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Vol12. 2011年3月 食堂のおばちゃん
和田静子
食堂のおばちゃん
今回のクロストークインタビューは、「食堂のおばちゃん」こと和田静子さんです。
1月30日に食堂で働いていた先輩方に集まっていただき、おばちゃんを囲んで座談会を行いました。
参加していただいた先輩は、
松河剛司さん(6期生)、長谷川麻衣さん(6期生)、田中揚子さん(8期生)、濱口皓太さん(9期生)、井村旭宏さん(9期生)です。
今年度いっぱいで食堂を引退されるおばちゃんから芸工生へのメッセージをお伺いしました。
―おばちゃんはここにいつから勤めていらっしゃるんですか
芸工のキャンパスが名古屋市立女子短期大学だった頃から働いています。だから40年くらいになるでしょうか。
女子短大の初めの頃は売店だけで厨房は無くて、パンとアイスクリームを売っていました。そのころは食堂の二階は全部部室で、テニスや茶道、ギターマンドリンなどがあって賑やかだった。店を閉めるときに声を掛けると二階から学生さんがアイスクリームを買いに降りてくるから、なかなか閉められないってこともありました。テニス部は食堂の外のガラスを鏡代わりに素振りをしていたし、毎日合唱部の発声練習の声が聞こえていましたよ。食堂にあるピアノはそのときのものなの。
―そんなに長く勤められているんですね。芸工ができた当初から芸工を見ていらっしゃったと思うのですが、1期生の頃と今とでは食堂に変化がありますか。
1期生の頃は今ある芸工の建物もまだ無くて、みんなが集まれる場所も無かったからね、授業が無い学生さんはいつも食堂で集まってテレビを見たりしていましたよ。その頃は生徒も少なかったですし、みんな顔を覚えていますよ。授業の後に「おばちゃん、何か残っていない?」って食堂に来た学生さんに食事を出したり、お弁当を作ってあげたこともありました。今みたいに生協だとできませんけど、当時はわたしが個人でやっていましたから。
―おばちゃんは本当に、学生にも、食堂にも愛情をもってお仕事されていますよね。
わたしはこの店に凄く愛着があるんです。カウンターひとつでも傷つけちゃいけないなって思って使っています。学校のものなんですけどね、自分のうちのお勝手以上に大切に使っているつもりです。
食堂に新しく入った人も若い人ばかりだし、よく働いてくださっている。こんなに綺麗にしてもらえたし、みなさんもこれからも食堂を利用してくださいね。
―学生を注意したり叱ったりすることもありますか?
「プレゼンするときにはきちんと身だしなみを整えなさいよ」と言ったりします。芸工ではプレゼンして人の前でしゃべることも勉強のひとつでしょう。これから社会に出て行くんだから、そういったこともしっかりできるようになるといいですよね。
それから芸工は時間にルーズな学生さんもいるでしょう。でも時間を守ることや約束を守ることは、一番大事。時間を守れない人はやっぱり約束も守れない。そういうことは食堂のアルバイトの学生さんにはしっかり注意しますよ。
―おばちゃんはお母さん的視点で指導されていますよね。その他に芸工生にアドバイスはありますか
普段そんなに4年生と1年生が話をする機会は無いけれど、例えば食堂のアルバイトしている学生さんは各学年にいたから手伝いをしていると先輩の姿も見るし、話を聞く機会があるでしょう。それはとてもプラスになることだと思います。だから、私はいつも「先輩のお手伝いをさせてもらいなよ」と言っています。
勉強のことも先輩に聞いて、教えてもらったらいい。お手伝いさせてもらうと、目で勉強させてもらえますから。たとえば建築系の模型作りでも、お手伝いをすると、先輩のいろんなものを見せてもらえますよね。周りの人をいっぱい見て比較して、それだけで勉強になるじゃない。ああこうやって作るんだなとか。
お手伝いしたら、先輩と繋がることもできるし、いいことばかりですよ。
―40年間もずっとここで仕事を続けてこられましたよね。長く続けられる秘訣ってあるんですか。
わたしの旦那が亡くなったときも、食堂に来ました。その日ぐらい休めばいいのにって周りの人に言われましたけれど、わたしがいなかったら、学生さんたちがご飯を食べられない。学生さんのことを思うとどうしても休めない。そういった気持ちで毎日来ていました。
最近も足の親指が腫れて痛くて、息子に「食堂休んで病院行って来なよ」って言われても、雪の日に「転んだら危ないから休みなさい」って言われても、仕事に来ました。40年休まずに食堂に来ていたのに、あと少しのところで休んでどうなるのって。
