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Vol11. 2010年12月 青木 亮作さん 芸術工学部3期生
プロダクトデザイン
青木 亮作
大学院芸術工学研究科 平成15年卒業
川崎 和男 研究室
—今までのお仕事について教えて下さい。
大学でプロダクトデザインを学んだ後、オリンパスに入社しました。
最初の年は内視鏡や顕微鏡を作るチームに、2年目からはコンシューマー機器のチームでICレコーダーやカメラなどの製品デザインをし、3年目に全く新しい部署の立ち上げメンバーになりました。
そこでは、すでに決まっている企画を形にするのではなくて、提案したいものがあったら自分でスケジュールを立てて見積もりを取って上司を通し、プロジェクトを動かしていくことができました。プロダクトだけでなくUIを含んだ実働プロトタイプを作成して、説明書、箱、Web、販売戦略など包括的に提案するのが仕事です。
こう言うと、日本の会社によくある、商品につながらない研究部署のように聞こえるかもしれませんが、結果的には、1年後のヒット商品につながる提案を行えていました。
そのときの仕事は、もう最高に楽しかったです。
一方で、オリンパスの環境が自分には小さいと感じるようになって、ソニーに転職することにしました。
—ソニーではどのようなお仕事をされましたか。
バイオチームという部署に所属して、パソコンとその周辺機器のデザインをしました。ここでは、オリンパスでやっていたように最初から包括的に提案をするのではなく、プロダクトデザイナーとして徹底的に外観形状について考えることになりました。
今思えば当たり前ですけど、ソニーのように大規模な会社は役割分担が徹底しているのです。デザインの話でちょっと極端に例えると、GUIはGUIチームで決める。プロダクトはプロダクトチーム、パッケージはパッケージチームで決める、というように。細部を徹底的に考える方法が学べた事は、大変ありがたかったのですが、より包括的な仕事するために大きな会社へ転職したつもりだったので、想像とはまったく逆だったんですね。 一方、オリンパスで立ち上げた部署は、実働メンバーが3人しかいなかった。だから、メンバーの一人ひとりがいくつかの役割を兼ねる必要があるし仕事のやり方を自分で考えて作っていけたんです。
大企業式役割分担の仕組みだからできる質の高い製品もあるでしょう。でも、僕にとっては役割分担よりも包括的なやり方の方が楽しめるし、良い結果も出しやすい。ソニーでは細部を徹底的に考え抜くための大変恵まれた環境がある反面、包括的な能力を発揮する機会が少ない。
それがもどかしく感じて、半年前に辞めることにしたんです。
—ソニーを辞めて独立された、ということでしょうか。
独立っていう言葉の印象とはちょっと違うと思います。確かに、大企業っていう組織は抜けました。でも、それは別の集団に移っただけで、自分に合ったコミュニティに転職したような感覚です。企業に属さず立派な仕事をしている人はたくさんいて、そういう人の集まったコミュニティが周りには多くあるんです。だから、そっちの方が自分にはプラスになると思ったんですよね。
この半年の仕事内容としては、家電メーカーのプロダクトやUI、海外のショッピングセンターのモニュメントの仕事をしたりしました。それから最近は、本を作ってほしいという変わった依頼もありましたね。
—本の制作ですか。オリンパスやソニーでは扱わないような製品ですね。
本といっても、編集、デザイン、印刷、製本、全部一人で手作りするスペシャルなものなんですけどね。 例えば、あるイベントの展示内容と催し物の雰囲気を伝える為に、巨大で分厚い豪華本をつくりました。記録のためだけでなく次回のスポンサーを集めるためにも使える、ということで喜んでもらえました。
