タグ ‘クロストーク’ 一覧
ワークショップ「あそびのつくりかた」写真レポート-3月19日(土)20日(日)開催
子供と大人で「あそびをつくる」ワークショップ、「あそびのつくりかた」が3月19日(土)20日(日)の2日間にわたり開催されました。岡田憲一さん冷水久仁江さん2人のゲスト、そして芸工卒業生である青木亮作さん斉川義則さん野口大輔さん3人の講師をお招きし、当日は約30名の受講生と約11組の親子が参加する、総勢50数名という大きなワークショップとなりました。
1.オリエンテーション
まず、講師の青木さんから「workshopという言葉の持つ意味」と「今回のworkshopの目的」について、受講生に向けたオリエンテーションをしていただきました。

「何を作るか決められていない場所」である工房(workshop)にて、「子どもが笑う知恵をみんなでシェアしよう」という目標のもと、どうやって知恵を見つけ出し、遊びを作り出すのか。そのヒントとなりました。
また、そこで青木さんは「スポーツのようなものづくり」の提案をし、普段授業にて頭でアイデアを練る受講生の私たちに「身体でアイデアを出し試作をする」ことを伝えました。
2.チーム別ディスカッション
次に講師を中心とした3つのグループに分かれ、子供の頃に楽しかった「あそび」のエピソードを思い出し紹介し合う、簡単なディスカッションを行いました。「あそび」における「オモシロ成分」の分析をすることで「あそびづくり」のキッカケをつくるとともに、頭と緊張がほぐれました。
3.あそびをつくる①
午後からは実際に子供たちに登場していただき、実践を行いました。


予想をはるかに上回る子供たちのパワーに圧倒され翻弄されつつも、あの手この手と趣向を凝らして「あそぶ」受講生の姿がそこにはありました。時間が経つに連れ子供たちも慣れてきたようで、自分からあそびを提案する子もみられ、確かな手応えを感じました。
4.作戦会議(おやつタイム)

ひとまず休憩ということで親子の皆さんにはおやつを満喫していただき、その隙に受講生たちは作戦会議。

ここではsus4の野村さんによる、最終成果物であるアプリのシステム解説と編集方法のアドバイス講義も行われました。身体と頭脳のフル回転で、受講生たちは若干お疲れのご様子。
5.あそびをつくる②

後半戦は、部屋を真っ暗にしてからのスタート。前半とは環境がうって変わり、明かりも材料も制限された状態でどのように子供たちを喜ばせるのかがポイントでした。

前半のようにスムーズにはいかないものの、暗いことを活かしての「光」や「音」を用いてのアイデアが次々と登場し、なかなか面白い発想だったのではないかと思います。
6.まとめ(1日目)

後半戦も無事終了して親子の皆さんを見送った後、1日目最後のディスカッションが開かれました。どんな「あそび」をつくり、どんな「面白さ」があったのかを思い出しながらカードに描き出し分類していきます。

みんな「子供疲れ」でクタクタにもかかわらず、笑顔を絶やすこと無く作業を進め、一段落ついたところで解散しました。おつかれさまです。
7.オカダケンイチさんによるプレゼンテーション

2日目はゲストのオカダケンイチさんによるプレゼンテーションからの始まりでした。いくつかの作品の解説や、そこにいたるまでのプロセスの紹介など、自分の経験体験談を交えての面白く不思議で貴重なお話をしていただきました。

個人的には「自分の周りを食いつぶしていくデザイン」という考え方がとても印象的で興味深く今後参考にしていきたい話でした。今回のワークショップの目標である「スポーツのようなものづくり」の実感が湧き、午後からの活力を頂いたように思います。
8.アプリをつくる
昼休憩を挟んだ後、3人一組の縦割り(年齢が異なる人で組む)チームに分かれての本格的なまとめ作業にとりかかりました。


1班につき6つ程のあそびを選び、それをアプリに落としこむために共有できるフォーマットに作り替える作業です。ちょっとした誤字脱字がエラーになるという緊張感あふれるバグチェックを固唾を飲んで見守りました。
9.まとめ(2日目)

そして、ついに、完成。目の前のスクリーンに映し出された画像ではなく、実際のiPhoneで手元にて、見て、触ることで実感が湧き、感動もひとしお。あちらこちらからポツポツと聞こえた感嘆は、やがて拍手へと変わり、みんな満足度が肌で感じられるものとなりました。

細かい修正を加え、近日中の公開を目指して今もまだ作業中ですが、公開された暁には日本各地のいろいろな場所で、子供たちの笑顔をつくるために役立てていただけるのではないかと期待しております。
Vol12. 2011年3月 食堂のおばちゃん
和田静子
食堂のおばちゃん
今回のクロストークインタビューは、「食堂のおばちゃん」こと和田静子さんです。
1月30日に食堂で働いていた先輩方に集まっていただき、おばちゃんを囲んで座談会を行いました。
参加していただいた先輩は、
松河剛司さん(6期生)、長谷川麻衣さん(6期生)、田中揚子さん(8期生)、濱口皓太さん(9期生)、井村旭宏さん(9期生)です。
今年度いっぱいで食堂を引退されるおばちゃんから芸工生へのメッセージをお伺いしました。
―おばちゃんはここにいつから勤めていらっしゃるんですか
芸工のキャンパスが名古屋市立女子短期大学だった頃から働いています。だから40年くらいになるでしょうか。
女子短大の初めの頃は売店だけで厨房は無くて、パンとアイスクリームを売っていました。そのころは食堂の二階は全部部室で、テニスや茶道、ギターマンドリンなどがあって賑やかだった。店を閉めるときに声を掛けると二階から学生さんがアイスクリームを買いに降りてくるから、なかなか閉められないってこともありました。テニス部は食堂の外のガラスを鏡代わりに素振りをしていたし、毎日合唱部の発声練習の声が聞こえていましたよ。食堂にあるピアノはそのときのものなの。
―そんなに長く勤められているんですね。芸工ができた当初から芸工を見ていらっしゃったと思うのですが、1期生の頃と今とでは食堂に変化がありますか。
1期生の頃は今ある芸工の建物もまだ無くて、みんなが集まれる場所も無かったからね、授業が無い学生さんはいつも食堂で集まってテレビを見たりしていましたよ。その頃は生徒も少なかったですし、みんな顔を覚えていますよ。授業の後に「おばちゃん、何か残っていない?」って食堂に来た学生さんに食事を出したり、お弁当を作ってあげたこともありました。今みたいに生協だとできませんけど、当時はわたしが個人でやっていましたから。
―おばちゃんは本当に、学生にも、食堂にも愛情をもってお仕事されていますよね。
わたしはこの店に凄く愛着があるんです。カウンターひとつでも傷つけちゃいけないなって思って使っています。学校のものなんですけどね、自分のうちのお勝手以上に大切に使っているつもりです。
食堂に新しく入った人も若い人ばかりだし、よく働いてくださっている。こんなに綺麗にしてもらえたし、みなさんもこれからも食堂を利用してくださいね。
―学生を注意したり叱ったりすることもありますか?
