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Vol16. 2012年5月 林 典子さん 芸術工学部8期生
株式会社ケイ・ウノ
宣伝広告係林 典子
8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
山口良臣 研究室

―林さんの仕事について教えてください。
ジュエリーの販売やデザイン・制作をしている会社の宣伝広告係で、プレス(広報)や販売企画をしています。
具体的には季節ごとのフェアや雑誌広告の企画をするのですが、先日担当した女性雑誌のタイアップ記事では、雑誌編集者と誌面構成を考えたり、モデルの撮影に立ちあったりと、良い経験をさせていただきました。ブライダルイベントのブースデザインをすることもあります。いかにお客様に楽しんでいただけるか作戦を立て、ディスプレイはもちろんブースのレイアウトや色味、入口の形などをデザインします。
また、販促物やショップ袋、ジュエリーケースなどのディレクションをして、社内のデザイナーと話し合いながら作ることもあります。自分でIllustratorなどを使って制作をするわけではないですが、意外に芸工らしいことをしていますね。
―林さんはどのような学生だったのですか。
私たちの頃は今よりも実習の選択が自由でしたので、プロダクトやグラフィック、映像など色々な科目に取り組んでいました。もちろん実習も楽しかったのですが、課題に黙々と一人で取り組むよりも学校祭のようにみんなで企画してつくり上げることの方が魅力を感じていました。新入生歓迎会やクリスマス会を企画して走りまわっているのが好きな学生でした。
―そうした経験から仕事を選んだのですか。
就職活動では、自分が本当にやりたいことが始めはわからず、自己分析をしたり色々な業種のことを調べたりしていました
就職活動って恋愛みたいなもので、相性があったら受かるって聞きますよね。だから受かったところが運命の場所なんだろうって、たくさんの会社の説明会に行きました。でも、始めは選考を受けていてもどこかピンとこない会社ばかりで、そういう会社は結局落ちてしまっていました。そして夏を過ぎても内定が貰えず焦り始めたころに、ケイ・ウノに出会いました。
就職情報サイトに掲載されているたった3行の会社説明の文章を見て、ここだ!って。ビビビっと来てすぐにエントリーボタンを押しました。
ケイ・ウノは主に結婚指輪などのオーダーメイドジュエリーの販売をしているので、「一人ひとりのために世界でひとつだけのデザインをする」という考えに共感したのだと思います。お客様の一生に一度の宝物探しのお手伝いがしたい!と、当初は接客業で入社しました。
ところが入社のタイミングがちょうど宣伝広告係を立ち上げる時期と重なり、1カ月間接客業を経験したあとに今の配属先に異動となりました。
―もともとは接客希望だったのですね。
学生の頃に3年間スーパーで接客のアルバイトをしていましたし、人と話すことが好きだったので。宣伝広告に異動してからも、一度だけ接客に戻りたいと悩んだことがありました。
でも、宣伝はお客様が私達のブランドを知る最初の扉なんですよね。接客しながらお客様の幸せな顔を見たいと思っていたのですが、宣伝広告係ではお客様の来店されている数を見れば自分たちの想いが伝わったことが分かります。そういうことに携わることができるのは、とてもありがたいことだし、やりがいを感じます。お客様と直接話す機会はなくても、社内の先輩や後輩、社外の業者の方々と話し合い、アイディアを出し合う機会も多いので楽しんで仕事に取り組むことができています。
今は入社して6年が経ち、プロモーションチームのリーダーという立場を任され、後輩も増えました。そうなってくるとマネジメントといいますか、チームのことも考えなくてはならない立場になります。最近では、周りのスタッフの夢を叶えつつ、一番効率よくスタッフみんなのパワーを引き出すためにはどうするべきかを考えるようになりました。
今は後輩のイキイキしている顔や、頑張っている姿を見られることが本当に嬉しいです。先日も少し大きめの仕事を任せた新入社員が、報告会で泣きながら「辛いことを乗り越えた」という話をしてくれて、本当に良かったなと感じました。
―仕事をする上で、何か気をつけていることはありますか。
健康管理には気を遣っています。私がピリピリしていたり、疲れて元気がなかったりすると、きっと後輩は困っていても、私に相談しにくいですよね。オフィスの空気は上司が作るものだと思うんです。私自身も新入社員だった頃、先輩に声をかけてもらったり、ちょっとしたことにメッセージをくれたりしたことが、とても励みになったことを覚えています。だから、元気に挨拶をしたり、お昼休みに話しかけたりして、みんながホッとできるような雰囲気づくりをしようと心がけています。
学生時代よくしていた徹夜も絶対しないですね。仕事では、いかに時間内にクオリティの高いものを仕上げるかが重要だと思います。
そして仕事は仕事、仕事が終わったらプライベート、としっかり分けています。プライベートでは会社ではできないこと、例えば、情報を取り入れる時間として使うようにしています。街に遊びに行っても、素敵な看板やディスプレイを探したり、楽しい買い物ってなんだろうって考えたりするように意識しています。
―逆に社会人になってからも学生のころと変わらないことはありますか。