実はオリンパスのときにも、自主的に手作り本は作っていたんです。実働プロトタイプをはじめとする様々なアイテムを作った後に、その提案の持つ哲学や世界観をきっちり伝えるコンセプトブックを作って、提案に賛同する仲間を増やす為のきびだんご的な目的に使ってました。誰に頼まれた訳でもなく始めた事が、こんな形で仕事になったんです。
—どのようにして、本の制作の依頼が来るようになりましたか。
実は、自分の結婚式で相当面白いことをやりまして、せっかくなんでポートフォリオにしたんですよ。いわゆる夫婦の幸せ自慢アルバムにならないように注意して、新しい結婚式のノウハウ本にしたんです。
これを人に見せたところ大好評で、雑誌にも特集されました。その結果、イベントを本にして欲しいという話が来るようになったんです。
―新しい結婚式は、どのようなものでしたか。
具体例をごく一部だけ話すと、告知のためにマークを作ったんですけど、結婚式が10月10日なので「10」と「10」が縦に並んでいるマークなんです。これを横にすると夫婦が並んでご飯を食べている図になるんです。
他にも、ケーキを食べさせあうのではなく、両家の思い出のおかずを食べるファーストバイトや、シャンパンで乾杯ではなく、参加者百人で茶碗を持って一斉に「いただきます」をしたりしました。
―青木さんの哲学が反映されているのですね。
この結婚式では、徹底的に全ての儀式を見直して、僕たちにとって本来あるべき形に置き換えました。
僕は昔から、見た目のデザインとか、デザイナーっていう肩書きを胡散臭く感じていたんですが、この体験の中で、あ、これこそがデザインだ。これをデザインと呼ばないなら、もうデザインはやりたくないな、って思ったんです。
—以前から形を作るだけは足りない、と感じられていたのですね。
なぜでしょうか。
takramという会社がありますよね。彼らは当然のようにデザインをするんですけど、それだけじゃなくて機械の設計、ソフトウェアの設計、それから回路も作って実装までしちゃうんですよ。しかも極めて少人数で。つまり、デザインとプラスなんなの、ってことなんです。
4年前に彼らと仕事をする機会があって、僕の技術が一つしかないことに気付いて絶望しました。
色々考えたあげく、肩書きや経験値、上手下手に関係なく、自分がやるべきと思った事は何でもやろうと思ったんです。
その時から、プロダクトだけにとどまらない包括的な提案やモノづくり、さらに雰囲気や哲学を伝える本づくりなどを行うようになりました。
—これからどのような仕事をしていきたいですか。
プロダクトデザインをしていると言いつつ、あんまり決め込まずにやっていきたいな、と思っています。例えばプロダクトデザインだと、形状という結果だけが、手に取れるモノになるんです。でも本だったら、たとえ「結果が出なかった」っていう事でも、物語としてモノに変換できるおもしろみがありますよね。
とは言っても、形を作るのはものすごく好きなんですよ。そういう能力も使いつつ、総合的に考えていきたいんです。
―進路を考えている芸工生にアドバイスをいただけますか。
「デザイナーになりたい」とよく言いますけど「デザイナー君」なんて人はいなくて、実際にはデザインで飯を食ってる 、一人一人別の人がいるだけなんですよね。
だから「デザイナーになるためにはこれをやりなさい」なんて話は聞いてもしょうがないし、信じちゃいけないと思います。それよりも今の自分ができることを全部やるってことが大事。そうすれば、今はまだ呼び名がないような新しい仕事だって作り出せるかもしれません。
—では最後に、青木さんにとって芸術工学とは何ですか。
「ただの言葉じゃよ。」バガボンドの柳生石舟斎の言葉ですけどね。
言葉を定義することはそんなに大事ではないと思うんです。
そこにいる誰が何をしているか、さらに、私には何ができるだろうかと考える方が大事なんです。集団じゃなくて、その中の“人”が何かをしているっていうことを忘れずに学部名や職業名にこだわらず、目の前のことを全力でやっていきたいですね。
