デザイナー
東野 唯史
8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
三上訓顯 研究室
―芸工を卒業されてから今までのことをおしえてください。
卒業して2007年から株式会社博展に就職しました。展示会をメインに店舗やグラフィックなど様々なことができる会社でした。
博展を選んだ理由は、建築だけをやるよりも芸工のような環境で、幅広くやりたいと思っていたからです。グラフィックや空間、映像の人がいて、情報の集まる場所で、ベンチャーみたいなノリがあり、新人からバリバリやれるのが良いなと思って就職しました。その会社では、主に展示会のブース設計をしていました。どうやって目立たせようか、どうやって人を集め滞留させて営業しやすいようにもっていくかなどを考えていました。
2年9ヶ月勤めたあと、会社を辞めて、世界一周旅行に出かけました。その後は東京に戻ってきて、フリーのデザイナーとして仕事をしています。
―世界一周旅行はご自身のブログで綴られていますね。どのような旅行でしたか。
一昨年の12月に会社を辞めて、310日ほど旅行して、昨年、2010年12月に日本に戻ってきました。初めての海外だったので、最初は日本語が通じてご飯が美味しい台湾からスタートして。
その後は、中国、香港、マカオ、ベトナムからネパール・インドへ抜け、トルコからヨーロッパ諸国を回り、モロッコ、エジプト、イエメン、東アフリカを回り、アフリカ大陸縦断、南アフリカからアルゼンチンへ飛んで、中南米の国を巡り、最後はキューバから日本に帰ってきました。文字通り世界一周でした。
現地の学校のボランティアをしたりシャーマンの修行をしたりしながら、日本には無い価値観を沢山感じることができた旅行でした。費用は全部で150万円くらい、準備からあわせても180万円くらいでいけますよ。
―世界一周旅行に出かけるきっかけは何でしたか。
社会人になるときに海外やバックパッカーに興味を持って、「深夜特急」や「Design for the other 90%」という本を読んで、影響を受けたのがきっかけです。
社会人になってから旅に出る場合、会社を辞め独立する前ならまとまった時間がとれるだろうと思い、辞めるタイミングを見計らっていました。
―会社を辞める際に葛藤などありましたか。
会社では社員のデザイナー全員がコンペでの勝率を出していて、一人前の人が40%ぐらい。でも入社して2年半のとき、僕の勝率は物件にも恵まれて75%でした。そのとき、それまで働いた2年半とその後の2年半を想像して、このまま仕事していても、もう自分のデザイン的スキルと人間的スキルの伸びしろは、そんなに無いかもしれないと思いました。実績も作れるようもになってきていて、その頃の仕事が2009年にディスプレイデザイン奨励賞を受賞しました。
展示会の仕事ばかりしていても、あまり現状と変わらないだろう、違う情報を自分の中に入れないと面白くない。
もともと、逃げるような形では辞めたくなく、ちゃんと実績を作ってから辞めたいと思っていましたから、実績もあるし、このタイミングで自分のステップアップのために辞めました。
それから、展示会の設計を一生続ける気も無かったんですね。広告業界そのものに対してそんなに興味がなくなってしまって。そんなことできる人は僕以外にもいっぱいいますから。
―それで旅に出ることにされたのですね。お仕事中に心がけていたことはありますか。
「会社に期待をしないし、依存はしない」とずっと心に決めていました。もともとフリーでやりたい気持ちがあったので、いつ首が切られてもいいように心構えをし、仕事に臨んでいました。会社にしがみつくのではなくて、必要とされるぐらいのレベルで常にいられるように意識していましたね。
また、在学中に三上研究室の伊藤さん(現:名古屋工業大学准教授)に言われた、「社会人になったら馬鹿になるから気をつけろよ」という言葉が、社会人になって心に沁みました。会社の利益を上げるためのデザインと、大学のときに勉強していたデザインは全然違います。新人の時は仕事に追われて目先のことしか見えなくなってくる自分に気づいて、視野を広げられるように週末は必ず美術館などに行くように心がけていました。
―世界一周したあと、日本に帰ってきてからは何をされていたのですか。