「来てくれた人を楽しませたい」それは学校祭や新入生歓迎会の運営のときも、今の仕事でも変わらない想いです。そして、各担当者がバラバラだと何もいいものはできないので、役割を分担して進行状況を見て…。皆で足並みを揃えることの大切さは変わらないですね。
それから、学校の授業でプロダクトを作るにしてもポスターを作るにしても空間をデザインするにしても、社会やそれを使う人のことを考えてデザインしますよね。私は今雑誌を作ったり、ネットに載せる言葉を選んだりしていますが、やはり同じポイントを意識しています。どんな仕事をするにしても、社会や人のためを考えなくてはいけないと思っています。
―学生時代にしておくべきことなどありますか。
とにかく多くの人と話すことをお勧めします。先輩後輩問わず、バイト先の店長でも、他学部の子でも。人と話すといろいろな考え方に触れられるし、自分の持っていない情報を得られますよね。それってとても得だと思うんです。学生のうちにできるだけ価値観が異なる人たちの話をたくさん聞いて、視野を広げていって欲しいと思います。
たくさん吸収できる時期ですので、色々な世界を見て、就職をしてからの視野を広く持てるように準備できるといいですね。その方が人生、楽しく過ごせるのではないでしょうか。
私は結構人見知りなのですが、意識して人としゃべるようにしています。人事部にも商品開発部にもよく足を運びますし、やはりお客様の声を聞くことが大事なので店頭スタッフにもよく電話します。
それに店頭スタッフが商品に対して、「わっ、かわいい!」って盛り上がって愛情を持つことが出来なければ、その良さをお客様に伝えることは難しいと思います。だからよく店頭に行って、どうしたらもっといい商品ができるか、どんなフェアがあったら楽しんでもらえるかと尋ね、みんなの意見を吸い上げながら企画をしています。その方が店頭のスタッフも押し付けられている感じがしなくて「自分達で作り上げている」感が出ていいですよね。自分も参加しているので愛着が沸くし。そういう対話から生まれたものは、デザイン云々ではなく、お客様の喜びにつながります。
―もうすぐ社会人になる学生にアドバイスはありますか。
最初の1年は辛いことも多いと思います。覚えることがいっぱいあるし、会社からの信頼を構築する時期ですしね。「あの子はどんな能力があるんだろう」って試されてように感じることもあるかもしれません。でもそれって逆に言うと、先輩や上司にアピールできるチャンスでもあります。頼まれたことを着実にこなしたり、積極的にコミュニケーションを取ったりして、信頼されるスタッフになることが大切だと思います。
2年目は1年目で得たことを死に物狂いでやって、自分のモノにしていく時期だと思います。3年目になると仕事も一通り出来るようになり、冷静に将来のことを考えるようになって「この仕事でよかったのかな」と悩む人も多いと思います。実際に私の友人の中にも、そういった人がいました。でも簡単に「こんなはずじゃなかった」と諦めるのではなく「この状況は何か問題なんだろう」「どうしたら乗り越えられるかな」と考えてその時期を乗り越えてみてください。いつの日か、とても成長している自分に気づきますよ。
学生と社会人は様々なことが違います。環境が変わるということは誰にとってもストレスです。たくさん悩んで、たくさん泣いて、しっかりと仕事と向き合ってほしいと思います。
インタビューワ 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科―インタビューの感想―
林さんはお仕事のお話を楽しそうに、生き生きと語ってくださって、とても格好良かったです。
仕事仲間への気配り、仕事にかける熱意等、いろんなことを考えながら組んでおられる様子が伝わって来ました。
インタビュー中にも集団で作り上げることが好き、とおっしゃっていましたが、そのためにたくさんの努力をされているのだと感じました。
自分も林さんの仕事に対する姿勢を見習っていきたいと思いました。
Vol15. 2012年3月 寺井(深津) 真理さん 芸術工学部6期生
株式会社ベネッセコーポレーション 編集者
寺井(深津)真理
6期生 生活環境デザイン学科 平成16年度卒業
大学院芸術工学研究科博士前期課程 平成18年度修了
鈴木賢一研究室
―まず、学生時代のことを教えてください。
学部から鈴木研究室に所属していて、院生時代にはちょうど、「だがねランド」の立ち上げに関わりました。2011年の日本建築学会賞を受賞したり、今でこそ定着していますが、立ち上げのときは手探りでしたね。だがねランドのキャラクター「だがねずみ」とか通貨「ダガネ」とかも私たちの時にデザインしたんですよ。
だがねランドは子どもたちを対象にした、まちづくりや建築の体験型の学習プログラムです。名古屋都市センターを会場にして大学生や建築家と一緒に、夏休みの前半に建築やまちづくりのワークショップをした後、紙管や段ボールなどで実物大のスケールで商店街をつくります。このとき作業をした子どもたちには仕事の対価として、ちゃんとダガネを支給します。後半は自分たちで作ったまちで働き、遊ぶんです。商品を作ったり、それをダガネで売り買いしたりして。このようなリアリティある建築学習のシステムは、当時全国で初めて(!?)だったんじゃないかな。
―今はベネッセで働いているということですが、ここを受けようと思ったきっかっけは何ですか?