インタビュアー 内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定-インタビューの感想-
記事には書ききれませんでしたが、インタビューの中で「思考停止ワード」についてもお話しいただきました。デザイン、クリエイティブ、学校、日本人というように集団や肩書などでひとくくり考えると、人が何かをしているというもっと大事なことを見逃してしまうということです。
今後たくさんの人と関わりながら深く考えることで、自分の思考停止ワードに気付いて減らしていきたいと思います。
Vol5. 2010年5月 小川 直茂さん 芸術工学部1期生
岐阜市立女子短期大学 講師
小川 直茂さん
1期生 視覚情報デザイン学科 平成11年度卒業
大学院芸術工学研究科博士前期課程 平成13年度修了
—講師になるまでの流れを教えてください。
2002年に名古屋市立大学大学院博士前期課程修了後、中日新聞社の編集局デザイン課で新聞紙面におけるデザイン制作に携わりました。約5年の勤務を経て同社を退職後、大阪大学大学院に入学し、2009年4月から岐阜市立女子短期大学生活デザイン学科で教員として働いています。
科目としては、主にグラフィックデザイン系の演習や「色彩学」、「基礎造形」などを担当しています。基礎造形では烏口とアクリルガッシュを使って線や面、幾何形態などを描く課題を出します。芸工で言うとデザインストロークのようなものですね。一見単純なトレーニングですが、意外とデザインの資質が見えるんです。まっすぐかすれずに線をひけるか、はみ出さずに色を塗れるか、というのはセンスや才能以前に、課題に取り組む姿勢の問題。しかし、実はそれが馬鹿にできません。この課題に丁寧に取り組める学生は、実践的なデザイン課題においてもきちんとした成果を仕上げてくる。逆に雑な作品ばかり作っている学生は、その後自分の専門分野の課題に取り組む際にも、今一歩デザインが突き詰められないようにみえます。デザインでは、才能のあるなしに関わらず、まずきちんと丁寧に仕事に取り組むことで相当高い水準に到達できるはずで、センスや才能はその先にあるのではないでしょうか。
—中日新聞社の仕事はどのようなことをされていましたか?
また、もう一度学生に戻ろうと思った理由はなんですか?
中日新聞社の編集局デザイン課は、元々は「図案課」という名前で、
記者の依頼に合わせて地図やグラフなどの視覚的な部品を制作する部署でした。
そのため、たとえば新聞紙面全体のデザイン性といった統括的な視点での発言ができるとは
なかなか言いがたい立場にありました。
僕自身は「デザインは部品をつくるためのものではない」という考えを持っていましたから、
編集局に対して、新聞づくりにおけるデザインの有効性やデザインの総合力を説き、
社内でのデザインに対する意識を高めるように努めました。
その後、紙面で連載される時評の挿絵を3年ほど担当したのですが、その仕事をきっかけとして、
紙面全体のレイアウト等についてもデザイン面での意見を出していけるようになりました。
芸術工学部を卒業した人間の責務として、デザインの先端領域のみならず、
これまでデザインにさほど強い認識を示してこなかった業界に対して、
デザインの可能性を具体的に示すことが挙げられると僕は考えています。
情報を視覚的に表現し、読者に分かりやすくデザインするという
中日新聞社の仕事はとてもやり甲斐のあるものでしたが、
一方で新聞という枠組みを超えた取り組みにはなかなかチャレンジできませんでした。
デザインでやれることがまだ他にもあるのではないか、その見識を広げるために
再度勉強したいと思い、新聞社を退職して大阪大学大学院に入学しました。
—デザインに関する意識改革が必要な分野は多くあるのでしょうね。
学生時代に興味のあった分野、専門は何ですか?