「プレゼンするときにはきちんと身だしなみを整えなさいよ」と言ったりします。芸工ではプレゼンして人の前でしゃべることも勉強のひとつでしょう。これから社会に出て行くんだから、そういったこともしっかりできるようになるといいですよね。
それから芸工は時間にルーズな学生さんもいるでしょう。でも時間を守ることや約束を守ることは、一番大事。時間を守れない人はやっぱり約束も守れない。そういうことは食堂のアルバイトの学生さんにはしっかり注意しますよ。
―おばちゃんはお母さん的視点で指導されていますよね。その他に芸工生にアドバイスはありますか
普段そんなに4年生と1年生が話をする機会は無いけれど、例えば食堂のアルバイトしている学生さんは各学年にいたから手伝いをしていると先輩の姿も見るし、話を聞く機会があるでしょう。それはとてもプラスになることだと思います。だから、私はいつも「先輩のお手伝いをさせてもらいなよ」と言っています。
勉強のことも先輩に聞いて、教えてもらったらいい。お手伝いさせてもらうと、目で勉強させてもらえますから。たとえば建築系の模型作りでも、お手伝いをすると、先輩のいろんなものを見せてもらえますよね。周りの人をいっぱい見て比較して、それだけで勉強になるじゃない。ああこうやって作るんだなとか。
お手伝いしたら、先輩と繋がることもできるし、いいことばかりですよ。
―40年間もずっとここで仕事を続けてこられましたよね。長く続けられる秘訣ってあるんですか。
わたしの旦那が亡くなったときも、食堂に来ました。その日ぐらい休めばいいのにって周りの人に言われましたけれど、わたしがいなかったら、学生さんたちがご飯を食べられない。学生さんのことを思うとどうしても休めない。そういった気持ちで毎日来ていました。
最近も足の親指が腫れて痛くて、息子に「食堂休んで病院行って来なよ」って言われても、雪の日に「転んだら危ないから休みなさい」って言われても、仕事に来ました。40年休まずに食堂に来ていたのに、あと少しのところで休んでどうなるのって。
―どうしてそんなに生徒のために尽くしてくださるんでしょうか
「情けは人のためならず」って言葉があるじゃない。食堂のバイトの学生さんにはいつも良く覚えておきなさいって言うんですが、人のために情けをかけると、その場では返ってこなくてもいつか自分に戻ってくるから、って。
わたしも芸工の子が卒業して活躍しているのをみると嬉しいし、どこかで会うといつものように「おばちゃん」って声を掛けてくれて、自然と「いってくるね」「いってらっしゃい」ってやり取りができることが、すごく嬉しい。そういうことがみんなにしてあげたことの、ご褒美みたいなものだと思っています。
―芸工生はおばちゃんにとても感謝していますよ。
最近、学生さんから手紙を頂いたんです。「おうちに帰って読んでね、おばちゃん」って言って。わたしは申し訳ないことにその子の名前も知らなかったんだけど、その手紙には「寒い日にパンを買おうとしたら、おばちゃんが今日は寒いから味噌汁を飲んだほうがいいよって言ってくれた」とか、今までどういうことをしてくれてありがとうって、いっぱい書いてあったんです。わたしが何気なくやっていたことが、こんな風に思われていたんだなって、食堂のバイトでもない学生さんから、そういうふうに言ってもらえて、ほんとに涙が出るほど嬉しかった。
―そんなことがあったのですね。最後に芸工生に伝えたいことはありますか。
このあいだも、私が食堂に立つ最後の日にたくさんの方が来てくださって、ほんとにほんとに嬉しかったです。食堂をがんばってきて良かったなと思いました。わたしは学生さんや先生方、事務の人、みんなに生かされて、40年休まずにここまでこれたと思っています。
今でも卒業生が電話や手紙で、展示会のお知らせや受賞の連絡をくれたりするんです。また、学生さんと触れ合えたことももちろんですが、芸工の学生さんたちから建築や芸術などにも触れ合えて、自分の感性にも影響してもらえたって思っています。それは他の職場ではできないこと。わたしはほんとにみんなのおかげで幸せなお仕事をさせてもらえたなって、思っています。ほんとにみんなありがとう。
これからも、皆さんの健康とご活躍をお祈りしていますよ。
食堂のおばちゃんお疲れさま会のお知らせ
月日:2011年4月24日(日)
場所:芸術工学部北千種キャンパス
●川崎和男名誉教授による記念講演会
16:00~ (15:30 開場)
図書館上大講堂
●食堂のおばちゃんお疲れさま会
18:00~ (記念講演会終了後、受付開始)
アセンブリーホール(食堂)
詳細はこちらから(同窓会のサイトが開きます)どうぞふるってご参加ください。
インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科―インタビューの感想―
記事には書ききれないほど沢山、おばちゃんの芸工生への愛情を感じるエピソードを聞くことができて、とても楽しいインタビューでした。
この学部ができた当初から、おばちゃんは芸工のお母さん的存在で、芸工の変化も見守られてきていることが伝わってきました。
おばちゃんの愛してくださっている芸工の空気を受け継いで、これからも大切にしていきたいと思います。
Vol10. 2010年11月 伊藤 景司さん 芸術工学部6期生
海外マーケティング
ソニー株式会社伊藤 景司
6期生 視覚情報デザイン学科 平成16年度卒業
森島 紘 研究室
-伊藤さんがどんなお仕事をされているかお聞かせください。
ソニー株式会社のVAIO & Mobile事業本部にて海外マーケティングに従事しており、中国エリアを担当しています。中国における同業界の実情を注視しながら、どのような商品を、どのようなタイミング・価格で投入すれば、効果的な売り上げや利益が計上できるかを考え、実行することを業務としています。
提案・企画の内容に関し議論し、実現可能性について設計・企画も含めた関係部署と調整して、的確にアクションに結びつけることを行っています。適切な調整や交渉を実施しないとスムーズに事業が動かず、ジャッジのスピードが遅くなり、効率が悪くなります。ビジネスをきちんと実践的に学習し、向上していくことができる点で、今の仕事はとても勉強になってます。
現在入社3年目ですが、まず入社して2年間は群馬県の営業所に配属され、電機量販店を中心とした営業をやっていました。売上が達成されるための交渉が主な仕事でしたが、店舗スタッフのトレーニングも同時に行っていたので、自分自身が販売の見本を見せる必要があり、店頭に立って接客もしました。
体力勝負な部分もありなかなか大変でしたが、お客さんと直接接するのは大切なことで、直接ユーザーに長時間接しながらニーズを聞き出す機会は、今後は非常に少ないのではないかと感じています。今年の6月に東京に戻ってきてからまだ4ヶ月で仕事に慣れるのも大変ですが、営業での経験を活かしつつ、現在の業務をまずはきっちり1人でハンドルできるよう努力しているところです。
-お客様の声を直接聞いた経験を生かして、
企画・マーケティングのお仕事をされているのですね。
芸工時代は主にどんなことをされていましたか?
森島先生がやっていた「バナナプロジェクト」に、早期から参加していました。このプロジェクトは、アフリカや中南米で主食として食されているバナナに焦点をあてた国際協力プロジェクトです。
バナナは茎の成長が非常に早く、しかも1回実をつけると成長した数メートルの茎はすべてゴミになってしまう。そこで日本の紙漉きの技術を応用してゴミになっている茎から紙を作ることができれば、バナナを主食にしている貧しい国が救えるのではないかと考え、立ち上げられたプロジェクトです。紙を作る仕事も生まれるし、教育で必要な教科書で使う紙も作れる。しかもゴミも減らせる。非常に相乗効果が高いプロジェクトだと思います。
具体的には、青山の国連大学での展示、中南米から様々な関係者を招いた紙漉きworkshop、森島先生とのコスタリカ、ジャマイカ、ホンジュラスでのfeasibility Study等に参加しました。最終的に、私たちが卒業する時期に愛知万博が開催され、私は ワークショップのプロジェクトを担当し、ブースで子どもたちに紙漉きを教えていました。
-芸工での思い出やエピソードは何かありますか?
4年の最後の時期はとにかく大変でした。卒業制作、卒業論文をやりながら、愛知万博に携わり、加えて大学院の受験勉強にも取り組んでいました。愛知万博だけでほとんど寝る時間無いほどなのに、取り組んでいるものすべてに対して、高いクオリティを求められました。そのおかげで、どんなに大変なことがあっても耐えることができる我慢強さと粘り強さを得ることができました。同時に厳しい環境でもいい結果を残していこうという精神力も身につきました。
-デザイン系就職や芸工の院ではなく、
名古屋大学の経済学部に進学されたのはどうしてでしょうか?
いわゆるデザイナーになる選択肢も当然ありました。当然以前はそれをめざしていましたがこのままデザイナーとしてキャリアを築いて行っても、自分が目指しているようなデザイナーになれないと考えた時期がありました。すこし未練はありましたが、バナナプロジェクトで森島先生に影響を受けたこともあり、困っている人をどう助けるか、人をどう幸せにしていくかということを、今後人生で自分が目標にしていきたいと考えるようになりました。
その後、国際開発を勉強しようと決め、進路を他大学院進学に変更しました。そこから1人で芸工棟の4階のテラスにこもって、国際開発、おもに国際経済学の本を山積みにして半年間ひたすら勉強していました。まったく経済学は先攻していなかったので、完全に独学で非常に苦労したことを覚えています。
大学院では貧しい人をどう助け、生活を豊かにしていくか、幸せをどう生み出していくかということを中心に研究をしていました。授業はほぼすべて英語で、私のゼミは8割が途上国から来た留学生でした。単純に進学している留学生もいれば、開発途上国の官僚も混ざっており、彼らはどうやって自国を豊かにしていくかを日本の開発経験も参考にしながら、学習・研究している非常に優秀な人たちが多かったと感じました。そのような環境にいたこともあり、机の上でだけではなく現地の経験が必須だと感じ、1年休学してカンボジアに行きました。
-志を持ってとことん突き進んでいったのですね。
カンボジアにはどのようにして行かれたのですか?
インターンに応募し 、1年間JICA(国際協力機構:発展途上国に対するODA(政府開発援助)の中核的な実施機関)の組織の契約社員として、給料を頂きながら現地に住んで業務に携わっていました。
そこで実際に感じたことは、本当に大事なのは機会であるということです。機会が無いと努力している人もそれが報われない状況に陥ってしまう。そのためには、例えば教育が必要で、学校や教育のカリキュラムも必要になってきます。先生のトレーニングもしなければいけません。JICAでは、教育も含め、農業、インフラ、保健、協力隊、援助協調等の多岐にわたる事業を現地にて実施していました。それは、日本にいるのとは違い、非常に貴重な経験であったと感じます。
日本とは全く違う環境に飛び込んで1年間生活や仕事をした経験は、その体験があるとないとでは大きく違うと感じます。海外、特に途上国での生活や経験を持っていない人が多いですが、時間があるときにできるだけ深い経験をすると今後の人生に深みがでると思います。
-カンボジアで様々な経験をされたのですね。
それを生かして、どのような就職活動をされたのですか?