子どもと建築と教育というキーワードで会社を探していたんですが、愛知万博の市民プロジェクト「漂流日記」をやったこともあって、最初は広告代理店をいくつか受けてました。でも、広告代理店系は受からなかったんですよ。そんなときに「君のやりたいことってベネッセとかもあてはまるんじゃない?」と尊敬する人にアドバイスをいただいて。エントリーしたらトントン拍子に進み、内定をいただいたんです。
採用枠は営業と編集の二つがあったのですが、ベネッセでは入社後に適性を見て配属されます。私は編集に配属されて教材の制作に携わっています。教材といっても、教職の免許を持っている人は半分もいないかな。文系と理系と半々ぐらいでいろいろな人がいます。
採用試験では新聞の広告制作というグループワークが課題で出されたのですが、きちんとコミュニケーションができるかが見られていたと思います。仕事は自分一人ではできなくても、人と相談や協力することで、完成させることを求められるからです。
―どのようなお仕事をされているのですか?
最初は進研ゼミ小学講座の社会科の教材を2年間担当した後、希望していた副教材の担当になりました。副教材というのはお楽しみの読み物や投稿ページなどで、主要教科は指導要領があるのである程度決まった方針がありますが、副教材にはそれがないので、子どもたちに何を届けたら良いか、一から考えます。
約60ページの冊子を3人ぐらいの編集者で作っていますが、こんなふうに私たちがラフ画を描くんですよ。デザインをしたことのない文学部出身の人も。これをもとにデザイナーやイラストレーターに発注します。そして、あがってきたデザインに対して、文字校正やレイアウトの変更などあれこれ赤入れをしながら、一緒に作っていきます。そういうクリエーターと試行錯誤しながら作り上げるのは楽しいですよ。デザイナーでも、こちらのラフをガラっと変えてデザインする人もいれば、そうでない人もいて。タイプが全然違うので、企画によって頼む人を決めます。その時々で仕事の仕方も変わってきますが、基本的に編集はすべての工程を把握しているし、ゴーサインを出すのは編集の役目です。
以前、芸工の友人に「アートディレクターみたいだね」と言われました。誌面のデザインをするのは私ではないですけど、そのディレクションをしているように見えたのでしょう。
―編集者がラフを描くなんて意外でした。仕事の幅が広いですね。では企画はどのように考えるのですか?
企画のアイディアのおおもとは子どもです。ベネッセでは子どもたちへのアンケートやヒアリングを積極的にしていて、それを参考にしています。好きな色とか、人気のスポーツとか。
以前作った職業についての副教材では、子どもに人気のあるサッカーの選手を取り上げました。小学5年生ぐらいだと「好きだからこの仕事がしたい」と思っているんですけど、いくら好きでも皆がサッカー選手になれるわけではない。でも、サッカーの記事を書くライターという仕事もあるよ、と教えてあげることで視野が広がりますよね。この冊子ではあこがれる身近な仕事から周辺にある違う仕事へつなげていこう、というコンセプトで作りました。
―面白い企画ですね。大変なことも多いですか?
たくさんの人が関わって制作しているので進行管理が大変ですよ。ひとつの特集をデザイナーやライターなど多くのスタッフと関わりながら3カ月かけて作っていて、月刊の冊子でいくつかのコーナーを担当していると、4月号の色校正をしながら5月号のデザイン依頼をして…、と常に企画が同時並行で動いていくことになるんです。発行日は決まっているので予定通り進めていかないと大変な事になるじゃないですか。自分でスケジュールを立てるんですけど、慣れるのには相当時間がかかりました。入社して半年ぐらいはOJT(On-the-Job Training)といって、上の人に教えてもらいながらやって、だいたい1年ぐらいで何とか一通りできるようになると思います。
今までやってきたことや特技などは、最初のうちはなかなか発揮できません。よく、就職活動中の学生さんが「即戦力になりたい」と言ったりしますがなれるわけがない。報・連・相(ホウ・レン・ソウ)とか取引先との対応とか、社会人として基本的な動作ができて初めて、得意なことが活かされるようになると思います。3年くらい経ってある程度できるようになると、今度は自分の強みを伸ばして頼られる人材になっていかないといけません。
―私も即戦力という言葉を使っていましたが、反省したいです。入社して芸工時代と変わったことはありますか?