―どうしてそんなに生徒のために尽くしてくださるんでしょうか
「情けは人のためならず」って言葉があるじゃない。食堂のバイトの学生さんにはいつも良く覚えておきなさいって言うんですが、人のために情けをかけると、その場では返ってこなくてもいつか自分に戻ってくるから、って。
わたしも芸工の子が卒業して活躍しているのをみると嬉しいし、どこかで会うといつものように「おばちゃん」って声を掛けてくれて、自然と「いってくるね」「いってらっしゃい」ってやり取りができることが、すごく嬉しい。そういうことがみんなにしてあげたことの、ご褒美みたいなものだと思っています。
―芸工生はおばちゃんにとても感謝していますよ。
最近、学生さんから手紙を頂いたんです。「おうちに帰って読んでね、おばちゃん」って言って。わたしは申し訳ないことにその子の名前も知らなかったんだけど、その手紙には「寒い日にパンを買おうとしたら、おばちゃんが今日は寒いから味噌汁を飲んだほうがいいよって言ってくれた」とか、今までどういうことをしてくれてありがとうって、いっぱい書いてあったんです。わたしが何気なくやっていたことが、こんな風に思われていたんだなって、食堂のバイトでもない学生さんから、そういうふうに言ってもらえて、ほんとに涙が出るほど嬉しかった。
―そんなことがあったのですね。最後に芸工生に伝えたいことはありますか。
このあいだも、私が食堂に立つ最後の日にたくさんの方が来てくださって、ほんとにほんとに嬉しかったです。食堂をがんばってきて良かったなと思いました。わたしは学生さんや先生方、事務の人、みんなに生かされて、40年休まずにここまでこれたと思っています。
今でも卒業生が電話や手紙で、展示会のお知らせや受賞の連絡をくれたりするんです。また、学生さんと触れ合えたことももちろんですが、芸工の学生さんたちから建築や芸術などにも触れ合えて、自分の感性にも影響してもらえたって思っています。それは他の職場ではできないこと。わたしはほんとにみんなのおかげで幸せなお仕事をさせてもらえたなって、思っています。ほんとにみんなありがとう。
これからも、皆さんの健康とご活躍をお祈りしていますよ。
食堂のおばちゃんお疲れさま会のお知らせ
月日:2011年4月24日(日)
場所:芸術工学部北千種キャンパス
●川崎和男名誉教授による記念講演会
16:00~ (15:30 開場)
図書館上大講堂
●食堂のおばちゃんお疲れさま会
18:00~ (記念講演会終了後、受付開始)
アセンブリーホール(食堂)
詳細はこちらから(同窓会のサイトが開きます)どうぞふるってご参加ください。
インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科―インタビューの感想―
記事には書ききれないほど沢山、おばちゃんの芸工生への愛情を感じるエピソードを聞くことができて、とても楽しいインタビューでした。
この学部ができた当初から、おばちゃんは芸工のお母さん的存在で、芸工の変化も見守られてきていることが伝わってきました。
おばちゃんの愛してくださっている芸工の空気を受け継いで、これからも大切にしていきたいと思います。
Vol7. 2010年6月 久冨 伸彦さん 芸術工学部8期生
Webデザイナー
チームラボ 株式会社久冨伸彦
8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
瀬口哲夫 研究室
―どのようなお仕事をされていらっしゃるんですか?
主にWebのデザインとHTMLのコーディングをしていますが、企画の段階から入ることもあり、基本的にやりたいと言えば何でもやらせてもらえますね。
検索サイトやコーポレートサイトを作ったりしていて、Webを作るときは企業の方からいろんな要望を聞いて、それにこちらから提案をしながら話を詰めていって最終的にモノに落とし込んでいきます。最近だとTwitterを使った企画の相談がありました。
プロジェクトごとにチームのメンバーを総入れ替えするので、デザイン職以外の席はそんなに固定されていなくて、毎回移動します。なので、いろんな人と一緒に仕事ができて面白いですね。
Web制作の他、依頼される仕事とは別に映像などのアート作品を作ったり、時計や机を作ったり。
めちゃくちゃ自由な発想でモノを制作できる会社だと思います。
―自由な環境で仕事をされているのですね。
どのような学生生活を送られていたのですか?
