デザイナー
一宮 しの
5期生 生活環境デザイン学科 平成15年度卒業
三上訓顯 研究室
―大学を卒業してからは何をされてましたか?
まず、卒業してからは建築デザイン事務所に1年いました。芸工で学んできたことと違い、格好良い格好悪いという、感性だけでプランが進んでしまうようなところだったので、違和感を感じて過ごしていました。でもここで鍛えていただいたお陰で、パースはとても魅力的に描けるようになりましたけどね。
その頃に三上研究室のOBOG現役生の集まりがあったんですけど伊藤先生(現在名古屋工業大学准教授、当時三上研博士後期課程在籍)がいらしていて、建築事務所のスタッフを探しているんだけどやらないか?と誘って下さって転職しました。あと伊藤先生のご紹介で、愛知産業大学の非常勤講師も一期だけしていました。
―転職先の建築事務所ではどういった仕事をされていましたか?
事務所の名前はTYPE A/Bというんですけど、建築・プロダクト・グラフィックなどのデザインだけでなく、企業や店舗のブランディングやプロデュースまでやる所で、グラフィックの文字組などの細かいところや、ブランディングを行う際のマーケティングなど、たくさんのことを学びました。もちろん建築設計もやっていて、店舗のデザインをする際は、ブランディングからグラフィックまで一貫してやっていました。それから他の事務所とコラボレーションして展覧会を行ったりもしていました。
事務所に入って2年目くらいからはただ教えられるというだけでなく伊藤先生と一緒に作っているな、という実感がありましたし、特に入社当初から関わっていた、店舗兼住宅のCad:coには物件探しから建築設計・ネーミングなど並々ならぬ思い入れがありますね。
―同時期に非常勤講師もされていたようですが、どういったことを教えていたのですか?
非常勤講師では、学生に建築のプレゼンテーション方法を教えていました。始めは、何を教えようかと悩んだんですけど、技術的なことはもう授業で学んでいて、そういったことは自分たちでやっていけば良いと思ったので、実習をブラッシュアップさせるための講義にしようと考えました。
自分のプランがいかに良いかをうまく説明できていない子がほとんどだったので、それをもう少し引き出してあげられるように、リサーチ方法や表現方法を教えました。例えば、コンセプトシートを作成することで考えを整理することや、パース1枚描くにしてもどこに人を描くのか、それ次第でパースが生きたりする。そういったことを教えていました。私の知っている知識の中で、学生さん一人一人の個性が出るように。あと、分からないから教えてもらってないから、できませんという人には、調べ方を教えたりしました。全てを教えるんじゃなくて、ヒントをあげる感じですね。
―自分自身の経験を生かした講義をされてますね。なかなかできない経験ですがどうでしたか?
非常勤講師って人前に立って話さなきゃいけないじゃないですか。私は小心者なんで、すごく緊張しました。数ヶ月前から入念に準備してたんですけど、3日前からご飯がのどを通らなかったり、時間を計って家でぶつぶつ話す練習もしてました。だんだんと慣れてきたんですが、もともと半期だけと決めてましたので継続の依頼は丁重にお断りしました。
この頃から海外の大学院に行きたくて、事務所をやめて3ヶ月ほど語学留学しました。このまま日本で毎日たった数時間英語の勉強のしたところで埒があかないと思って。丁度自分が担当していた住宅(Cad:co)が竣工して、タイミングが良かったのもあります。周りにはとめられましたけどね(笑)。
―留学にとても興味があるのですが、その時のことを詳しくお願いします。
留学先はフィリピンでした。ここは留学費用が安くて、1対1で家庭教師をしてくれる利点が有るんですよ。留学生の宿舎に、レベルや授業内容に応じて現地の先生が来てくれるんです。韓国では有名で、一度フィリピン留学で英語の勉強した後、欧米に留学するのが主流らしいです。
フィリピン留学の後、東京に出て派遣会社に入り、某有名ブランドへ派遣されました。英語の勉強をしながら仕事をしていたのですが、志望していたシンガポール国立大学の大学院試験に落ちてしまい…。これはお前日本で頑張れっていう天の声かなって思って(笑)、ここ日本で頑張ろうとなりました。
―大学院に落ちた後も派遣会社で働いていたのですか?