芸工生って提出の締切ぎりぎりまで粘って、課題の細部にまでこだわったりする人多いですよね。私はめちゃめちゃそういう気質でしたが、今は良くも悪くもそういうのを残しつつ、そうじゃなくなったかなって思います。最後までこだわり続けて10時間残業しても、子どもたちにとっての価値は数パーセントしか変わらなかったりする。それなら、新規の企画にあてた方がいいかもしれない。ラフを裏紙に描いたりセロハンテープで切り貼りしたり、大雑把に仕上げてもそれで伝わる。下手にこだわるよりちゃんと締切を守り、全体をきちんと伝えることに意味があると気付きました。これは仕事を始めたことによる変化ですね。
―自分のことだけを考えればいい学生時代ではなく、それ以外のこともきちんと考えないといけない。その中で逆に変わらないことはありますか?
探求心は変わらないと思います。新しいもの作りたいとか、人と違うデザインでものを作りたいとか。モチベーションが下がる時もありますけど、できてきたり山を越えると、次は仕上がりが楽しみになってまた頑張れる。芸工時代にものを生み出す悩みとか苦しみをたくさん経験したおかげで鍛えられたのかな。いろんな人と関わりながら作っているのも、救いになっているかもしれません。デザイナーから刺激を受けたり、社内の人に相談したりできますから。クリエイティブな仕事をしているのであれば、相談相手は多い方がいい。社会に出て、仕事は一人でするものじゃないと思いました。
(インタビュー:2011年7月19日)
インタビュアー 宮城真紀
13期生(平成20年度入学)都市環境デザイン学科 原田昌幸研究室
エクステリア業界に就職予定−インタビューの感想−
小学生からお世話になっていたチャレンジの話に花が咲きました。
どの仕事もですが、多くの人たちと関わりながら進んでいくこと、
また社会人としての責任を教えていただきました。
就職する前にインタビューができ、良かったです。
Vol14. 2012年3月 一宮 しのさん 芸術工学部5期生
デザイナー
一宮 しの
5期生 生活環境デザイン学科 平成15年度卒業
三上訓顯 研究室
―大学を卒業してからは何をされてましたか?
まず、卒業してからは建築デザイン事務所に1年いました。芸工で学んできたことと違い、格好良い格好悪いという、感性だけでプランが進んでしまうようなところだったので、違和感を感じて過ごしていました。でもここで鍛えていただいたお陰で、パースはとても魅力的に描けるようになりましたけどね。
その頃に三上研究室のOBOG現役生の集まりがあったんですけど伊藤先生(現在名古屋工業大学准教授、当時三上研博士後期課程在籍)がいらしていて、建築事務所のスタッフを探しているんだけどやらないか?と誘って下さって転職しました。あと伊藤先生のご紹介で、愛知産業大学の非常勤講師も一期だけしていました。
―転職先の建築事務所ではどういった仕事をされていましたか?
事務所の名前はTYPE A/Bというんですけど、建築・プロダクト・グラフィックなどのデザインだけでなく、企業や店舗のブランディングやプロデュースまでやる所で、グラフィックの文字組などの細かいところや、ブランディングを行う際のマーケティングなど、たくさんのことを学びました。もちろん建築設計もやっていて、店舗のデザインをする際は、ブランディングからグラフィックまで一貫してやっていました。それから他の事務所とコラボレーションして展覧会を行ったりもしていました。
事務所に入って2年目くらいからはただ教えられるというだけでなく伊藤先生と一緒に作っているな、という実感がありましたし、特に入社当初から関わっていた、店舗兼住宅のCad:coには物件探しから建築設計・ネーミングなど並々ならぬ思い入れがありますね。
―同時期に非常勤講師もされていたようですが、どういったことを教えていたのですか?
非常勤講師では、学生に建築のプレゼンテーション方法を教えていました。始めは、何を教えようかと悩んだんですけど、技術的なことはもう授業で学んでいて、そういったことは自分たちでやっていけば良いと思ったので、実習をブラッシュアップさせるための講義にしようと考えました。
自分のプランがいかに良いかをうまく説明できていない子がほとんどだったので、それをもう少し引き出してあげられるように、リサーチ方法や表現方法を教えました。例えば、コンセプトシートを作成することで考えを整理することや、パース1枚描くにしてもどこに人を描くのか、それ次第でパースが生きたりする。そういったことを教えていました。私の知っている知識の中で、学生さん一人一人の個性が出るように。あと、分からないから教えてもらってないから、できませんという人には、調べ方を教えたりしました。全てを教えるんじゃなくて、ヒントをあげる感じですね。
―自分自身の経験を生かした講義をされてますね。なかなかできない経験ですがどうでしたか?