今はWebデザインをやってますけど、学生のときは建築を専攻していました。
でも大学2年くらいのとき、このまま建築に行って良いのかなって
漠然と不安になって、そこで建築を一回やめたんですね。
直感で、別の分野に行った方が絶対後悔しない気がして。
当時は今よりも違う専攻の課題が取りやすかったので、
映像とかさまざまなことをやりつつ模索していました。
また、昔から写真が趣味で、
いろんな人の写真サイトを見て自分でも作ってみたり。
日常的に学校でも友達とかを撮っていました。
他にはフットサルをしていました。
夕方から夜までやって、終わるとみんなで飲みに行って。
それで朝起きられなくて、授業にあまり出られず、
卒業制作着手の必要単位がギリギリでした(笑)。
フットサルで先輩後輩のつながりは強かったですね。
あと建築専攻は先輩の模型作りを手伝ったり、
逆に自分の時は後輩に手伝ってもらったりしていて、
そういうつながりで、今でも連絡を取ったり遊んだりする人が結構いて。
今考えるとよかったなと思います。
―学校でのつながりっていいですね。
では就職活動の話を聞かせてもらえますか?
やりたいことが無い学生だったので、デザイン以外の仕事も考えましたが、でもそれは絶対俺は楽しくないと思い、業種は絞らずにデザイナー職を受けました。
でも、いろんな面接や説明会に行ってもどこも全然グッとこないなと。そんなときに今の会社の説明会に来て、なんか面白いと思ったんです。まず面接をしてくれた人たちに圧倒されました。脳をフル回転しないと受け答えできない状況になったのが久々で、面接が終わった後は爽快でした。あと年齢がそんなに離れてない女性が創業者で、それもすごいと思い、面接2回目でここにしようって。最終面接後すぐに、他の面接中の会社に電話して、まだ内定も出てないのに「もう決まった」って言ってました(笑)。それくらいチームラボに来たかったんです。
だけど、Webデザイナーを希望してるのにHTMLの知識やスキルがなくて、
結局チームラボは最終面接で落ちたんです。
でも、結果のメールに、スキルアップしたら採用しますって雰囲気のコメントがあったので
それにすがろうと、「がんばります」って返信しました。
課題を出されて独学でWeb言語を学び、できた課題を提出、
結果を待っていたら次の課題を出される。それを数回繰り返しました。
4年の時は忙しくて、その課題と卒業研究の他に、単位の関係で授業にも出ていて。
年が明けた頃はさすがに卒業制作が間に合わないので、
1度提出を待ってもらって、卒業制作に集中し、その後課題を出しました。
それが2月末で、実はまだ就職も卒業も決まってなかったんです(笑)。
卒業旅行から帰ってきたら結果のメールが届いていて、採用ってあって、よっしゃーっって(笑)。
―課題を出し続けた努力が実ったんですね。
これからどのようなことをやりたいと考られていますか?
いいものを作って世界を良くしたいというのが根本にあって、Webだけにこだわるつもりはないです。
でもチームラボに来て4年目で、Webでまだまだ勉強することがあるし、
面白いものを作れる可能性を感じています。
現実世界とWebの連携をやってみたいですね。
前に携帯やWebからのアクションで、表参道の照明の色や動きが変わる
「表参道アカリウム」というライティングイベントがあって。
そういったWebだけにとどまらないものを面白いなぁと昔から思っています。
一つのサービスができるだけで、大分世界が変わると思うんです。
例えば不動産がもっと簡単に探せる方法ができて、引越しがすごい便利になるかも知れない。
いろんな可能性があると思うから、今までに無い仕組みを作っていけたらなと思います。
―やりがいがある目標ですね。
デザイン情報だと、都市環境の就職について分からないのですが、
建築系での進路は決まっているのですか?
決まったルートとかはなくてその人次第。このままだとマズイって、早く気づけた人は、インターンに行ったりどこかのデザイン事務所でバイトしたりしていました。そうやっていろんなところを経験した上で自分の道を決めるような人はいいけど、中にはあるときにピタッと止まって迷う人もいる。だから、自分でいろんな事をやりつつ見つけなきゃいけない。
自分の場合は今はWebをやってるけど、建築の課題で培った考え方とかって、建築から外れても全然生きると思っています。思考のプロセスって、基本的に一緒だから。プレゼンは限られた時間内に簡潔に伝えるのがすごい大事で、それは分野が違っても同じ。そういうのはやってる当時は分からなくても後々気づくと思います。
―それでは久冨さんにとって芸術工学とは?
