイメージですね。
当時は、空間の美しさとかよりも、建築の思考の仕方に興味があって。オフィスとかお墓は、ケーススタディーですね。
―学生時代の自分から見て、今の自分にギャップを感じますか?
当時は建築の思考や作り方ばかり興味があったんですけど、空間の形態とか美しさとかそういうものが欠けると、いくら面白い考えがあっても人に伝わらないから、そういった面も今は重視するようになったことですね。
―社会に出て、そういう感情を持つようになったんですか?
コンペには昔から出していましたが、イマイチ勝ちきれなくて。勝ち取っている相手に目を向けると、なんか話は普通でもすごくいい空間だな、みたいな経験があって。
―ギャップをそこに感じたんですね。大学から外に出るようになって、多く知るようになったと。
そうですね。いい吸収ができた時はめちゃめちゃ楽しいです。
学生に向けて。人や場所から得られるインプットを増やして
―現在の学生に向けて、いくつかお話を聞かせてください。大学で建築を懸命に学んできたと思うんですが、座学以外に、現在の仕事において役立っていることはありますか?
真面目な方だと、建築を見に行ったり、建築やそれ以外の本を山ほど読んで研究室のメンバーと議論して、みたいな自分の身体を伴うインプットがとても重要だったと思います。真面目じゃない方でいうと、学部生のうまくいっていない時期に同級生や後輩から教わった、ヒップホップとかのカルチャーですね。
―いずれも、人とのコミュニケーションから何かを得てきたのが寺嶋さんの特徴でもありますね。
―学生の頃の自分に向けて、「こうしておけば良かった」と伝えたいことはありますか?
インプット不足だったなということですね。やればやるほど痛感するのは、自分が得た経験の中からしかものが生み出せないんですね。もっともっとインプットしなきゃいけなかったなと。もっと海外の建築を見ておけば良かったとか。
―インプットが大事だということに気がついていれば、ということでもあるんですかね。
それもあると思います。学生時代はコンペとかに打ち込んでいたこともあったりしたので。でもあんまり勝てなくて。インプットとアプトプットの繰り返しをひたすらやるのって大事ですよね。
―私が学生の立場だったとして、行動を指南してほしく質問です。持て余した1000円札があったら何に使うべきでしょうか。晩メシを一回我慢するくらいのお金でできることなら気軽に実践できるかなと思い。
トリッキーな回答かもしれないですけど、同じ仲間10人で、5000円で建築書を買って残りでビールとか買い、本を前にずっと議論をする。やっぱり大学って重要で。何が重要かというと、高校までと違ってある程度、志向が同じ人間が集まっているわけですよ。一人で考えるよりも、それぞれが勉強して議論することで得られる体験は本当にリッチだと思います。
なるほど。お金で何かを買うというよりは、それでその周辺にいる人たちとの時間を作れと。それが一番価値あるよということですね。
卒業後に東京に出てからも、深夜0時とかに仕事終わってから後輩と安酒を買ってヒップホップを聞きながら4時くらいまで建築の話をしてましたよ。
―夜会える相手って大事ですよね。
芸術工学は、共感と意外性でできている
―最後の質問です。寺嶋さんにとって芸術工学とは何ですか。
「共感」と「意外性」の学問ですかね。工学が共感、芸術が意外性だな、という風に捉えているんですけど。芸術工学はそれが同居しているのかなと。
―奇しくも芸術工学を教える立場になって、指導でもその両立を重視されているんですか?
大学としてはまず共感の部分を教えないと、と思っています。どんなものにも作法とかがあるので。それを知った上で、自分の考えを乗せて欲しい。あと、口癖みたいに言っているのは、ダメ案をたくさん作れということです。ダメ案を100個作ることはたまたまできる良案を1作ることよりも価値が高いと思っています。
―学ぶ過程として、センセーショナルなもので驚かしてやるぜという思いだけでなく、ということですね。なるほど。
インタビューワ
竹内 優
8期生 視覚情報デザイン学科卒(横山研究室)
―インタビューの感想―
元々、建築学生は夢に向かって一直線なイメージ。とは言っても、キラキラした学生生活トーク、来るか!?とはやはりならず、それぞれなりに暗黒時代に必ず踏み込むものなのだなーと他分野の私は卒業して今さら知ったところ(お話中に言えませんでした)。闇を突き抜ける方法は人それぞれ、1つのヒントを提供いただく素敵なインタビューだったと思います。夜会える相手って大事ですよね。