非常勤講師って人前に立って話さなきゃいけないじゃないですか。私は小心者なんで、すごく緊張しました。数ヶ月前から入念に準備してたんですけど、3日前からご飯がのどを通らなかったり、時間を計って家でぶつぶつ話す練習もしてました。だんだんと慣れてきたんですが、もともと半期だけと決めてましたので継続の依頼は丁重にお断りしました。
この頃から海外の大学院に行きたくて、事務所をやめて3ヶ月ほど語学留学しました。このまま日本で毎日たった数時間英語の勉強のしたところで埒があかないと思って。丁度自分が担当していた住宅(Cad:co)が竣工して、タイミングが良かったのもあります。周りにはとめられましたけどね(笑)。
―留学にとても興味があるのですが、その時のことを詳しくお願いします。
留学先はフィリピンでした。ここは留学費用が安くて、1対1で家庭教師をしてくれる利点が有るんですよ。留学生の宿舎に、レベルや授業内容に応じて現地の先生が来てくれるんです。韓国では有名で、一度フィリピン留学で英語の勉強した後、欧米に留学するのが主流らしいです。
フィリピン留学の後、東京に出て派遣会社に入り、某有名ブランドへ派遣されました。英語の勉強をしながら仕事をしていたのですが、志望していたシンガポール国立大学の大学院試験に落ちてしまい…。これはお前日本で頑張れっていう天の声かなって思って(笑)、ここ日本で頑張ろうとなりました。
―大学院に落ちた後も派遣会社で働いていたのですか?
英語の勉強をするための時間が欲しかったから派遣会社で働いていたので、落ちた後はやめました。
その後貴金属やドッグオーナー向けの商品を取り扱う会社で働きつつ、ご縁があって始めた赤坂の店舗運営準備に奔走していました。その会社では、会社の立ち上げから関わっていたので、広報から雑用まで色々やりました。どういったものが売れるか、市場展開を考えるのも楽しかったですね。店舗の方は、イタリアンレストランの居抜の店舗がある状態から始まり、私と同い年のメンバー三人でターゲット層やテーマからお金の管理方法まで全部考えていました。香りをテーマにメニューとサービスを提供し、日替わり・時間割制で店舗を運営していく、という面白い試みだったと思うんですけど破談になっちゃいました(笑)。
―では現在は何をなさっているのですか?
今現在は、フリーランスのデザイナーとして始めたばかりです。
まだまだお金にならないに等しいけれど、絵本の装丁のお仕事や、マンションのリノベーション、シェアハウスの物件探しとリノベーションなんかのお話があります。それも旅先のインドで出会った方だったり、シェアハウス仲間から、といったご縁でお話をいただいてます。
最近は20代で起業している人たちや、面白い事やろう!というパワーのある人たちと出会うことが多いので、そんな人たちと一緒にコラボしながら楽しくやっていきたいですね。
―驚きました。様々なことを経験されていますね。
よく言われます(笑)。 生活環境デザイン学科に在籍してたので、周りから「建築以外もほんといろいろやるよね」と言われたけれど、私からしたら何も変わっていないと思います。モノとかコトとかを造り出して行くことに、なにをやるにも変わりはないと無いというか。形を、どういうものをつくるかが結果的に違うだけで、プロセスは変わらない。だから逆に、何が違うの?とも思います。ご縁があったもので面白いと思ったものはやりたい、って思っちゃうんですよね。ただ単にモノをデザインするというよりは、企画段階から入っていってストーリーを構築していくことの方に興味があるので、たくさんの人と関わりながら、その中で技術的に自分ができることをやっていければいいな、と思います。
それは芸工にいたからこそ、そう考えられるようになったんじゃないかな。様々な専門分野の先生たちがいて、学生がいて、やっていることや考えてることも違うのだけど、たくさんの人と一緒に過ごす事で、何をするのにも大した垣根はないんだって教えてもらった気がします。
卒業して8年経つけど、腹を割って話せるのは芸工の子たちだと思います。根本的な志が似てるからかな。同じ空気を持っていて、同じ環境で過ごせた人ってそうそういないですよ。苦楽を共にしてきたし、良い面も嫌な面も全部見せてきてますからね。芸工は本当に楽しかった。
今も芸工の子と一軒家をシェアしています。家族の次に気を使わなくていい子なんです。今はちょっと中断してますが、外国人の方の滞在先として家を提供したりしています。他にも友達や、友達の友達なんかも泊まりに来たりパーティーをやったりしてるので、毎日賑やかですし、また色んな人と考えを共有できて楽しいですよ。
―芸工の素晴らしいところを再認識しました。一宮さんにとって芸術工学とは何でしょうか?