民間企業の国際的に幅広く事業を展開している企業に就職したい気持ちが強く、カンボジアでの経験や、国際協力学の研究をやっていた経験をもとに就職活動を行っていました。そこで、タイミングよくソニーに就職することができました。ソニーは売上の多くを海外で計上し国際的に事業を展開しており、今までにない新しいものを作っていこうということを考えている組織だと思います。
営業をやっていた時に感じたのが、ソニーの商品を求めるお客さんはその商品が本当に欲しくて買いに来て下います。購入された方はとてもうれしそうにしていて、もらった人はちょっと幸せになるような商品を作っています。商品を手にした方々に幸せをちょっとずつ分け与えることができる企業だと考えていますし、そんな会社は多くはないと思います。今後は、可能であれば海外赴任をしたいと考えており、開発途上国へ行きたいと希望を出しています。
-自分に合った会社を見つけて、入社されたのですね。
では、これからの目標を教えて下さい。
大きな組織に所属することや、独立やベンチャー等の小さい会社に所属することは、それぞれ得られる経験が違ったりするけれど、やっぱり自分のやれることは限られています。今の私は組織の何万人分の1人という立場で、とても小さい存在かもしれないけれど、その中で自分がどういう役割を果たすことが出来ているのか、その中でどのように生きていきたいかを考えることが非常に重要であると感じています。
今の私たちは日本にいて、おいしいもの食べることができ、様々な機会が周りに多くあります。お金もある程度はあります。一方、世界中には困っている人たちや貧しい人たち、生きることに困難を覚える人々が世界中にいます。そのような人たちの為に、私たちはどのようなことができるかを考え、生きていきたいと思っています。
-最後に、伊藤さんにとって芸術工学とはなんでしょう?
いかに幸せを作るかを考えること。芸術と工学が融合するように、私が携わってきたことは、様々なジャンルが交じっています。それによって、今までになかった新しいものを生み出すことができ、それが人に豊かさや幸せにつながっていくのだと信じています。
インタビューアー 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン・ソーシャルゲームクリエイター志望-インタビューの感想-
自分で決めた道を軸を持ってブレずに生きていらっしゃるんだなと感じ、そうできるのは決意の硬さなんだろうと思いました。何か一つに向かっていけるのはすごいです。ブレずに目指すことができる目標を見つけたいです。
Vol9. 2010年8月 土井 梢さん 芸術工学部5期生
建築設計
笠嶋淑恵建築工房(現在は別の建築事務所で就業中)土井 梢
5期生 生活環境デザイン学科 平成15年度卒業
鈴木賢一研究室
―卒業後初めに入社された株式会社スペースでのお仕事について教えて下さい。
スペースは主に店舗内装の企画・設計・監理・施工をしている会社で、店舗設計をしたくて選びました。仕事の内容としては、設計だけじゃなくて、積算から監理施工までを一貫して1人でやれるのが特徴です。このことは後に独立してやっていくにしても勉強になります。
私の場合、カフェなど飲食店の内装をする部署にいました。スペースでは早い段階で設計をやらせてもらい、現場に行ったり、お客さまにつくのも早かったです。
―リレー形式ではなく、全段階を自ら踏んで内装を作り上げるのがスペースでの仕事の魅力ですね。その後、建築設計事務所に転職した経緯を伺いたいです。
スペースでは初めからいろいろやらせていただいたおかげで、
2年ちょっと勤めて一通りの仕事をさせてもらえました。そこで内装だけでなく、
やっぱりハコ(建築)からやりたいなって思うようになり、スペースを辞めました。
次に転職した建築の設計事務所では、スペースとは仕事の内容が全然違っていたので、一から勉強という感じで、指示通りに住宅の図面を描くことから始めました。それから、経験のある所員の方と一緒に、住宅設計の計画の段階からやらせてもらったのが2年目です。
スペースでの経験があったので、インテリアと建築の両方のことが分かるのはよかったと思います。
その後この建築設計事務所を退社し、仕事から離れて一級建築士の資格を取りました。
―今日はお子さんもご一緒ですが、育児と現在のお仕事について教えていただけますか?
10カ月の子どもを育てながら、笠嶋淑恵建築工房(現在は別の建築事務所で就業中)で週4日働いています。
笠嶋先生は芸工で非常勤講師をされていて、学生時代のアルバイトからお世話になっていました。
笠嶋先生ご自身育児経験があり、育児との両立について配慮していただいています。
シュタイナーの教えや、人智学、子どもの教育の観点から建築を考えている方で、
私の子どもが通っているのも、笠嶋先生が改装した保育園です。
部屋が多角形だったり、それぞれの部屋にキッチンカウンターやロフトがあったりして、おもしろい保育園ですよ。
子どもができたことで、学生の頃より教育の観点に立った建築に興味がわきました。
笠嶋先生に「子育ての経験はあなたの設計人生において、確実にプラスになります。」といわれたことが
とても印象強く、心に響きました。
確かに女性が社会でがんばっていくのは大変だけど、子供を産むことでみえてくることってありますよね。
例えば、新婚の2人でいるときはワンルームの広い家がいいと思っていても、
子どもができることで生活の時間帯が違うから間仕切りが必要だって気付いたりとか。
そんな気付きをデザインに活かしていきたいなと。
子ども向けにしても、お母さん向けにしても、
男の人がわからないことを自分のデザインの糧にしていけるんじゃないかと思いますね。
―育児経験はデザインに活かせるのですね。
社会全体として、仕事と子育ての両立はしやすくなっているでしょうか。
大企業は産休も取りやすいみたい。でも建築業界自体は、まだ女性が子ども産んでからいい条件で働くのは難しいと思います。定時に帰るとなると、十分な仕事をもらえないのが現実です。
だから建築をやる女性は、企業でやっていくより、いつかは自分でやれるようになるといいなって思いますけど。子どもから手が離れるまでは、今後のための知識を蓄える期間だと、今は割り切っています。
ある程度したらゆったりするためにも、若いうちにがむしゃらに、やれるだけやっとくのは必要ですね。だから辞めるにしても、仕事をしている間につながりをつくっておくのが大切かな。
そういうことが、後に仕事を直接もらったり、条件に合う事務所に入れてもらうことにつながります。
―建築の仕事を目指す方って大学院に行くことが多いと思うのですが。
大手企業の中には大学院卒を求めることもありますが、事務所だと学歴よりも実力重視だと思います。
だから学部卒で就職して早いうちから仕事を覚えられるのも逆にいいんじゃないかなと。
私は学部時代、鈴木先生の研究室で病院の壁画を描いたりしていたので、
大学院で研究室に残って子どものための空間について研究したいとも思っていました。
ただ、スペースに内定をもらって、早く働きたい気持ちもあって就職を選びました。
大学院卒業後に就職すると、同期が年下でやりづらいこともあったり、
女性の院卒を使いにくいと感じる上司もいるみたいです。
もちろん、院に行けば専門的な知識も深まりますし、その専門分野を活かした仕事に就けると思います。
―土井さんはどんな学生生活を過ごしましたか?
その後その経験をどう生かされました?
課題はちゃんとしましたし、設計事務所でのバイトもしましたけど、基本的に遊んでただけな気がします(笑)。
海外旅行とかも行きました。その経験は勉強にもなりました。例えばイタリアのフィレンツェなら、外観を揃えて街並みを大切にしています。屋根の色が揃っていて上から見た景観がきれいとか、外観を崩さないように建設中の工事の仮囲いに建物の絵が描いてあったりとか。そういう考え方がもっと日本にあってもいいんじゃないかなって思うようになりました。デザインしていく上でも、後からその時の写真を見ながら考えることもあります。
あと、世界観が変わりますよね。建築を仕事にしてる身だから、建物は建てるものっていう概念がまずあるけれども、海外に行くと建築よりも自然の方がすごいんじゃないのかな、建物を建てない方がいいんじゃないのかな、って考えたりします。
だから、日本にないものをいっぱい見とくといいですね。
あと、ポートフォリオに海外で描いたスケッチを載せたんですけど、面接で評価がよかったです。
学生のうちに遊べるだけ遊んだから、
働き出したり子どもができたりして自由がなくなっても、今は仕事をがんばろうって思えます。
-芸工にはいろいろな分野がありますけど、
それをどう活かしていけばいいですか。
仕事やり始めたら、一つの分野でやっていくことが多くなっていくと思うから、学生のうちからそこまで知識を深めなくても、広く浅く手を出してもいいんじゃないかなって。技術は働き出せばつくし、いやでも専門性を持つから。なんでもやってみて、いろんな分野のいろんな考え方をもっていれば、頭が柔らかくなるんじゃないかな。
芸工の同期には大学の専攻とは違う分野の職を楽しんでいる人がたくさんいますし、私も大学では建築をやっていたけど、最初の会社では内装をやりました。だって全部つながってるんだから、建築から中を考えてもいいし、インテリアから建築を考えてもいいし、大きく言えばプロダクトから建築を考えてもいい。
私が今やっている建築の仕事で言うと、教育にもつながってます。
それに、違う分野の人がいればいるほど面白い仕事ができる。
建築やってる人と家具やってる人や映像、グラフィック、
いろいろやってる人がユニット組んで仕事したりするじゃないですか、
そういうのって刺激し合って一つのものをつくっていくし。
だから、固執せずにいろんなことに興味を持つのがいいと思います。
いい意味で適当にね、何でもプラスに考えればいいと思います。
それこそ学科の域を飛び越えて、授業に参加してみてもよかったなと今は思います。
―土井さんはプラス思考が印象的です。
最後に、土井さんにとって芸術工学とは何か、教えて下さい。
いろんな場面でのいいなを足していくことかな。
アート的なものの根底に基礎みたいなものを付け加えて、説得力を付けるような。
でも私は芸術工学とは、なんて深く考えたことないですよ。
私の中で芸術工学は、ほわんとして、輪郭がなくて、「何か」って言い切れないものです。
インタビューワ 内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定-インタビューの感想-
仕事と家庭のどっちも捨てがたい…と考えていましたが、
お話を伺ってそれはその時悩めばいいし、
少なくとも今あきらめる必要はないと感じました。
仕事や育児にこだわりを持ちつつ、ご自身を縛る頑固さは持たない土井さんの考え方は、
芸工の「柔軟性」というプラス面に通じると思います。
Vol8. 2010年7月 島 麻絵さん 芸術工学部3期生
島 麻絵さん
3期生視覚情報デザイン学科 平成14年度卒業
水野研究室/溝口研究室 (卒業制作:水野研/卒業論文:溝口研)
社会福祉法人わたぼうしの会 たんぽぽの家 スタッフ
—芸術工学部からどのようにして福祉業界へ就職されたのですか?