英語の勉強をするための時間が欲しかったから派遣会社で働いていたので、落ちた後はやめました。
その後貴金属やドッグオーナー向けの商品を取り扱う会社で働きつつ、ご縁があって始めた赤坂の店舗運営準備に奔走していました。その会社では、会社の立ち上げから関わっていたので、広報から雑用まで色々やりました。どういったものが売れるか、市場展開を考えるのも楽しかったですね。店舗の方は、イタリアンレストランの居抜の店舗がある状態から始まり、私と同い年のメンバー三人でターゲット層やテーマからお金の管理方法まで全部考えていました。香りをテーマにメニューとサービスを提供し、日替わり・時間割制で店舗を運営していく、という面白い試みだったと思うんですけど破談になっちゃいました(笑)。
―では現在は何をなさっているのですか?
今現在は、フリーランスのデザイナーとして始めたばかりです。
まだまだお金にならないに等しいけれど、絵本の装丁のお仕事や、マンションのリノベーション、シェアハウスの物件探しとリノベーションなんかのお話があります。それも旅先のインドで出会った方だったり、シェアハウス仲間から、といったご縁でお話をいただいてます。
最近は20代で起業している人たちや、面白い事やろう!というパワーのある人たちと出会うことが多いので、そんな人たちと一緒にコラボしながら楽しくやっていきたいですね。
―驚きました。様々なことを経験されていますね。
よく言われます(笑)。 生活環境デザイン学科に在籍してたので、周りから「建築以外もほんといろいろやるよね」と言われたけれど、私からしたら何も変わっていないと思います。モノとかコトとかを造り出して行くことに、なにをやるにも変わりはないと無いというか。形を、どういうものをつくるかが結果的に違うだけで、プロセスは変わらない。だから逆に、何が違うの?とも思います。ご縁があったもので面白いと思ったものはやりたい、って思っちゃうんですよね。ただ単にモノをデザインするというよりは、企画段階から入っていってストーリーを構築していくことの方に興味があるので、たくさんの人と関わりながら、その中で技術的に自分ができることをやっていければいいな、と思います。
それは芸工にいたからこそ、そう考えられるようになったんじゃないかな。様々な専門分野の先生たちがいて、学生がいて、やっていることや考えてることも違うのだけど、たくさんの人と一緒に過ごす事で、何をするのにも大した垣根はないんだって教えてもらった気がします。
卒業して8年経つけど、腹を割って話せるのは芸工の子たちだと思います。根本的な志が似てるからかな。同じ空気を持っていて、同じ環境で過ごせた人ってそうそういないですよ。苦楽を共にしてきたし、良い面も嫌な面も全部見せてきてますからね。芸工は本当に楽しかった。
今も芸工の子と一軒家をシェアしています。家族の次に気を使わなくていい子なんです。今はちょっと中断してますが、外国人の方の滞在先として家を提供したりしています。他にも友達や、友達の友達なんかも泊まりに来たりパーティーをやったりしてるので、毎日賑やかですし、また色んな人と考えを共有できて楽しいですよ。
―芸工の素晴らしいところを再認識しました。一宮さんにとって芸術工学とは何でしょうか?
『右脳と左脳、感性と論理、そのバランスを持つ力を養う。』
…という中途半端でかつ矛盾を帯びた言葉です。
でもこの中途半端で矛盾している感じがとても好きなんです。
わたしにとって芸術工学という言葉は、普段は頭の片隅に隠れていて、ひょんなことで飛び出して来る、一生のパートナーです。デザインをするときだけでなく、色んな分野内でも、二項対立するものを考えた時いつも思い出すのが芸術工学という言葉です。白黒はっきり決めなくてもいいじゃん、って思わせてくれる。
でもそれはただの言葉であって、難しく考える必要はなくて、目の前にいる人のために、愛情を持って自分に何ができるか真剣に考え行動することが大事ですよね。
―それでは最後に学生へメッセージをお願い致します。
大学時代は、たくさんの人と会話をすること、話を聞くこと、とりあえずやってみること、誘われたら断らないこと、なんかを頭に入れておけば良いのではないでしょうか。色んな人がいて、色んな意見を聞かされて、頭の中と感情が一緒にならないときってあると思うんですが、その中でふと身体に入ってくるものもあるはずだから、それを選んで行けば良いと思います。
色々経験して、中途半端で矛盾だらけの面白い人になってほしいですね(笑)。
(インタビュー:201)
インタビュアー
宮城真紀
13期生(平成20年度入学)都市環境デザイン学科 原田昌幸研究室
エクステリア業界に就職予定−インタビューの感想−
自分がやりたいと思うことを沢山経験されており、インタビューを始めてすぐに一宮さんのお話に惹き込まれました。
凄いなと感心すると同時に、とても羨ましいとも思いました。
記事にはしていませんが、いくつかの人生の相談にのっていただきありがとうございます。