『右脳と左脳、感性と論理、そのバランスを持つ力を養う。』
…という中途半端でかつ矛盾を帯びた言葉です。
でもこの中途半端で矛盾している感じがとても好きなんです。
わたしにとって芸術工学という言葉は、普段は頭の片隅に隠れていて、ひょんなことで飛び出して来る、一生のパートナーです。デザインをするときだけでなく、色んな分野内でも、二項対立するものを考えた時いつも思い出すのが芸術工学という言葉です。白黒はっきり決めなくてもいいじゃん、って思わせてくれる。
でもそれはただの言葉であって、難しく考える必要はなくて、目の前にいる人のために、愛情を持って自分に何ができるか真剣に考え行動することが大事ですよね。
―それでは最後に学生へメッセージをお願い致します。
大学時代は、たくさんの人と会話をすること、話を聞くこと、とりあえずやってみること、誘われたら断らないこと、なんかを頭に入れておけば良いのではないでしょうか。色んな人がいて、色んな意見を聞かされて、頭の中と感情が一緒にならないときってあると思うんですが、その中でふと身体に入ってくるものもあるはずだから、それを選んで行けば良いと思います。
色々経験して、中途半端で矛盾だらけの面白い人になってほしいですね(笑)。
(インタビュー:201)
インタビュアー 宮城真紀
13期生(平成20年度入学)都市環境デザイン学科 原田昌幸研究室
エクステリア業界に就職予定−インタビューの感想−
自分がやりたいと思うことを沢山経験されており、インタビューを始めてすぐに一宮さんのお話に惹き込まれました。
凄いなと感心すると同時に、とても羨ましいとも思いました。
記事にはしていませんが、いくつかの人生の相談にのっていただきありがとうございます。
ワークショップ「あそびのつくりかた」写真レポート-3月19日(土)20日(日)開催
子供と大人で「あそびをつくる」ワークショップ、「あそびのつくりかた」が3月19日(土)20日(日)の2日間にわたり開催されました。岡田憲一さん冷水久仁江さん2人のゲスト、そして芸工卒業生である青木亮作さん斉川義則さん野口大輔さん3人の講師をお招きし、当日は約30名の受講生と約11組の親子が参加する、総勢50数名という大きなワークショップとなりました。
1.オリエンテーション
まず、講師の青木さんから「workshopという言葉の持つ意味」と「今回のworkshopの目的」について、受講生に向けたオリエンテーションをしていただきました。

「何を作るか決められていない場所」である工房(workshop)にて、「子どもが笑う知恵をみんなでシェアしよう」という目標のもと、どうやって知恵を見つけ出し、遊びを作り出すのか。そのヒントとなりました。
また、そこで青木さんは「スポーツのようなものづくり」の提案をし、普段授業にて頭でアイデアを練る受講生の私たちに「身体でアイデアを出し試作をする」ことを伝えました。
2.チーム別ディスカッション
次に講師を中心とした3つのグループに分かれ、子供の頃に楽しかった「あそび」のエピソードを思い出し紹介し合う、簡単なディスカッションを行いました。「あそび」における「オモシロ成分」の分析をすることで「あそびづくり」のキッカケをつくるとともに、頭と緊張がほぐれました。
3.あそびをつくる①
午後からは実際に子供たちに登場していただき、実践を行いました。


予想をはるかに上回る子供たちのパワーに圧倒され翻弄されつつも、あの手この手と趣向を凝らして「あそぶ」受講生の姿がそこにはありました。時間が経つに連れ子供たちも慣れてきたようで、自分からあそびを提案する子もみられ、確かな手応えを感じました。
4.作戦会議(おやつタイム)

ひとまず休憩ということで親子の皆さんにはおやつを満喫していただき、その隙に受講生たちは作戦会議。

ここではsus4の野村さんによる、最終成果物であるアプリのシステム解説と編集方法のアドバイス講義も行われました。身体と頭脳のフル回転で、受講生たちは若干お疲れのご様子。
5.あそびをつくる②

後半戦は、部屋を真っ暗にしてからのスタート。前半とは環境がうって変わり、明かりも材料も制限された状態でどのように子供たちを喜ばせるのかがポイントでした。

前半のようにスムーズにはいかないものの、暗いことを活かしての「光」や「音」を用いてのアイデアが次々と登場し、なかなか面白い発想だったのではないかと思います。