学外のアート系のワークショップで「障害のある人と働いている」
という人に出会ったのが最初のきっかけです。
その方は、授産施設(就労が難しい障害者に就労の場や技能取得を
手助けする福祉施設)で働いており、その時はちんぷんかんぷんで、
介護をイメージして大変そうとしか思いませんでした。
しかし後日、その施設の手織りの展示を見に行くと、障害のある人がつくったマフラーや、
スタッフがつくった人形など、おもしろいものがたくさんありました。
その時にこういう仕事があるんだと知り、その後、「なごやボランティア・NPOセンター」で
「たんぽぽの家」という社会福祉施設の資料を見つけました。
アートサポーターやボランティアの募集のほか、メンバー(障害のある人)と一緒に
銭湯に行こうという企画もあり、おもしろそうな施設だなぁと、4年生の冬に
見学しに行きました。自己紹介のために、課題をまとめたものと、
在学中にサークルで毎月発行していた「カヤバ一揆」というフリーペーパーを
持っていったところ、対応してくれたスタッフの方が、興味を持ってくれました。
何度かたんぽぽの家に通ううちに、「CHIRORI」という雑貨店を紹介され、
アルバイトを始めることになりました。
—福祉にそのような関わり方があるのですね。CHIRORIとは具体的にどのようなお店なのですか?
全国の福祉施設でつくられた、陶芸、手織り、木工などの手づくり雑貨や食品を扱うお店で、障害のある人が働いています。1996年に、「まほろば・楽市・楽座」という、奈良町界隈(CHRORIがあるエリア)のギャラリーや空き店舗で施設の商品を大々的に展示販売するイベントがはじまり、その流れでCHIRORIが誕生しました。当時、福祉施設の商品は、地元のバザーでの販売が主流であり、まほろば・楽市・楽座は画期的だったと聞きます。
私自身は、CHIRORIで、商品のセレクトや通信やチラシの制作などをしていました。全国にはものづくりをしている施設が
たくさんありますが、障害のある人がつくったものを面白いと思い、発信していこうという意欲のあるスタッフがいるかどうかで、商品も変わってくるといえます。
ところで、CHIRORIでは、芸工の近くにある「うえの授産所」のカップも取り扱っていました。
芸工生のときにそこのバザーに行ったことがありましたが、
障害のある人の働く場所であるということに気付きませんでした。
特にこの分野は接点がない人は全く知らないということがあるので、
もうちょっと気軽に歩み寄ることができるといいなぁと思います。
いきなり障害のある人と接するとなったら、最初は緊張感やためらいがあると思うけど、
きっかけとして“もの”というのは入りやすいですよね。
—いつたんぽぽの家のスタッフになられたのですか?また、たんぽぽの家はどのような活動をされていますか?
CHIRORIは2007年にたんぽぽの家と事業統合しました。
その際にCHIRORIのアルバイトからたんぽぽの家の正職員になりました。
たんぽぽの家でのメンバーの活動は、絵画、陶芸、手織り、カフェ、ショップ、企画部など、
多岐に渡ります。たんぽぽの家では、メンバーひとり一人に希望を聞きながら、
本人にあった働き方を提案し、プログラムを作成します。
また、たんぽぽの家は障害のある人自身の夢を実現、個性をのばすという考え方を持っており、
それはスタッフに対しても生かされているので、決められた仕事ばかりではなく
自由にアイディアを出して考えていけます。
たんぽぽの家の特徴として、作品展やセミナーなど、外に向けた活動が多いことがあげられます。
年に1回「アート化セミナー」といって、福祉施設のスタッフに向けた、
施設でのアート活動や商品化に関するセミナーをやっており、
全国から関心のある人たちが集まってきます。
また、海外からのお客さんも多く、去年は韓国のアーティストがたんぽぽの家に
1ヶ月以上滞在し、メンバーと一緒に制作しました。
本当に色々な人とのつながりが生まれやすい職場です。
7月23日から31日には、可児市文化創造センターで、
「エイブル・アート展」が開催されます。
たんぽぽの家のメンバー他全国の障害のある人の作品が展示されますので、
ぜひお越しください。
−おもしろい企画ばかりですね。現在はスタッフとしてどのようなお仕事をされていますか?
CHIRORIから始まった経緯もあり、今でも、福祉施設の商品を扱う仕事をメインにやっています。CHIRORIの他、イベントや商業施設での販売の機会も多く、場所に応じた商品をセレクトしたり、企画などもします。その他、たんぽぽの家を含む3つのNPOが共同でやっているエイブルアート・カンパニー(以下、カンパニーと表記)にも関わっています。この事業の目的は、障害のある人のアートを仕事につなげることです。作品を使いたい人と障害のある作家の間に立って仕事の仲介をしています。障害のある人の作品をデジタルデータ化して、それらを企業に貸し出し、著作権使用料を得ています。
窓口がはっきりすることにより、企業はアクセスしやすく、作家に対して適切な対価が支払われるようになりました。
—例えばどのような依頼がきますか?
アパレルメーカーより、ジャマイカというテーマで
描き下ろしをしてほしいという依頼がありました。
カンパニーが間に入って作家の体調やスケジュールの調整をしました。
依頼に応えられないタイプの作家であれば断ることもありますし、
作家をバックアップしている施設に相談しながら、情報を集約してお客さんに伝えたりもします。
スタッフは現場を体験してきているので、施設や作家の状況もよくわかります。
—話は変わりますが、研究室を悩んでいる子が多くいます。どのように研究室を選べばよいかなど、アドバイスはありますか?
私は水野先生がやっている現代音楽、実験的な音楽に興味があり、先生のキャラクターが好きで水野研究室を選びました。溝口研究室も同じ理由で選びました。研究や制作の内容ももちろん大事だけど、人柄や相性で選んでもよいのではないでしょうか。
6月中旬に水野先生の矢田ギャラリーでの展示を見た時に、こんなマニアックな分野をやっている人もいて、芸工って幅広いなぁって改めて感じました。だから学生が迷うのかも。
学生時代に思ったのは、早いうちにやりたいこと、専門を見つけられた人はラッキーだなぁということ。私は見つけられなかったので、そういう人たちがうらやましかったです。
—オープントークにも参加いただきありがとうございました。現役生へのアドバイスや感想を教えてください。
学生のうちは動きやすく、出会った人がその後の人生ずっとつながることもあるので、
学外に飛び出して色々な人やものに貧欲に会いにいってほしいと思います。
違う大学の講義を聴きにいってもいいですね。オープントークへの参加は緊張しましたが、
自分の仕事を学生に知ってもらうことは大切で、すごくいい経験をさせてもらいました。
普段そんなに大学生と喋る機会もないので楽しかったです。
リアルな声を聞くことが就職活動をする上でのヒントになれば、参加者としては嬉しいです。
発表者の卒業生の中には自分も知らない人が多かったので、仕事の話を聞くのは新鮮でした。
—島さんにとってやりがいとはなんですか?
