Vol11. 2010年12月 青木 亮作さん 芸術工学部3期生


プロダクトデザイン

青木 亮作

大学院芸術工学研究科 平成15年卒業
川崎 和男 研究室

—今までのお仕事について教えて下さい。

大学でプロダクトデザインを学んだ後、オリンパスに入社しました。
最初の年は内視鏡や顕微鏡を作るチームに、2年目からはコンシューマー機器のチームでICレコーダーやカメラなどの製品デザインをし、3年目に全く新しい部署の立ち上げメンバーになりました。

そこでは、すでに決まっている企画を形にするのではなくて、提案したいものがあったら自分でスケジュールを立てて見積もりを取って上司を通し、プロジェクトを動かしていくことができました。プロダクトだけでなくUIを含んだ実働プロトタイプを作成して、説明書、箱、Web、販売戦略など包括的に提案するのが仕事です。

こう言うと、日本の会社によくある、商品につながらない研究部署のように聞こえるかもしれませんが、結果的には、1年後のヒット商品につながる提案を行えていました。
そのときの仕事は、もう最高に楽しかったです。
一方で、オリンパスの環境が自分には小さいと感じるようになって、ソニーに転職することにしました。

—ソニーではどのようなお仕事をされましたか。

バイオチームという部署に所属して、パソコンとその周辺機器のデザインをしました。ここでは、オリンパスでやっていたように最初から包括的に提案をするのではなく、プロダクトデザイナーとして徹底的に外観形状について考えることになりました。

今思えば当たり前ですけど、ソニーのように大規模な会社は役割分担が徹底しているのです。デザインの話でちょっと極端に例えると、GUIはGUIチームで決める。プロダクトはプロダクトチーム、パッケージはパッケージチームで決める、というように。細部を徹底的に考える方法が学べた事は、大変ありがたかったのですが、より包括的な仕事するために大きな会社へ転職したつもりだったので、想像とはまったく逆だったんですね。 一方、オリンパスで立ち上げた部署は、実働メンバーが3人しかいなかった。だから、メンバーの一人ひとりがいくつかの役割を兼ねる必要があるし仕事のやり方を自分で考えて作っていけたんです。

大企業式役割分担の仕組みだからできる質の高い製品もあるでしょう。でも、僕にとっては役割分担よりも包括的なやり方の方が楽しめるし、良い結果も出しやすい。ソニーでは細部を徹底的に考え抜くための大変恵まれた環境がある反面、包括的な能力を発揮する機会が少ない。
それがもどかしく感じて、半年前に辞めることにしたんです。

—ソニーを辞めて独立された、ということでしょうか。

独立っていう言葉の印象とはちょっと違うと思います。確かに、大企業っていう組織は抜けました。でも、それは別の集団に移っただけで、自分に合ったコミュニティに転職したような感覚です。企業に属さず立派な仕事をしている人はたくさんいて、そういう人の集まったコミュニティが周りには多くあるんです。だから、そっちの方が自分にはプラスになると思ったんですよね。

この半年の仕事内容としては、家電メーカーのプロダクトやUI、海外のショッピングセンターのモニュメントの仕事をしたりしました。それから最近は、本を作ってほしいという変わった依頼もありましたね。

—本の制作ですか。オリンパスやソニーでは扱わないような製品ですね。

本といっても、編集、デザイン、印刷、製本、全部一人で手作りするスペシャルなものなんですけどね。 例えば、あるイベントの展示内容と催し物の雰囲気を伝える為に、巨大で分厚い豪華本をつくりました。記録のためだけでなく次回のスポンサーを集めるためにも使える、ということで喜んでもらえました。

実はオリンパスのときにも、自主的に手作り本は作っていたんです。実働プロトタイプをはじめとする様々なアイテムを作った後に、その提案の持つ哲学や世界観をきっちり伝えるコンセプトブックを作って、提案に賛同する仲間を増やす為のきびだんご的な目的に使ってました。誰に頼まれた訳でもなく始めた事が、こんな形で仕事になったんです。