6.まとめ(1日目)

後半戦も無事終了して親子の皆さんを見送った後、1日目最後のディスカッションが開かれました。どんな「あそび」をつくり、どんな「面白さ」があったのかを思い出しながらカードに描き出し分類していきます。

みんな「子供疲れ」でクタクタにもかかわらず、笑顔を絶やすこと無く作業を進め、一段落ついたところで解散しました。おつかれさまです。
7.オカダケンイチさんによるプレゼンテーション

2日目はゲストのオカダケンイチさんによるプレゼンテーションからの始まりでした。いくつかの作品の解説や、そこにいたるまでのプロセスの紹介など、自分の経験体験談を交えての面白く不思議で貴重なお話をしていただきました。

個人的には「自分の周りを食いつぶしていくデザイン」という考え方がとても印象的で興味深く今後参考にしていきたい話でした。今回のワークショップの目標である「スポーツのようなものづくり」の実感が湧き、午後からの活力を頂いたように思います。
8.アプリをつくる
昼休憩を挟んだ後、3人一組の縦割り(年齢が異なる人で組む)チームに分かれての本格的なまとめ作業にとりかかりました。


1班につき6つ程のあそびを選び、それをアプリに落としこむために共有できるフォーマットに作り替える作業です。ちょっとした誤字脱字がエラーになるという緊張感あふれるバグチェックを固唾を飲んで見守りました。
9.まとめ(2日目)

そして、ついに、完成。目の前のスクリーンに映し出された画像ではなく、実際のiPhoneで手元にて、見て、触ることで実感が湧き、感動もひとしお。あちらこちらからポツポツと聞こえた感嘆は、やがて拍手へと変わり、みんな満足度が肌で感じられるものとなりました。

細かい修正を加え、近日中の公開を目指して今もまだ作業中ですが、公開された暁には日本各地のいろいろな場所で、子供たちの笑顔をつくるために役立てていただけるのではないかと期待しております。
Vol12. 2011年3月 食堂のおばちゃん
和田静子
食堂のおばちゃん
今回のクロストークインタビューは、「食堂のおばちゃん」こと和田静子さんです。
1月30日に食堂で働いていた先輩方に集まっていただき、おばちゃんを囲んで座談会を行いました。
参加していただいた先輩は、
松河剛司さん(6期生)、長谷川麻衣さん(6期生)、田中揚子さん(8期生)、濱口皓太さん(9期生)、井村旭宏さん(9期生)です。
今年度いっぱいで食堂を引退されるおばちゃんから芸工生へのメッセージをお伺いしました。
―おばちゃんはここにいつから勤めていらっしゃるんですか
芸工のキャンパスが名古屋市立女子短期大学だった頃から働いています。だから40年くらいになるでしょうか。
女子短大の初めの頃は売店だけで厨房は無くて、パンとアイスクリームを売っていました。そのころは食堂の二階は全部部室で、テニスや茶道、ギターマンドリンなどがあって賑やかだった。店を閉めるときに声を掛けると二階から学生さんがアイスクリームを買いに降りてくるから、なかなか閉められないってこともありました。テニス部は食堂の外のガラスを鏡代わりに素振りをしていたし、毎日合唱部の発声練習の声が聞こえていましたよ。食堂にあるピアノはそのときのものなの。
―そんなに長く勤められているんですね。芸工ができた当初から芸工を見ていらっしゃったと思うのですが、1期生の頃と今とでは食堂に変化がありますか。
1期生の頃は今ある芸工の建物もまだ無くて、みんなが集まれる場所も無かったからね、授業が無い学生さんはいつも食堂で集まってテレビを見たりしていましたよ。その頃は生徒も少なかったですし、みんな顔を覚えていますよ。授業の後に「おばちゃん、何か残っていない?」って食堂に来た学生さんに食事を出したり、お弁当を作ってあげたこともありました。今みたいに生協だとできませんけど、当時はわたしが個人でやっていましたから。
―おばちゃんは本当に、学生にも、食堂にも愛情をもってお仕事されていますよね。
わたしはこの店に凄く愛着があるんです。カウンターひとつでも傷つけちゃいけないなって思って使っています。学校のものなんですけどね、自分のうちのお勝手以上に大切に使っているつもりです。
食堂に新しく入った人も若い人ばかりだし、よく働いてくださっている。こんなに綺麗にしてもらえたし、みなさんもこれからも食堂を利用してくださいね。
―学生を注意したり叱ったりすることもありますか?