おもしろさを追求するということが生きるモットーです。
そこに貪欲で、おもしろいものを見たら誰かに伝えたくてしかたないんです。
会わないはずの人と人をものを通して結びつけられる。
福祉の世界であるけれど、おしゃれな雑貨店に負けないグッズができ、
またそれが売れると、親、本人、友人が喜ぶ。そこにやりがいを感じます。
インタビューワ 山下 咲衣子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
プロダクトデザイン志望
―インタビューの感想―
まさに大学で学んだことがそのまま生かされているのだろうなと感じました。
外に出て、自分から出会いを見つけにいくということは大切であると思いました。
芸工オープントーク写真レポート – 2010年6月15日開催
卒業生と仕事について語り合う交流イベント、芸工オープントークが6月15日(火)に開催されました。芸工クロストークで紹介された卒業生をはじめ、十数名の卒業生と約130名の在校生に参加いただき、芸術工学部の卒業生と在校生をリアルにつなぐ充実したイベントとなりました。
当日のライブレポート(Ustream)はこちらからご覧いただけます。
芸工オープントークUStreamアーカイブ
第1部 オープントーク参加卒業生の紹介「わたし、こんな仕事してます。」
建築やプロダクト、WEB、福祉、農業などで活躍されている卒業生に、簡単な自己紹介をしていただきました。分野や職種もさまざまで、芸術工学部の幅の広さが感じられました。
第2部 パネルディスカッション「卒業生×卒業生のクロストーク」
在校生の関心度の高い就職活動の話を中心に、先輩方の経験談やアドバイスをうかがいました。それぞれ就職活動の方法は異なりましたが、人のつながりや積極性、人間力といったものがキーワードとして上がりました。
第3部 ブーススタイル/オープントーク「もっと聞きたい! 話したい!」
ブースに分かれて、卒業生と在校生が直接話しをしました。イメージと実際の仕事内容の違いに驚いたり、就職活動や進路の相談などをしたり、和気あいあいとした雰囲気の中で、終了時間が過ぎても歓談が続きました。
当日アンケートに記入いただいた在校生の皆さんには、卒業生のプロフィールシートを配布し(初回特典バインダー付!)、来学できなかった卒業生の仕事も一部紹介させていただきました。
在校生の進路選択や就職活動の参考にしていただくことを目的にしたイベントでしたが、卒業生にとっても、久しぶりに会う級友や先輩後輩との交流の場となり、今後ビジネスやプライベートでの親交を深めるきっかけとなりました。
芸工オープントークは今後も継続的に開催していく予定です。皆さまの声を反映させながら、よりブラッシュアップしていきたいと思いますので、ぜひご要望やご意見をお聞かせくださいますよう、お願いいたします。
そして、参加およびご協力いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。
おまけ:準備編
15:00から卒業生だけのミーティングを行っていました。横山先生に、今の大学や学生の現状などを伝えてもらい、パネルディスカッションでなにを論議するべきかなど、意識の共有をしました。
今回の参加メンバーで記念撮影。ご協力ありがとうございました。
参加卒業生(敬略称、順不同)
横田 理恵子(視覚情報デザイン学科2001年度卒業)
ブランドデータバンク株式会社/ゼネラルマネージャー
青木 亮作(大学院博士前期課程2003年度修了)
メーカー(OLYMPUS、SONY)勤務を経て2010年5月独立/プロダクトデザイナー
大山 圭史(生活環境デザイン学科2001年度卒業)
株式会社ワーク・キューブおよび有限会社studio point/空間設計・デザイン
萬田 浩太郎 (生活環境デザイン学科2003年度卒業)
株式会社ワーク・キューブ/空間設計・デザイン
島 麻絵(視覚情報デザイン学科2001年度卒業)
社会福祉法人たんぽぽの家
河瀬 智文(生活環境デザイン学科2005年度卒業)
株式会社マキタ/プロダクトデザイナー
遠藤 頌太(視覚情報デザイン学科2006年度卒業、大学院博士前期課程2008年度修了)
農業ベンチャー 株式会社M-easy/企画・営業・商品開発・広報等
白川 勝悟(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
株式会社コボ/プロダクトデザイナー
久冨 伸彦(生活環境デザイン学科2006年度卒業)
チームラボ株式会社/WEBデザイナー
元山 和之(視覚情報デザイン学科2007年度卒業)
有限会社パワーソース/デザイナー、システムエンジニア
竹内 優(視覚情報デザイン学科2007年度卒業)
株式会社バッファロー/企画
犬飼 裕美(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
ソニー株式会社/プロダクトデザイナー
参加コーディネータ
立石 直敬(視覚情報デザイン学科2006年度卒業、大学院博士前期課程2008年度修了)
鈴木 多恵(視覚情報デザイン学科2004年度卒業)
加藤 沙奈(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
ほか有志の卒業生の皆さま
Vol7. 2010年6月 久冨 伸彦さん 芸術工学部8期生
Webデザイナー
チームラボ 株式会社久冨伸彦
8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
瀬口哲夫 研究室
―どのようなお仕事をされていらっしゃるんですか?
主にWebのデザインとHTMLのコーディングをしていますが、企画の段階から入ることもあり、基本的にやりたいと言えば何でもやらせてもらえますね。
検索サイトやコーポレートサイトを作ったりしていて、Webを作るときは企業の方からいろんな要望を聞いて、それにこちらから提案をしながら話を詰めていって最終的にモノに落とし込んでいきます。最近だとTwitterを使った企画の相談がありました。
プロジェクトごとにチームのメンバーを総入れ替えするので、デザイン職以外の席はそんなに固定されていなくて、毎回移動します。なので、いろんな人と一緒に仕事ができて面白いですね。
Web制作の他、依頼される仕事とは別に映像などのアート作品を作ったり、時計や机を作ったり。
めちゃくちゃ自由な発想でモノを制作できる会社だと思います。
―自由な環境で仕事をされているのですね。
どのような学生生活を送られていたのですか?
今はWebデザインをやってますけど、学生のときは建築を専攻していました。
でも大学2年くらいのとき、このまま建築に行って良いのかなって
漠然と不安になって、そこで建築を一回やめたんですね。
直感で、別の分野に行った方が絶対後悔しない気がして。
当時は今よりも違う専攻の課題が取りやすかったので、
映像とかさまざまなことをやりつつ模索していました。
また、昔から写真が趣味で、
いろんな人の写真サイトを見て自分でも作ってみたり。
日常的に学校でも友達とかを撮っていました。
他にはフットサルをしていました。
夕方から夜までやって、終わるとみんなで飲みに行って。
それで朝起きられなくて、授業にあまり出られず、
卒業制作着手の必要単位がギリギリでした(笑)。
フットサルで先輩後輩のつながりは強かったですね。
あと建築専攻は先輩の模型作りを手伝ったり、
逆に自分の時は後輩に手伝ってもらったりしていて、
そういうつながりで、今でも連絡を取ったり遊んだりする人が結構いて。
今考えるとよかったなと思います。
―学校でのつながりっていいですね。
では就職活動の話を聞かせてもらえますか?
やりたいことが無い学生だったので、デザイン以外の仕事も考えましたが、でもそれは絶対俺は楽しくないと思い、業種は絞らずにデザイナー職を受けました。
でも、いろんな面接や説明会に行ってもどこも全然グッとこないなと。そんなときに今の会社の説明会に来て、なんか面白いと思ったんです。まず面接をしてくれた人たちに圧倒されました。脳をフル回転しないと受け答えできない状況になったのが久々で、面接が終わった後は爽快でした。あと年齢がそんなに離れてない女性が創業者で、それもすごいと思い、面接2回目でここにしようって。最終面接後すぐに、他の面接中の会社に電話して、まだ内定も出てないのに「もう決まった」って言ってました(笑)。それくらいチームラボに来たかったんです。
だけど、Webデザイナーを希望してるのにHTMLの知識やスキルがなくて、
結局チームラボは最終面接で落ちたんです。
でも、結果のメールに、スキルアップしたら採用しますって雰囲気のコメントがあったので
それにすがろうと、「がんばります」って返信しました。
課題を出されて独学でWeb言語を学び、できた課題を提出、
結果を待っていたら次の課題を出される。それを数回繰り返しました。
4年の時は忙しくて、その課題と卒業研究の他に、単位の関係で授業にも出ていて。
年が明けた頃はさすがに卒業制作が間に合わないので、
1度提出を待ってもらって、卒業制作に集中し、その後課題を出しました。
それが2月末で、実はまだ就職も卒業も決まってなかったんです(笑)。
卒業旅行から帰ってきたら結果のメールが届いていて、採用ってあって、よっしゃーっって(笑)。
―課題を出し続けた努力が実ったんですね。
これからどのようなことをやりたいと考られていますか?
いいものを作って世界を良くしたいというのが根本にあって、Webだけにこだわるつもりはないです。
でもチームラボに来て4年目で、Webでまだまだ勉強することがあるし、
面白いものを作れる可能性を感じています。
現実世界とWebの連携をやってみたいですね。
前に携帯やWebからのアクションで、表参道の照明の色や動きが変わる
「表参道アカリウム」というライティングイベントがあって。
そういったWebだけにとどまらないものを面白いなぁと昔から思っています。
一つのサービスができるだけで、大分世界が変わると思うんです。
例えば不動産がもっと簡単に探せる方法ができて、引越しがすごい便利になるかも知れない。
いろんな可能性があると思うから、今までに無い仕組みを作っていけたらなと思います。
―やりがいがある目標ですね。
デザイン情報だと、都市環境の就職について分からないのですが、
建築系での進路は決まっているのですか?