戻ってきた直後は、転職するかフリーになるかまだ悩んでいましたが、結局いきたい会社もないので、やりたい方向を探したり勉強したり、いろんなとこに顔出したりしようかなと、フリーランスで働きはじめました。
業務内容は博展のときと変わらず、展示会やモデルルームのデザインをしたり、博展のころの先輩の仕事を手伝ったりしています。
フリーになってすぐに東日本大震災があって、何かしたいな、と考えるようになりました。フリーだし、地震で物件も止まっているので、ボランティアに行こうと思いました。仕事は回り始めたら帰ってこればいいやと思って。4月のはじめにap bankの一般参加ボランティアの第一期に参加して石巻に行って、その後、友人が立ち上げた青年東北支援隊に参加してGW明けまで石巻に入りました。
作業内容は瓦礫の撤去と泥だし。デザインではなく「人手」でした。作業をしつつ、団体のロゴを作ったりもしましたけど、とりあえず肉体労働をがんがんやりました。
今は仕事が忙しくて行けてないですが、仮設住宅に絵を描く企画の提案をしたり、全壊した建物を残して後世に伝えていく企画にも興味があって、今後も時間が作れたら行きたいと思っています。
―精力的に活動されているのですね。ではお仕事の今後の目標をおしえてください。
フリーとして食べてはいける、だけどそれだけでは満足できない。デザインもできるし、パースもやれるけれど、それだけでは面白くないというのが僕の考えです。
最近僕が良く考えているのは、「脱東京」と「脱デザイン」です。
僕は今東京で仕事をしているけれど、その理由は、デザインで稼いでいくには東京が一番手っ取り早いから。お金も集まるし、デザインに対するニーズも一番多い。名古屋や福岡で同じように働いていけるかというと、それは断言できません。ということは、東京という大都市の、デザインにかける広告費や消費の経済的な枠組みの中でないと生きていけない状態ということですよね。そうではなくて、ゆくゆくは田舎でもちゃんとデザイナーとして食べて行けるシステムができた方がいいなと思っています。僕は東京も好きだけれど、東京に依存して生活していくのは面白くない。
「脱デザイン」は、デザインを仕事としてやっているけれど、装飾的なデザインだけを頼まれる人にはなりたくはないという意味です。もっと根本のコミュニティのあり方から関わって行きたい。企画から携わって、その過程で必要となった時にデザインをしたい。今まで空間デザインやグラフィックデザインをしてきたので、そのマネジメントもできるし、必要な部分で働いていきたいです。
—その目標には何かきっかけがあるのですか。
山崎亮さんというデザイナーの本を読んで、コミュニティデザインに興味をもつようになりました。
この方は地元の人とじっくり時間をかけて町の復興の流れをデザインされています。一時期だけ人を集める仕掛けではなくて、デザイナーが町を去ってもずっと人が集まるように、町の人たちが継続して活動できるようにしている。今はこの方のような働き方で食べて行けたらいいなと思っています。
たぶん、そういう部分に興味があるのは、学生の時、川崎先生の一番最初の授業で、「お前らは日本のデザイン界を背負っていくんだ。デザインでもっと世の中を良くすることができる。」と言われたことが大きいですね。そのときの衝撃が今も残っています。僕の思っているデザインは、世間一般の人の言うデザインとは違います。もっと広い意味でのデザインをしたいのです。
もうひとつ、学生時代で心に残っているのは、芸工の伊藤先生からもらった一言でした。広小路を活性化させるための提案をプレゼンテーションした際に、「東野は設計とかは全然だめだけど、こういう提案はいけるからプロデューサーになればいいよ」と。これはとても嬉しかったです。
僕は卒業制作で、チルドレンズミュージアムという建物の設計をしました。
名古屋の小学校の多くが公園と隣接しているので、その場所を使って地域ぐるみで子ども達の教育ができる持ち運び可能なユニットを作る。そのユニットを栄の街中に持ち出して、ワークショップや展示をしたら楽しいだろうな、という提案でした。
今、やろうとしていることも、卒業制作でやりたかったことも、根本はあまり変わらないのかもしれませんね。
—学生時代から考え方を貫かれていますよね。東野さんにとって芸術工学とは何ですか。