僕もデザインを狭い視野で考えていたときがありました。でも、いろんな先生の授業やレポートで見た目だけではなく、いろんな仕組みやシステムもデザインだって、すごい幅の広いものだと思えるようになりましたね。
働き始めてからは、映像の見せ方もサービスの仕組みを
議論をしてるときもデザインかもしれないって思っています。
芸術工学やデザインは世の中をよくする手段の一つで、
いろんな切り口で自由に考えられる可能性を持っていると思います。
芸術工学で学んだことって結構今でも生かせていて、学ぶことで考える力も身に付き、
いろんな事に気付けるタイミングが増えるので、世の中よくする一つの近道のような気もしていますね。
―インタビューの感想―
とても自由度の高い職場で様々なことに取り組めるのだなと感じました。
アプローチは何でもいいから、とにかくいいものを作りたいという姿勢に共感しました。
Vol4. 2010年3月 遠藤 頌太さん 芸術工学部8期生
農業ベンチャー 食品安全マーケター※
株式会社M-easy遠藤頌太
8期生 視覚情報デザイン学科 平成18年度卒業
大学院芸術工学研究科 平成20年度卒業
森島 紘 研究室※専門的な知識を有し、消費者に安全を届ける職業。
※安全な商品を流通させるためのマーケティング企画立案従事者
-どんな仕事をされているのですか?
M-easyという常滑で無農薬・無化学肥料にこだわった農業をしている会社で働いています。
会社名は「Making the Earth Alive SYnergy」の頭文字を取ったもので「相乗的に地球を良くしていこう」みたいな意味です。
小さい会社なので事業計画や店舗設計などほぼ全てのことに関わるんですけど、僕の仕事は野菜の販売に特化した「やさい安心くらぶLLP(有限責任事業組合)」事業の活動がメインです。
-入社1年目で会社の全てのことに関わるなんてすごいですね。
その「やさい安心くらぶLLP」での仕事を具体的に教えていただけますか?
簡単に言えば、野菜の移動販売をやってるんですが、自社で作っている野菜だけでなく、自家用野菜に着目したのがポイントです。
常滑周辺ではたくさんの人が畑を持っていて、多くの方が自家用に野菜などを作っているんです。そういった野菜は自分たちが食べるから無農薬か最低限の農薬で済ませるので、市場の野菜より安心・安全。
その野菜を集めて、我々の考えに賛同して下さる名古屋の飲食店やお花屋さんの土地をお借りして販売する。販売場所を名古屋にしたのは、都心部に行くほど安全な野菜が手に入りにくくなり、消費者のニーズが増えるからです。
仕事の目標が二つありまして、一つはいかに安全な野菜で消費者に健康を届けるか。
もう一つは農業を経済的にどうやって自立させるか。
-作り手が食べている野菜なら確かに安心ですね。
では、その二つの目標について詳しく教えて下さい。
まず安全な野菜についてですが、我々の野菜を買いに来られる方の中には、持病をお持ちの方や、アレルギー体質の方がたくさんいらっしゃいます。
そうした安全を求めて買いにきて下さる方を裏切らないように、今の我々の技術では無農薬栽培が難しい野菜も、「全部無農薬にするぞ」って農家さんと気持ちを一つにしてやっています。
そして豊田市旭町の限界集落では、11人の若者が定住して完全無農薬・無化学肥料の自社製野菜の栽培に取り組んでいます。そこはきれいな清水の流れる山奥の秘境で、若者たちはお寺で共同生活を送っています。
究極の目標として健康な野菜を届けて病気を治すとか、予防医療とかを目指してます。実際に予防医学に力をそそいでいらっしゃる医師と協力して年に一回セミナーを開いたりしています。
農業の経済的な自立を目標にするのは、農業の問題を解決するには後に続く世代が出てこないといけないから。
農業の平均年収は100万円くらいなのですが、それを上げて就職活動の選択肢に農業が普通に出てくるくらいまでにしたいです。まずは自分達が成功事例を作ることで、憧れや夢を持った世代が出てくると思うんです。
-安全な野菜作りは、豊田市にも出来た生産チームに期待が持てますね。
そして農業の経済的な自立には、
農業は儲からないという固定観念を無くすことが重要なのですね。
では解決すべき農業の問題とはなんでしょうか?
僕の実家も兼業農家なんですけど、親の世代は外に働きに出て農業をしているのはまだ祖父母という現状があり、今の課題は祖父母から孫の世代への代継ぎ。でも孫も大半が反発する。そうすると、土地を受け渡せず、耕作放棄になったり、限界集落になっていったりする。
生産側の利益が少ないことも問題です。
例えば愛媛のみかん農家は、みかん一個の卸値が1~3円くらいと聞きます。
卸から小売までの中間経費がすごいかかるので、ほんとに生活できないような値段で取引しているんです。
大手小売に力があるので、小売が値段を下げたら、圧迫されていって生産農家が一番打撃を受ける。我々の会社は中間経費を全部取っ払うために、物流コストはかかるんですけど、自分たちで農家さんのところまで取りに行って、売る。利益配分は売り上げに対して我々と農家さんとで50:50なんですよ。他の会社には無いビジネスモデルです。
-生産者と対等な立場で取引をするビジネスモデルなんですね。
本当にやりたい事に向かっていらっしゃるように見えます遠藤さんですが、
学生時代に悩みはなかったんですか?