決まったルートとかはなくてその人次第。このままだとマズイって、早く気づけた人は、インターンに行ったりどこかのデザイン事務所でバイトしたりしていました。そうやっていろんなところを経験した上で自分の道を決めるような人はいいけど、中にはあるときにピタッと止まって迷う人もいる。だから、自分でいろんな事をやりつつ見つけなきゃいけない。
自分の場合は今はWebをやってるけど、建築の課題で培った考え方とかって、建築から外れても全然生きると思っています。思考のプロセスって、基本的に一緒だから。プレゼンは限られた時間内に簡潔に伝えるのがすごい大事で、それは分野が違っても同じ。そういうのはやってる当時は分からなくても後々気づくと思います。
―それでは久冨さんにとって芸術工学とは?
僕もデザインを狭い視野で考えていたときがありました。でも、いろんな先生の授業やレポートで見た目だけではなく、いろんな仕組みやシステムもデザインだって、すごい幅の広いものだと思えるようになりましたね。
働き始めてからは、映像の見せ方もサービスの仕組みを
議論をしてるときもデザインかもしれないって思っています。
芸術工学やデザインは世の中をよくする手段の一つで、
いろんな切り口で自由に考えられる可能性を持っていると思います。
芸術工学で学んだことって結構今でも生かせていて、学ぶことで考える力も身に付き、
いろんな事に気付けるタイミングが増えるので、世の中よくする一つの近道のような気もしていますね。
―インタビューの感想―
とても自由度の高い職場で様々なことに取り組めるのだなと感じました。
アプローチは何でもいいから、とにかくいいものを作りたいという姿勢に共感しました。
Vol6. 2010年5月 横田 理恵子さん 芸術工学部3期生
マーケティング
ブランドデータバンク株式会社横田 理恵子
3期生 視覚情報デザイン学科 平成13年度卒業
―今働いていらっしゃるブランドデータバンクはどんな会社ですか?
マーケティングをやっている会社です。
全国3万人に所持品など130ジャンルに渡って半年毎にアンケートを取り、
結果をデータベース化して分析し、いろんな企業の人に提供するサービスをしています。
そのデータを使うことで、例えばi-podを持ってる人は、他に何を購入しているかが横断的に分かり、
持ち物からどういうユーザーかが具体的に分かるんです。
データベースは専用のアプリケーションをインストールすることなくアクセスできるかたちで提供しており、
いろんなメーカーや広告代理店が、契約してくれています。
インターネットリサーチの会社は他にもありますが、
消費者の情報をデータベース化して情報を提供している会社は
そんなには無くて、競合はあんまりいないですね。
仕事は大きくは二つに分かれていて、サービスをいろんなお客様に売る営業と、
データを元にレポートを作ったり分析したりするプランニングです。
私はゼネラルマネージャーという肩書きで、
両方を見渡しながら何でもやる、全体を統括する立場です。
―学生だとなかなか知る機会の無いお仕事ですね。
芸術工学部からマーケティングというのが想像しにくいのですが、
どうして今のお仕事に?
もともとは編集の仕事をしていたんです。就職活動をして、内定をもらったのがソフトバンクパブリッシングという東京の出版社でネットランナーという雑誌の編集部に配属になりました。それが超オタクの雑誌で10人位の編集部だったんですけど、新卒を採るのが初めてだったので可愛がられて、最初からいろいろ教えてくれましたね。編集の仕事は希望してた職種だし、楽しくて、それなりにがんばりました。
就職して2年経ったころ、大学4年の時に参加した「てつそん」っていう全国の美術やデザインなどを学ぶ大学の合同卒業制作展があるんですけど、そこで知り合ったデザイナーの人に、今の上司を紹介されました。それで、「新しい事業するんだけど、専属で一緒に働いてくれる人を探してるからウチに来ない?」って初対面で言う訳ですよ。
私は転職したいとも思ってないし、マーケティングに興味があるって話もしてない。
でも、話をするうちに、この人はすごい面白いし、
やろうとしてることにもすごい可能性を感じる、と直感で思ったんです。
一回会社に遊びにおいでよってって言われて、
後日会社に遊びに行ったら、やっぱりウチで働かないかって。
何か面白い気がするって確信があったんで、6月のボーナスまで待ってもらって(笑)、転職しました。
また、学生時代にDTPのバイトを経験した際、雑誌の誌面デザインよりは、
そこに書かれている内容を生み出すことに携わりたい、といったように、モノが生み出される、
最初の源流に近いところにたどり着きたいなって漠然と思っていました。
マーケティングは、特にモノを市場に出す前に重要なフェーズでもあるので、
そういう意味ではより源流に近い仕事です。
だから、別にマーケティングを勉強したこともないし、全く関係ないと思っていたけれども、
話を聞いてみて、自分の興味に近いんじゃないかなとピンっときました。
―運命の出会いだった訳ですね!
転職されてからは、どんなことがありましたか?
私が入った頃はまだデータベースができたばかりで、
上司に付いていろんな会社を訪問するうちに、徐々に契約者を増やすことができました。
人と話したり会ったりする仕事は自分に向いてないと思ってたんですけど、
営業の仕事をするようになって、面白いなと気づきました。
ほかにも、最初の仕事で書籍を作ったり、
見積りや請求書の作成などお金や数字に関わることをしたり、
本当にいろんな経験をさせてもらえましたね。
学生の頃に「手に職を付ける」感じで覚えたIllustratorで、パンフレット制作もしていて、
全然違う仕事をしていますが芸工で学んだことも生かされてるかな。
そして、小さな会社だったブランドデータバンクが何年かかけて大きくなってきて、
去年会社の方針で、インターネット調査会社のマクロミルの子会社になったことで、
更に大きくなろうとしている。それにちょっとでも協力しながら、
会社が成長する場面に立ち会えているのはすごく面白いですね。
―本当にいい会社にめぐり会えて、充実されているんですね。
就職活動の際、どのように自分に合った会社を探せばいいか
アドバイスをお願いします。
インターネットリサーチの会社を例にとっても、知らない人が多いですよね。
だから今の芸工生には、幅広い視点で会社を探してみて欲しいです。
あと、自分の働き方に合った規模の会社を選ぶのは重要だと思います。
マクロミルは小さな会社と違って福利厚生がちゃんとしていて、
年に1回定期健診を受けられるのは良いと思います。
社員も300人くらいなのでコミュニケーションの面でもちょうどいいボリュームだと感じますね。
逆に小さい会社なら、意思疎通がもっと密になるし、意思決定もより早いと思います。
比較的大きい会社と小さい会社の両方を経験してみて、
どっちにも良い所悪い所があると思うんです。
―会社の大きさはあまり考えたことがなかったです。
いろんな側面から会社を見る必要があるんですね。
ところで、学生時代はどんなことをされていましたか?
グラフィックの授業を受けたり、情報・建築問わずいろんな先生のところに顔出しては、ワークショップに参加したりしてました。興味があるいろんなことを浅く広くやってましたね。バイトは雑誌を作るDTPの仕事や、飲食店を取材して記事を作る仕事などをしてました。そんな仕事をしながら何となくメディアの仕事がしたいなとか思い始めましたね。また、東京に憧れがあって好きだったこともあって、月一で遊びに行ってました。学生のうちにいろんなものを見た方がいいと思います。
―芸工らしく、浅く広い分野に積極的に関わっていらしたのですね。 最後に、横田さんにとって芸術工学とは何でしょうか?
芸術工学と言いつつ、芸術プラス工学じゃないところが難しいね。
私の中では、右脳と左脳のバランスが非常に良い学問だと思っていて、
手動かして絵描いたりデザインしたり、感覚的なことを学べる一方で、
文章や言葉、表現など論理的なことも関連してくる。
私は自分が広く浅くを超追求する人だって思っていて、その芸工らしさで、
専門に特化しているプロフェッショナルにも戦えるんじゃないかというのが持論です。
インタビューワ 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
バリバリ働いているかっこいい女性だと思います。
いろんな研究室を覗きに行ったり、いろんな場所に赴いたり、
もっとアクティブに行動していきたいと思いました。
Vol5. 2010年5月 小川 直茂さん 芸術工学部1期生
岐阜市立女子短期大学 講師
小川 直茂さん
1期生 視覚情報デザイン学科 平成11年度卒業
大学院芸術工学研究科博士前期課程 平成13年度修了
—講師になるまでの流れを教えてください。
2002年に名古屋市立大学大学院博士前期課程修了後、中日新聞社の編集局デザイン課で新聞紙面におけるデザイン制作に携わりました。約5年の勤務を経て同社を退職後、大阪大学大学院に入学し、2009年4月から岐阜市立女子短期大学生活デザイン学科で教員として働いています。
科目としては、主にグラフィックデザイン系の演習や「色彩学」、「基礎造形」などを担当しています。基礎造形では烏口とアクリルガッシュを使って線や面、幾何形態などを描く課題を出します。芸工で言うとデザインストロークのようなものですね。一見単純なトレーニングですが、意外とデザインの資質が見えるんです。まっすぐかすれずに線をひけるか、はみ出さずに色を塗れるか、というのはセンスや才能以前に、課題に取り組む姿勢の問題。しかし、実はそれが馬鹿にできません。この課題に丁寧に取り組める学生は、実践的なデザイン課題においてもきちんとした成果を仕上げてくる。逆に雑な作品ばかり作っている学生は、その後自分の専門分野の課題に取り組む際にも、今一歩デザインが突き詰められないようにみえます。デザインでは、才能のあるなしに関わらず、まずきちんと丁寧に仕事に取り組むことで相当高い水準に到達できるはずで、センスや才能はその先にあるのではないでしょうか。
—中日新聞社の仕事はどのようなことをされていましたか?