ひとことで言えば、デザイン。でもこの学部で言うデザインは、世の中で言われているデザインではなく、もっと広義なデザインです。
いろんな学問を勉強して結びつけて形にするのも芸術工学、いろんな分野の人をマネジメントして、そこから何かの役に立つように導いて行くのも芸術工学。要するに、ひとつに偏らないこと。芸術工学の良さは、いろんなことに興味を持てるし、いろんなことが吸収できるし、いろんな人と話ができることだと思うのです。
芸大美大の人たちは絵の勉強をすごく力を入れてやってきているけど、芸工はそうじゃない。その中でデザインするならば、自分たちでないとできないことを考えて行けばいいと思います。
僕は芸工のような、芸術の分野の人とも、それ以外の分野の人とも歩み寄れる「中途半端」なポジションがとてもいいと思っています。芸工には幅広い分野の先生がいるから、こんな世界があるんだなっていろいろ覗き見れるでしょう。興味を持つ取っ掛かりにもなりますよね。
学生の時、三上先生に、建築家とかグラフィックデザイナーとかいろんな人と仕事をするようになると、対等に話をするために、相手のレベルまでその分野もやっておかなきゃいけないって言われました。そうすると、ひとつの視点から見えていた物が別の視点からさらに改良して行けるようにもなります。川崎先生がデザインをする時、内側の基盤まで考えて無駄の無いデザインをするように。それこそが芸術工学だと思っています。
―最後に学生に向けてメッセージをいただけますか。
形を作ったり、デザインを考えたりするのはトレーニングすればどうにでもなります。極端に言えばCGも図面も書けないまま卒業しても全然なんとかなりますよ。もっと言うなら、生きていくだけならばどうにだってなります。去年一年間世界一周して、出会った旅行者はみんな無職でした。でもみんな日本で職がある多くの人よりも幸せに生きているからね。
CGや図面のスキルを身につけることに時間を割くくらいなら、もっといろんなものを見て、いろんな人と話して吸収するほうがよっぽど有意義な大学生活だと僕は思う。スキルをつけるだけなら専門学校へ行けばいいし、そういうことを学んだ人がやればいい。
そういうスキルの部分は、社会人になってからも伸びると思っています。でもその土台はそうではない。大学の特性や置かれている環境で土台がつくられて、その後は伸びない部分がある。そしてそこは社会人になっても皆が揃うことは無いのです。
たまに、大学の勉強が役に立たないって言う人がいるけれど、そんな馬鹿な話はないですよ。めちゃくちゃ勉強になりますよ。ものの考え方はどの分野にも応用が効きますから。
みんなには大学にいるときのメリットを生かして欲しいと思います。大学生という立場、芸術工学を学んでいる立場、名市大生という立場。名古屋に住んでいることも含め、そういうことを駆使すれば他の大学よりもずっと動きやすいことが、いっぱいあるのではないでしょうか。
先日、世界一周旅行の写真展がゲストハウスtoco.にて行われました。
その写真などがたっぷり掲載されている、世界一周のことを綴られたブログ -ヒトリマワリヒトリタビ-(http://azutrip.blog101.fc2.com/)
フリーをされてからのことを綴られているブログ aiUeO(http://t-azuno.com/)
とても読みごたえがあります。ボランティアや旅に興味のある学生は是非ご覧ください。
また、旅に興味のある学生には助言してくださるそうです。是非、連絡をされてみてはいかがでしょうか。
インタビュワー
竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科 藤井尚子研究室―インタビューの感想―
学生のときもフリーをされるようになってからも、変わらず貫かれている志を感じることができて刺激的なインタビューでした。
また、インタビュー中も会場を通りかかる人から、よく声を掛けられているお姿や、世界一周時のエピソードや今の活動について語るときのとても笑顔が素敵で、東野さんの心の広さや、コミュニケーションをデザインしたいと仰っていた部分を垣間見れた気がします。会社に依存せず、自分を常に高めようとされている姿勢は私も身につけられるようになりたいと感じました。
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