特定の分野に的を絞って他分野に関心を示さないのは芸術工学部の理念にそぐわないと考えていたので、色々な分野をまんべんなくつまみ食いすることを意識的に行っていました。ただ、どうも器用貧乏になりそうでしたので、しっかりとした芯が必要だと感じ、名市大の大学院では川崎先生の研究室で2年間じっくりと勉強させていただきました。
僕が在籍していた当時の芸術工学部のカリキュラムですが、1年次に絵画や彫刻などを通して基礎能力を修得し、2年次と3年次の前期まではグラフィック・映像・情報工学・建築・都市景観など様々な分野の講義や課題に取り組みました。最終的に専門分野を決定したのが3年次の後期終了後。このタイミングはさすがに少々遅かったようで、就職活動の際にも、
専門的な知識や技術についてのトレーニング不足が課題として浮上してきました。
今では2年次から専門分野を決めて集中的に取り組める形になったようですね。
これは確かに良い面もあるのですが、逆にもったいないと思うこともあります。
一分野に特化して学習する環境が確立してしまうと、時折、芸術工学部が本来備えている
「器の広さ」を有効に活用できない事態が発生してしまう。
芸術工学部には多くの専門分野を横断的に学べる環境があるのだから、
周りに目を向けて、芯を持ちつつ積極的に幅を広げていってもよいと思います。
とはいえ、専門性と総合性の両方を身につけられる「完璧なカリキュラム」をシステムとして
構築することは難しいので、理想の実現には学生の
自主的かつ積極的な取り組みが欠かせないでしょうね。
―芯があり幅広いっていいですね。
小川さんは多くのことを学ばれていますよね。
その中でも特にやりたいデザインとは何ですか?
学生時代はとにかく色んなことをやりました。
現在、特に興味を持って取り組んでいるのはコミュニケーションデザインです。
何をデザインするにしても、モノと人との間に発生する対話や、
モノを通じて人と人との間に発生する対話を無視することはできません。
その対話、つまりコミュニケーションをいかにデザインするかについて
研究と制作の両面から考えていきたいです。
大阪大学大学院では、川崎先生が「いのちと向き合うデザイン」をテーマに掲げており、
僕自身もその場で先生が取り組む複数のデザイン研究プロジェクトに関わりました。
そこで得た経験と、川崎先生が提唱された理念が、今の僕の活動の規範になっています。
たとえば医療の現場において、不透明な情報や分かりにくい情報があることにより、
医療全般に対して怖さや不安を感じることがありますが、それを緩和して解消するために、
デザインで何ができるのかを考え、提案していきたいと思っています。
—ホームページを拝見したのですが、
小川さんは多くの作品を制作されていますよね。
また、コンペにもよく出されているようですが?
コンペは、自分の得意・不得意な部分を確認したり、プレゼンのスキルを向上させたり、
実践的な能力を高めることができるので、学生達には積極的に応募するように言っています。
やるたびに力がつきます。そのうち、ただ与えられたテーマについて考えるのではなく、
なぜそのテーマを設定したのかといった背景や社会的状況までも深く考察しながら
戦略的にデザインすることができるようになります。
この経験は、応募作品のクオリティ云々以上に、
将来デザイナーとして社会に出て仕事をする際にも非常に大事だと思うんです。
単に言われた要求に応えるだけではなく、なぜそのデザインが必要なのか、
そのデザインによって何を実現し、どんな未来を拓くのか、
というところまで考えを突き詰めなければ、良いものにはなりませんから。
—深く考えるということが重要なのですね。
就職活動の際、ポートフォリオをどのように作っていけばよいですか?
名市大は、これまでの先生方のご指導の甲斐あって「コンセプトに強い大学」という評価を頂けていると思います。ですので、まずコンセプトの部分は外さないことですね。課題に対して何を問題と捉え、どう解決へと導いたか、それらを系統立てて整理し、短く明快な言葉で分かりやすく示すことが大切です。毎年、芸工の卒業制作展を拝見していますが、とにかく制作内容を一通り書き上げることに執心してしまって、見やすさにまで意識が向いてない人も時々見かけられます。
「どう伝えるか」という能力は、まだ伸ばす余地があるかな、と思います。
ポートフォリオに関して言えば、全般的に学生は情報を詰め込む傾向にあるので、
もっと思い切って構成に余裕を持たせたり、ページをめくることで読む人の意識を変えるなど、読まれ方のデザインにも配慮すると良いですね。
一度、作品の説明に必要な諸要素を徹底的に解体してみると、
詰め込み型とは別のまとめ方が見えてくるように思います。
—社会人になられたうえで、学生のうちにやっておくべきことは何ですか?