また、もう一度学生に戻ろうと思った理由はなんですか?
中日新聞社の編集局デザイン課は、元々は「図案課」という名前で、
記者の依頼に合わせて地図やグラフなどの視覚的な部品を制作する部署でした。
そのため、たとえば新聞紙面全体のデザイン性といった統括的な視点での発言ができるとは
なかなか言いがたい立場にありました。
僕自身は「デザインは部品をつくるためのものではない」という考えを持っていましたから、
編集局に対して、新聞づくりにおけるデザインの有効性やデザインの総合力を説き、
社内でのデザインに対する意識を高めるように努めました。
その後、紙面で連載される時評の挿絵を3年ほど担当したのですが、その仕事をきっかけとして、
紙面全体のレイアウト等についてもデザイン面での意見を出していけるようになりました。
芸術工学部を卒業した人間の責務として、デザインの先端領域のみならず、
これまでデザインにさほど強い認識を示してこなかった業界に対して、
デザインの可能性を具体的に示すことが挙げられると僕は考えています。
情報を視覚的に表現し、読者に分かりやすくデザインするという
中日新聞社の仕事はとてもやり甲斐のあるものでしたが、
一方で新聞という枠組みを超えた取り組みにはなかなかチャレンジできませんでした。
デザインでやれることがまだ他にもあるのではないか、その見識を広げるために
再度勉強したいと思い、新聞社を退職して大阪大学大学院に入学しました。
—デザインに関する意識改革が必要な分野は多くあるのでしょうね。
学生時代に興味のあった分野、専門は何ですか?
特定の分野に的を絞って他分野に関心を示さないのは芸術工学部の理念にそぐわないと考えていたので、色々な分野をまんべんなくつまみ食いすることを意識的に行っていました。ただ、どうも器用貧乏になりそうでしたので、しっかりとした芯が必要だと感じ、名市大の大学院では川崎先生の研究室で2年間じっくりと勉強させていただきました。
僕が在籍していた当時の芸術工学部のカリキュラムですが、1年次に絵画や彫刻などを通して基礎能力を修得し、2年次と3年次の前期まではグラフィック・映像・情報工学・建築・都市景観など様々な分野の講義や課題に取り組みました。最終的に専門分野を決定したのが3年次の後期終了後。このタイミングはさすがに少々遅かったようで、就職活動の際にも、
専門的な知識や技術についてのトレーニング不足が課題として浮上してきました。
今では2年次から専門分野を決めて集中的に取り組める形になったようですね。
これは確かに良い面もあるのですが、逆にもったいないと思うこともあります。
一分野に特化して学習する環境が確立してしまうと、時折、芸術工学部が本来備えている
「器の広さ」を有効に活用できない事態が発生してしまう。
芸術工学部には多くの専門分野を横断的に学べる環境があるのだから、
周りに目を向けて、芯を持ちつつ積極的に幅を広げていってもよいと思います。
とはいえ、専門性と総合性の両方を身につけられる「完璧なカリキュラム」をシステムとして
構築することは難しいので、理想の実現には学生の
自主的かつ積極的な取り組みが欠かせないでしょうね。
―芯があり幅広いっていいですね。
小川さんは多くのことを学ばれていますよね。
その中でも特にやりたいデザインとは何ですか?
学生時代はとにかく色んなことをやりました。
現在、特に興味を持って取り組んでいるのはコミュニケーションデザインです。
何をデザインするにしても、モノと人との間に発生する対話や、
モノを通じて人と人との間に発生する対話を無視することはできません。
その対話、つまりコミュニケーションをいかにデザインするかについて
研究と制作の両面から考えていきたいです。
大阪大学大学院では、川崎先生が「いのちと向き合うデザイン」をテーマに掲げており、
僕自身もその場で先生が取り組む複数のデザイン研究プロジェクトに関わりました。
そこで得た経験と、川崎先生が提唱された理念が、今の僕の活動の規範になっています。
たとえば医療の現場において、不透明な情報や分かりにくい情報があることにより、
医療全般に対して怖さや不安を感じることがありますが、それを緩和して解消するために、
デザインで何ができるのかを考え、提案していきたいと思っています。
—ホームページを拝見したのですが、
小川さんは多くの作品を制作されていますよね。
また、コンペにもよく出されているようですが?
コンペは、自分の得意・不得意な部分を確認したり、プレゼンのスキルを向上させたり、
実践的な能力を高めることができるので、学生達には積極的に応募するように言っています。
やるたびに力がつきます。そのうち、ただ与えられたテーマについて考えるのではなく、
なぜそのテーマを設定したのかといった背景や社会的状況までも深く考察しながら
戦略的にデザインすることができるようになります。
この経験は、応募作品のクオリティ云々以上に、
将来デザイナーとして社会に出て仕事をする際にも非常に大事だと思うんです。
単に言われた要求に応えるだけではなく、なぜそのデザインが必要なのか、
そのデザインによって何を実現し、どんな未来を拓くのか、
というところまで考えを突き詰めなければ、良いものにはなりませんから。
—深く考えるということが重要なのですね。
就職活動の際、ポートフォリオをどのように作っていけばよいですか?
名市大は、これまでの先生方のご指導の甲斐あって「コンセプトに強い大学」という評価を頂けていると思います。ですので、まずコンセプトの部分は外さないことですね。課題に対して何を問題と捉え、どう解決へと導いたか、それらを系統立てて整理し、短く明快な言葉で分かりやすく示すことが大切です。毎年、芸工の卒業制作展を拝見していますが、とにかく制作内容を一通り書き上げることに執心してしまって、見やすさにまで意識が向いてない人も時々見かけられます。
「どう伝えるか」という能力は、まだ伸ばす余地があるかな、と思います。
ポートフォリオに関して言えば、全般的に学生は情報を詰め込む傾向にあるので、
もっと思い切って構成に余裕を持たせたり、ページをめくることで読む人の意識を変えるなど、読まれ方のデザインにも配慮すると良いですね。
一度、作品の説明に必要な諸要素を徹底的に解体してみると、
詰め込み型とは別のまとめ方が見えてくるように思います。
—社会人になられたうえで、学生のうちにやっておくべきことは何ですか?
無茶をすることですね。失敗することを恐れないでほしい。
むしろ失敗すればするほど自分の身になると思ったほうが良いです。
岐阜で1年間、教育活動に従事してきましたが、
今の学生達はすぐに正解を聞きたがるし、
すごく効率的に答えにたどり着こうとするように感じます。
失敗や回り道を「ただの時間の無駄」だと考えている節があるんです。
まず自分で考えなさい、実際にやってみなさいと言っていますが、なかなか直らないですね。
頭や手を使わずに聞きかじっただけの情報は、価値としては希薄で、
せいぜいその場を切り抜けるぐらいの役にしか立ちません。
それに比べて、何らかの失敗を実際に経験して「なぜ失敗したのか」を身をもって理解できれば、
その経験を発展的に応用して別の事例に対応することも出来る訳です。
そういう意味で、たくさん失敗してください。
また、周りと積極的に触れ合い、刺激し合うことも大切です。
大学は、自分とは異なる考え方や価値観を持つ友達や、経験豊かな先生方から、
色々な情報を引き出して自分の中に取り込める環境なんですね。
一度聞いたこと、知ったことは、一時忘れることはあっても決して消えてなくならない。
いつか自分にとって必要になった時にパッと出てきて、
「あ、あの時こういうことがあった」となるものです。
とにかく学生時代は、周りからたくさん吸収し、たくさん失敗し、
体当たりで自分を成長させていくことが大切です。
—芸術工学としてのデザインとはなんですか?