今でこそ自分の目標がありますけど、自分は何をすべきなんだろうってずっと思ってました。学部の時は興味のあった環境デザインをテーマにパッケージやグラフィックをやっていたんですけど、自分の中でしっくり落とし込んでる感覚がなかったんです。
なので、もうちょっと考えてみようと大学院に進学して、トリノ工科大学に留学もしました。でも、どんだけもがいてみても、結局しっくりこなかったんです。
そんな時、農業へシフトしていくきっかけが森島先生のアドバイスだったんですよ。修士研究のテーマが決まらず相談したりして、ある時自分の身内話になりまして。
自分の家の農業の後継者問題とかのお話をしたら、「お前、なんでそれやらないんだ」って(笑)。
今だから分かったんですけど、僕は長男で農業の跡継ぎ問題が小さい頃からあったんです。
でも、自分の可能性が断たれるのが嫌で、常にそこから離れるような行動を取ってきた。
それで最終的にはトリノまで行った。
結局何も見つからなかったけど、一旦離れてみると自分っていうのが見えたんですよね。
やっぱり実家の農業のことが常に頭の中をチラつく。
こんなにも気になるんだったら、一回腹決めてやってみようと思いました。
なんとなくとんとん拍子に進んでいったのはそれからですね。
-なにをするか迷われていたなんて、情熱的に仕事を
なさっている遠藤さんからは想像がつかないです。
今の会社にはどうやって就職されたんですか?
農業をテーマに研究を始めたころは、農業の話題が旬で、新聞記事に今の会社が載っていたんです。
それでコンタクトを取ってお会いし話をしたときに、これって自分がやりたいことの一つの具体例かなって思ったんですよ。
卒業後も気になっていたので、また連絡を取るようになり、そのうちにやっぱりやりたいことに近いなと思いまして。「やさい安心くらぶLLP」という販売事業が始まって間もない頃だったので、自分のやりたいことが出来るんじゃないかなとも思って、迷わず飛び込みました。
-すごい行動力ですよね。
その姿勢が、M-easyとの出会いを導いたんですね。
今だから言える大事なことはなんですか?
人と会うことを大事にしてください。
何かを成し得ようと一人で長時間かけて努力したことが、
実は人に聞けばたった一分で分かるってことがざらにあるんですよね。
人の力を借りてやればいいから、いかに怖がらずに会ったり吸収しようって思うか。
人に助けられて生きているって感じるし、大学の時の恩師 森島先生、
そういった存在が無ければ今の僕は無かった。
いろんな人に聞いたり意見を言ったりして、進むことってあると思う。
僕も何やりたいか分からなかったけど、見つけようともがき続けたのは確か。
興味を持った人に会いに行ったり、行動したから、結果がよくなってきたっていう感じです。
家で悩んでても、絶対に見つからへん。
神様って見捨てへんもんでね、自分の一番大切な部分を思い切って差し出すでしょ。
すると絶対それに応えてくれる。不思議ですよね、誰かに引っ張られてるような感じ。
すごく抽象的に言うなら、運命(笑)。
-素敵ですね。
勇気を出して行動することで、やっと自分らしい景色が見えてくるんですね。
最後に遠藤さんにとって芸術工学とはなんですか?
大学で一番何が養われたかというと、自分の場合は課題解決力だったりバランス力だったりだと思うんです。たとえ専門外の事であっても、ある程度物事を理解してしまえば、芸術工学という学問がどんな分野にでも活かせると思うし、芸工生として社会に通用する実感があります。
今の仕事でいえば、農業を農業の力だけで何とかしようって思っているのではなくて、医学や栄養学、情報を農業と結びつけることで一つの新しい価値にしようとしてるところ。今まで個別だったもの同士を結んだら相乗効果があるんじゃないって感性は、芸術工学のとても良い所じゃないかな。
インタビュアー:稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
何かを成し遂げたいと思う、夢の力は偉大だと感じました。
自分の立ち位置が分かって、そこから物事を眺められるような大人に、早く仲間入りしたいです。