無茶をすることですね。失敗することを恐れないでほしい。
むしろ失敗すればするほど自分の身になると思ったほうが良いです。
岐阜で1年間、教育活動に従事してきましたが、
今の学生達はすぐに正解を聞きたがるし、
すごく効率的に答えにたどり着こうとするように感じます。
失敗や回り道を「ただの時間の無駄」だと考えている節があるんです。
まず自分で考えなさい、実際にやってみなさいと言っていますが、なかなか直らないですね。
頭や手を使わずに聞きかじっただけの情報は、価値としては希薄で、
せいぜいその場を切り抜けるぐらいの役にしか立ちません。
それに比べて、何らかの失敗を実際に経験して「なぜ失敗したのか」を身をもって理解できれば、
その経験を発展的に応用して別の事例に対応することも出来る訳です。
そういう意味で、たくさん失敗してください。
また、周りと積極的に触れ合い、刺激し合うことも大切です。
大学は、自分とは異なる考え方や価値観を持つ友達や、経験豊かな先生方から、
色々な情報を引き出して自分の中に取り込める環境なんですね。
一度聞いたこと、知ったことは、一時忘れることはあっても決して消えてなくならない。
いつか自分にとって必要になった時にパッと出てきて、
「あ、あの時こういうことがあった」となるものです。
とにかく学生時代は、周りからたくさん吸収し、たくさん失敗し、
体当たりで自分を成長させていくことが大切です。
—芸術工学としてのデザインとはなんですか?
一つの視点にとらわれず、総合性を備えたモノづくりへの取り組みだと思っています。
初代学部長である柳澤先生が、僕達一期生に対して「芸術と工学は、
その成り立ちもスタンスも大きく異なる。
芸術工学部が目指すのは芸術と工学の融合ではなく、調和である。
そのハーモニーによって生まれる新たな未来に期待したい」とおっしゃっていました。
自分が学んだ様々な分野の知識や経験、それらが混ざり合うことなく、
各々の個性を保ちながらも調和し合い、化学反応を起こしていくこと。
それが、芸術工学としてのデザイン、つまり『総合デザイナー』なのではないかと考えています。
そして、目指すところは、やはり人間の社会や生活を真の意味で豊かにすること。
デザインは、理想をただの言葉でなく、モノやコトといった具体的なかたちで
示すことができる仕事です。
芸術工学部で学んだ身として、そういったデザインの可能性を次世代の学生達に少しでも
伝えることができれば、という思いで、今の仕事に取り組んでいます。
インタビューワ 山下 咲衣子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
プロダクトデザイン志望―インタビューの感想―
一期生の当時のお話は、とても興味深く楽しかったです。
基礎造形は本当に大切だと感じました。作業をする際に気をつけていきたいです。
Vol4. 2010年3月 遠藤 頌太さん 芸術工学部8期生
農業ベンチャー 食品安全マーケター※
株式会社M-easy遠藤頌太
8期生 視覚情報デザイン学科 平成18年度卒業
大学院芸術工学研究科 平成20年度卒業
森島 紘 研究室※専門的な知識を有し、消費者に安全を届ける職業。
※安全な商品を流通させるためのマーケティング企画立案従事者
-どんな仕事をされているのですか?