—どのようにして、本の制作の依頼が来るようになりましたか。

「夫婦2人で企画した新しい結婚式を本にまとめました。」

実は、自分の結婚式で相当面白いことをやりまして、せっかくなんでポートフォリオにしたんですよ。いわゆる夫婦の幸せ自慢アルバムにならないように注意して、新しい結婚式のノウハウ本にしたんです。
これを人に見せたところ大好評で、雑誌にも特集されました。その結果、イベントを本にして欲しいという話が来るようになったんです。

―新しい結婚式は、どのようなものでしたか。

結婚式のロゴマーク。案内状や引出物などのグッズもオリジナルのものを制作。

具体例をごく一部だけ話すと、告知のためにマークを作ったんですけど、結婚式が10月10日なので「10」と「10」が縦に並んでいるマークなんです。これを横にすると夫婦が並んでご飯を食べている図になるんです。
他にも、ケーキを食べさせあうのではなく、両家の思い出のおかずを食べるファーストバイトや、シャンパンで乾杯ではなく、参加者百人で茶碗を持って一斉に「いただきます」をしたりしました。

―青木さんの哲学が反映されているのですね。

この結婚式では、徹底的に全ての儀式を見直して、僕たちにとって本来あるべき形に置き換えました。
僕は昔から、見た目のデザインとか、デザイナーっていう肩書きを胡散臭く感じていたんですが、この体験の中で、あ、これこそがデザインだ。これをデザインと呼ばないなら、もうデザインはやりたくないな、って思ったんです。

—以前から形を作るだけは足りない、と感じられていたのですね。なぜでしょうか。

takramという会社がありますよね。彼らは当然のようにデザインをするんですけど、それだけじゃなくて機械の設計、ソフトウェアの設計、それから回路も作って実装までしちゃうんですよ。しかも極めて少人数で。つまり、デザインとプラスなんなの、ってことなんです。
4年前に彼らと仕事をする機会があって、僕の技術が一つしかないことに気付いて絶望しました。
色々考えたあげく、肩書きや経験値、上手下手に関係なく、自分がやるべきと思った事は何でもやろうと思ったんです。
その時から、プロダクトだけにとどまらない包括的な提案やモノづくり、さらに雰囲気や哲学を伝える本づくりなどを行うようになりました。

—これからどのような仕事をしていきたいですか。

プロダクトデザインをしていると言いつつ、あんまり決め込まずにやっていきたいな、と思っています。例えばプロダクトデザインだと、形状という結果だけが、手に取れるモノになるんです。でも本だったら、たとえ「結果が出なかった」っていう事でも、物語としてモノに変換できるおもしろみがありますよね。
とは言っても、形を作るのはものすごく好きなんですよ。そういう能力も使いつつ、総合的に考えていきたいんです。

―進路を考えている芸工生にアドバイスをいただけますか。

「デザイナーになりたい」とよく言いますけど「デザイナー君」なんて人はいなくて、実際にはデザインで飯を食ってる 、一人一人別の人がいるだけなんですよね。
だから「デザイナーになるためにはこれをやりなさい」なんて話は聞いてもしょうがないし、信じちゃいけないと思います。それよりも今の自分ができることを全部やるってことが大事。そうすれば、今はまだ呼び名がないような新しい仕事だって作り出せるかもしれません。

—では最後に、青木さんにとって芸術工学とは何ですか。

「ただの言葉じゃよ。」バガボンドの柳生石舟斎の言葉ですけどね。
言葉を定義することはそんなに大事ではないと思うんです。
そこにいる誰が何をしているか、さらに、私には何ができるだろうかと考える方が大事なんです。集団じゃなくて、その中の“人”が何かをしているっていうことを忘れずに学部名や職業名にこだわらず、目の前のことを全力でやっていきたいですね。

インタビュアー

内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定

-インタビューの感想-
記事には書ききれませんでしたが、インタビューの中で「思考停止ワード」についてもお話しいただきました。デザイン、クリエイティブ、学校、日本人というように集団や肩書などでひとくくり考えると、人が何かをしているというもっと大事なことを見逃してしまうということです。
今後たくさんの人と関わりながら深く考えることで、自分の思考停止ワードに気付いて減らしていきたいと思います。


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