一つの視点にとらわれず、総合性を備えたモノづくりへの取り組みだと思っています。
初代学部長である柳澤先生が、僕達一期生に対して「芸術と工学は、
その成り立ちもスタンスも大きく異なる。
芸術工学部が目指すのは芸術と工学の融合ではなく、調和である。
そのハーモニーによって生まれる新たな未来に期待したい」とおっしゃっていました。
自分が学んだ様々な分野の知識や経験、それらが混ざり合うことなく、
各々の個性を保ちながらも調和し合い、化学反応を起こしていくこと。
それが、芸術工学としてのデザイン、つまり『総合デザイナー』なのではないかと考えています。
そして、目指すところは、やはり人間の社会や生活を真の意味で豊かにすること。
デザインは、理想をただの言葉でなく、モノやコトといった具体的なかたちで
示すことができる仕事です。
芸術工学部で学んだ身として、そういったデザインの可能性を次世代の学生達に少しでも
伝えることができれば、という思いで、今の仕事に取り組んでいます。
インタビューワ 山下 咲衣子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
プロダクトデザイン志望―インタビューの感想―
一期生の当時のお話は、とても興味深く楽しかったです。
基礎造形は本当に大切だと感じました。作業をする際に気をつけていきたいです。
Vol4. 2010年3月 遠藤 頌太さん 芸術工学部8期生
農業ベンチャー 食品安全マーケター※
株式会社M-easy遠藤頌太
8期生 視覚情報デザイン学科 平成18年度卒業
大学院芸術工学研究科 平成20年度卒業
森島 紘 研究室※専門的な知識を有し、消費者に安全を届ける職業。
※安全な商品を流通させるためのマーケティング企画立案従事者
-どんな仕事をされているのですか?
M-easyという常滑で無農薬・無化学肥料にこだわった農業をしている会社で働いています。
会社名は「Making the Earth Alive SYnergy」の頭文字を取ったもので「相乗的に地球を良くしていこう」みたいな意味です。
小さい会社なので事業計画や店舗設計などほぼ全てのことに関わるんですけど、僕の仕事は野菜の販売に特化した「やさい安心くらぶLLP(有限責任事業組合)」事業の活動がメインです。
-入社1年目で会社の全てのことに関わるなんてすごいですね。
その「やさい安心くらぶLLP」での仕事を具体的に教えていただけますか?
簡単に言えば、野菜の移動販売をやってるんですが、自社で作っている野菜だけでなく、自家用野菜に着目したのがポイントです。
常滑周辺ではたくさんの人が畑を持っていて、多くの方が自家用に野菜などを作っているんです。そういった野菜は自分たちが食べるから無農薬か最低限の農薬で済ませるので、市場の野菜より安心・安全。
その野菜を集めて、我々の考えに賛同して下さる名古屋の飲食店やお花屋さんの土地をお借りして販売する。販売場所を名古屋にしたのは、都心部に行くほど安全な野菜が手に入りにくくなり、消費者のニーズが増えるからです。
仕事の目標が二つありまして、一つはいかに安全な野菜で消費者に健康を届けるか。
もう一つは農業を経済的にどうやって自立させるか。
-作り手が食べている野菜なら確かに安心ですね。
では、その二つの目標について詳しく教えて下さい。
まず安全な野菜についてですが、我々の野菜を買いに来られる方の中には、持病をお持ちの方や、アレルギー体質の方がたくさんいらっしゃいます。
そうした安全を求めて買いにきて下さる方を裏切らないように、今の我々の技術では無農薬栽培が難しい野菜も、「全部無農薬にするぞ」って農家さんと気持ちを一つにしてやっています。
そして豊田市旭町の限界集落では、11人の若者が定住して完全無農薬・無化学肥料の自社製野菜の栽培に取り組んでいます。そこはきれいな清水の流れる山奥の秘境で、若者たちはお寺で共同生活を送っています。
究極の目標として健康な野菜を届けて病気を治すとか、予防医療とかを目指してます。実際に予防医学に力をそそいでいらっしゃる医師と協力して年に一回セミナーを開いたりしています。
農業の経済的な自立を目標にするのは、農業の問題を解決するには後に続く世代が出てこないといけないから。
農業の平均年収は100万円くらいなのですが、それを上げて就職活動の選択肢に農業が普通に出てくるくらいまでにしたいです。まずは自分達が成功事例を作ることで、憧れや夢を持った世代が出てくると思うんです。
-安全な野菜作りは、豊田市にも出来た生産チームに期待が持てますね。
そして農業の経済的な自立には、
農業は儲からないという固定観念を無くすことが重要なのですね。
では解決すべき農業の問題とはなんでしょうか?
僕の実家も兼業農家なんですけど、親の世代は外に働きに出て農業をしているのはまだ祖父母という現状があり、今の課題は祖父母から孫の世代への代継ぎ。でも孫も大半が反発する。そうすると、土地を受け渡せず、耕作放棄になったり、限界集落になっていったりする。
生産側の利益が少ないことも問題です。
例えば愛媛のみかん農家は、みかん一個の卸値が1~3円くらいと聞きます。
卸から小売までの中間経費がすごいかかるので、ほんとに生活できないような値段で取引しているんです。
大手小売に力があるので、小売が値段を下げたら、圧迫されていって生産農家が一番打撃を受ける。我々の会社は中間経費を全部取っ払うために、物流コストはかかるんですけど、自分たちで農家さんのところまで取りに行って、売る。利益配分は売り上げに対して我々と農家さんとで50:50なんですよ。他の会社には無いビジネスモデルです。
-生産者と対等な立場で取引をするビジネスモデルなんですね。
本当にやりたい事に向かっていらっしゃるように見えます遠藤さんですが、
学生時代に悩みはなかったんですか?
今でこそ自分の目標がありますけど、自分は何をすべきなんだろうってずっと思ってました。学部の時は興味のあった環境デザインをテーマにパッケージやグラフィックをやっていたんですけど、自分の中でしっくり落とし込んでる感覚がなかったんです。
なので、もうちょっと考えてみようと大学院に進学して、トリノ工科大学に留学もしました。でも、どんだけもがいてみても、結局しっくりこなかったんです。
そんな時、農業へシフトしていくきっかけが森島先生のアドバイスだったんですよ。修士研究のテーマが決まらず相談したりして、ある時自分の身内話になりまして。
自分の家の農業の後継者問題とかのお話をしたら、「お前、なんでそれやらないんだ」って(笑)。
今だから分かったんですけど、僕は長男で農業の跡継ぎ問題が小さい頃からあったんです。
でも、自分の可能性が断たれるのが嫌で、常にそこから離れるような行動を取ってきた。
それで最終的にはトリノまで行った。
結局何も見つからなかったけど、一旦離れてみると自分っていうのが見えたんですよね。
やっぱり実家の農業のことが常に頭の中をチラつく。
こんなにも気になるんだったら、一回腹決めてやってみようと思いました。
なんとなくとんとん拍子に進んでいったのはそれからですね。
-なにをするか迷われていたなんて、情熱的に仕事を
なさっている遠藤さんからは想像がつかないです。
今の会社にはどうやって就職されたんですか?
農業をテーマに研究を始めたころは、農業の話題が旬で、新聞記事に今の会社が載っていたんです。
それでコンタクトを取ってお会いし話をしたときに、これって自分がやりたいことの一つの具体例かなって思ったんですよ。
卒業後も気になっていたので、また連絡を取るようになり、そのうちにやっぱりやりたいことに近いなと思いまして。「やさい安心くらぶLLP」という販売事業が始まって間もない頃だったので、自分のやりたいことが出来るんじゃないかなとも思って、迷わず飛び込みました。
-すごい行動力ですよね。
その姿勢が、M-easyとの出会いを導いたんですね。
今だから言える大事なことはなんですか?
人と会うことを大事にしてください。
何かを成し得ようと一人で長時間かけて努力したことが、
実は人に聞けばたった一分で分かるってことがざらにあるんですよね。
人の力を借りてやればいいから、いかに怖がらずに会ったり吸収しようって思うか。
人に助けられて生きているって感じるし、大学の時の恩師 森島先生、
そういった存在が無ければ今の僕は無かった。
いろんな人に聞いたり意見を言ったりして、進むことってあると思う。
僕も何やりたいか分からなかったけど、見つけようともがき続けたのは確か。
興味を持った人に会いに行ったり、行動したから、結果がよくなってきたっていう感じです。
家で悩んでても、絶対に見つからへん。
神様って見捨てへんもんでね、自分の一番大切な部分を思い切って差し出すでしょ。
すると絶対それに応えてくれる。不思議ですよね、誰かに引っ張られてるような感じ。
すごく抽象的に言うなら、運命(笑)。
-素敵ですね。
勇気を出して行動することで、やっと自分らしい景色が見えてくるんですね。
最後に遠藤さんにとって芸術工学とはなんですか?
大学で一番何が養われたかというと、自分の場合は課題解決力だったりバランス力だったりだと思うんです。たとえ専門外の事であっても、ある程度物事を理解してしまえば、芸術工学という学問がどんな分野にでも活かせると思うし、芸工生として社会に通用する実感があります。
今の仕事でいえば、農業を農業の力だけで何とかしようって思っているのではなくて、医学や栄養学、情報を農業と結びつけることで一つの新しい価値にしようとしてるところ。今まで個別だったもの同士を結んだら相乗効果があるんじゃないって感性は、芸術工学のとても良い所じゃないかな。
インタビュアー:稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
何かを成し遂げたいと思う、夢の力は偉大だと感じました。
自分の立ち位置が分かって、そこから物事を眺められるような大人に、早く仲間入りしたいです。

















