M-easyという常滑で無農薬・無化学肥料にこだわった農業をしている会社で働いています。
会社名は「Making the Earth Alive SYnergy」の頭文字を取ったもので「相乗的に地球を良くしていこう」みたいな意味です。
小さい会社なので事業計画や店舗設計などほぼ全てのことに関わるんですけど、僕の仕事は野菜の販売に特化した「やさい安心くらぶLLP(有限責任事業組合)」事業の活動がメインです。
-入社1年目で会社の全てのことに関わるなんてすごいですね。
その「やさい安心くらぶLLP」での仕事を具体的に教えていただけますか?
簡単に言えば、野菜の移動販売をやってるんですが、自社で作っている野菜だけでなく、自家用野菜に着目したのがポイントです。
常滑周辺ではたくさんの人が畑を持っていて、多くの方が自家用に野菜などを作っているんです。そういった野菜は自分たちが食べるから無農薬か最低限の農薬で済ませるので、市場の野菜より安心・安全。
その野菜を集めて、我々の考えに賛同して下さる名古屋の飲食店やお花屋さんの土地をお借りして販売する。販売場所を名古屋にしたのは、都心部に行くほど安全な野菜が手に入りにくくなり、消費者のニーズが増えるからです。
仕事の目標が二つありまして、一つはいかに安全な野菜で消費者に健康を届けるか。
もう一つは農業を経済的にどうやって自立させるか。
-作り手が食べている野菜なら確かに安心ですね。
では、その二つの目標について詳しく教えて下さい。
まず安全な野菜についてですが、我々の野菜を買いに来られる方の中には、持病をお持ちの方や、アレルギー体質の方がたくさんいらっしゃいます。
そうした安全を求めて買いにきて下さる方を裏切らないように、今の我々の技術では無農薬栽培が難しい野菜も、「全部無農薬にするぞ」って農家さんと気持ちを一つにしてやっています。
そして豊田市旭町の限界集落では、11人の若者が定住して完全無農薬・無化学肥料の自社製野菜の栽培に取り組んでいます。そこはきれいな清水の流れる山奥の秘境で、若者たちはお寺で共同生活を送っています。
究極の目標として健康な野菜を届けて病気を治すとか、予防医療とかを目指してます。実際に予防医学に力をそそいでいらっしゃる医師と協力して年に一回セミナーを開いたりしています。
農業の経済的な自立を目標にするのは、農業の問題を解決するには後に続く世代が出てこないといけないから。
農業の平均年収は100万円くらいなのですが、それを上げて就職活動の選択肢に農業が普通に出てくるくらいまでにしたいです。まずは自分達が成功事例を作ることで、憧れや夢を持った世代が出てくると思うんです。
-安全な野菜作りは、豊田市にも出来た生産チームに期待が持てますね。
そして農業の経済的な自立には、
農業は儲からないという固定観念を無くすことが重要なのですね。
では解決すべき農業の問題とはなんでしょうか?
僕の実家も兼業農家なんですけど、親の世代は外に働きに出て農業をしているのはまだ祖父母という現状があり、今の課題は祖父母から孫の世代への代継ぎ。でも孫も大半が反発する。そうすると、土地を受け渡せず、耕作放棄になったり、限界集落になっていったりする。
生産側の利益が少ないことも問題です。
例えば愛媛のみかん農家は、みかん一個の卸値が1~3円くらいと聞きます。
卸から小売までの中間経費がすごいかかるので、ほんとに生活できないような値段で取引しているんです。
大手小売に力があるので、小売が値段を下げたら、圧迫されていって生産農家が一番打撃を受ける。我々の会社は中間経費を全部取っ払うために、物流コストはかかるんですけど、自分たちで農家さんのところまで取りに行って、売る。利益配分は売り上げに対して我々と農家さんとで50:50なんですよ。他の会社には無いビジネスモデルです。
-生産者と対等な立場で取引をするビジネスモデルなんですね。
本当にやりたい事に向かっていらっしゃるように見えます遠藤さんですが、
学生時代に悩みはなかったんですか?
今でこそ自分の目標がありますけど、自分は何をすべきなんだろうってずっと思ってました。学部の時は興味のあった環境デザインをテーマにパッケージやグラフィックをやっていたんですけど、自分の中でしっくり落とし込んでる感覚がなかったんです。
なので、もうちょっと考えてみようと大学院に進学して、トリノ工科大学に留学もしました。でも、どんだけもがいてみても、結局しっくりこなかったんです。
そんな時、農業へシフトしていくきっかけが森島先生のアドバイスだったんですよ。修士研究のテーマが決まらず相談したりして、ある時自分の身内話になりまして。
自分の家の農業の後継者問題とかのお話をしたら、「お前、なんでそれやらないんだ」って(笑)。
今だから分かったんですけど、僕は長男で農業の跡継ぎ問題が小さい頃からあったんです。
でも、自分の可能性が断たれるのが嫌で、常にそこから離れるような行動を取ってきた。
それで最終的にはトリノまで行った。
結局何も見つからなかったけど、一旦離れてみると自分っていうのが見えたんですよね。
やっぱり実家の農業のことが常に頭の中をチラつく。
こんなにも気になるんだったら、一回腹決めてやってみようと思いました。
なんとなくとんとん拍子に進んでいったのはそれからですね。
-なにをするか迷われていたなんて、情熱的に仕事を
なさっている遠藤さんからは想像がつかないです。
今の会社にはどうやって就職されたんですか?
農業をテーマに研究を始めたころは、農業の話題が旬で、新聞記事に今の会社が載っていたんです。
それでコンタクトを取ってお会いし話をしたときに、これって自分がやりたいことの一つの具体例かなって思ったんですよ。
卒業後も気になっていたので、また連絡を取るようになり、そのうちにやっぱりやりたいことに近いなと思いまして。「やさい安心くらぶLLP」という販売事業が始まって間もない頃だったので、自分のやりたいことが出来るんじゃないかなとも思って、迷わず飛び込みました。
-すごい行動力ですよね。
その姿勢が、M-easyとの出会いを導いたんですね。
今だから言える大事なことはなんですか?
人と会うことを大事にしてください。
何かを成し得ようと一人で長時間かけて努力したことが、
実は人に聞けばたった一分で分かるってことがざらにあるんですよね。
人の力を借りてやればいいから、いかに怖がらずに会ったり吸収しようって思うか。
人に助けられて生きているって感じるし、大学の時の恩師 森島先生、
そういった存在が無ければ今の僕は無かった。
いろんな人に聞いたり意見を言ったりして、進むことってあると思う。
僕も何やりたいか分からなかったけど、見つけようともがき続けたのは確か。
興味を持った人に会いに行ったり、行動したから、結果がよくなってきたっていう感じです。
家で悩んでても、絶対に見つからへん。
神様って見捨てへんもんでね、自分の一番大切な部分を思い切って差し出すでしょ。
すると絶対それに応えてくれる。不思議ですよね、誰かに引っ張られてるような感じ。
すごく抽象的に言うなら、運命(笑)。
-素敵ですね。
勇気を出して行動することで、やっと自分らしい景色が見えてくるんですね。
最後に遠藤さんにとって芸術工学とはなんですか?
大学で一番何が養われたかというと、自分の場合は課題解決力だったりバランス力だったりだと思うんです。たとえ専門外の事であっても、ある程度物事を理解してしまえば、芸術工学という学問がどんな分野にでも活かせると思うし、芸工生として社会に通用する実感があります。
今の仕事でいえば、農業を農業の力だけで何とかしようって思っているのではなくて、医学や栄養学、情報を農業と結びつけることで一つの新しい価値にしようとしてるところ。今まで個別だったもの同士を結んだら相乗効果があるんじゃないって感性は、芸術工学のとても良い所じゃないかな。
インタビュアー:稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
何かを成し遂げたいと思う、夢の力は偉大だと感じました。
自分の立ち位置が分かって、そこから物事を眺められるような大人に、早く仲間入りしたいです。