「プレゼンするときにはきちんと身だしなみを整えなさいよ」と言ったりします。芸工ではプレゼンして人の前でしゃべることも勉強のひとつでしょう。これから社会に出て行くんだから、そういったこともしっかりできるようになるといいですよね。
それから芸工は時間にルーズな学生さんもいるでしょう。でも時間を守ることや約束を守ることは、一番大事。時間を守れない人はやっぱり約束も守れない。そういうことは食堂のアルバイトの学生さんにはしっかり注意しますよ。
―おばちゃんはお母さん的視点で指導されていますよね。その他に芸工生にアドバイスはありますか
普段そんなに4年生と1年生が話をする機会は無いけれど、例えば食堂のアルバイトしている学生さんは各学年にいたから手伝いをしていると先輩の姿も見るし、話を聞く機会があるでしょう。それはとてもプラスになることだと思います。だから、私はいつも「先輩のお手伝いをさせてもらいなよ」と言っています。
勉強のことも先輩に聞いて、教えてもらったらいい。お手伝いさせてもらうと、目で勉強させてもらえますから。たとえば建築系の模型作りでも、お手伝いをすると、先輩のいろんなものを見せてもらえますよね。周りの人をいっぱい見て比較して、それだけで勉強になるじゃない。ああこうやって作るんだなとか。
お手伝いしたら、先輩と繋がることもできるし、いいことばかりですよ。
―40年間もずっとここで仕事を続けてこられましたよね。長く続けられる秘訣ってあるんですか。
わたしの旦那が亡くなったときも、食堂に来ました。その日ぐらい休めばいいのにって周りの人に言われましたけれど、わたしがいなかったら、学生さんたちがご飯を食べられない。学生さんのことを思うとどうしても休めない。そういった気持ちで毎日来ていました。
最近も足の親指が腫れて痛くて、息子に「食堂休んで病院行って来なよ」って言われても、雪の日に「転んだら危ないから休みなさい」って言われても、仕事に来ました。40年休まずに食堂に来ていたのに、あと少しのところで休んでどうなるのって。
―どうしてそんなに生徒のために尽くしてくださるんでしょうか
「情けは人のためならず」って言葉があるじゃない。食堂のバイトの学生さんにはいつも良く覚えておきなさいって言うんですが、人のために情けをかけると、その場では返ってこなくてもいつか自分に戻ってくるから、って。
わたしも芸工の子が卒業して活躍しているのをみると嬉しいし、どこかで会うといつものように「おばちゃん」って声を掛けてくれて、自然と「いってくるね」「いってらっしゃい」ってやり取りができることが、すごく嬉しい。そういうことがみんなにしてあげたことの、ご褒美みたいなものだと思っています。
―芸工生はおばちゃんにとても感謝していますよ。
最近、学生さんから手紙を頂いたんです。「おうちに帰って読んでね、おばちゃん」って言って。わたしは申し訳ないことにその子の名前も知らなかったんだけど、その手紙には「寒い日にパンを買おうとしたら、おばちゃんが今日は寒いから味噌汁を飲んだほうがいいよって言ってくれた」とか、今までどういうことをしてくれてありがとうって、いっぱい書いてあったんです。わたしが何気なくやっていたことが、こんな風に思われていたんだなって、食堂のバイトでもない学生さんから、そういうふうに言ってもらえて、ほんとに涙が出るほど嬉しかった。
―そんなことがあったのですね。最後に芸工生に伝えたいことはありますか。
このあいだも、私が食堂に立つ最後の日にたくさんの方が来てくださって、ほんとにほんとに嬉しかったです。食堂をがんばってきて良かったなと思いました。わたしは学生さんや先生方、事務の人、みんなに生かされて、40年休まずにここまでこれたと思っています。
今でも卒業生が電話や手紙で、展示会のお知らせや受賞の連絡をくれたりするんです。また、学生さんと触れ合えたことももちろんですが、芸工の学生さんたちから建築や芸術などにも触れ合えて、自分の感性にも影響してもらえたって思っています。それは他の職場ではできないこと。わたしはほんとにみんなのおかげで幸せなお仕事をさせてもらえたなって、思っています。ほんとにみんなありがとう。
これからも、皆さんの健康とご活躍をお祈りしていますよ。
食堂のおばちゃんお疲れさま会のお知らせ
月日:2011年4月24日(日)
場所:芸術工学部北千種キャンパス
●川崎和男名誉教授による記念講演会
16:00~ (15:30 開場)
図書館上大講堂
●食堂のおばちゃんお疲れさま会
18:00~ (記念講演会終了後、受付開始)
アセンブリーホール(食堂)
詳細はこちらから(同窓会のサイトが開きます)どうぞふるってご参加ください。
インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科―インタビューの感想―
記事には書ききれないほど沢山、おばちゃんの芸工生への愛情を感じるエピソードを聞くことができて、とても楽しいインタビューでした。
この学部ができた当初から、おばちゃんは芸工のお母さん的存在で、芸工の変化も見守られてきていることが伝わってきました。
おばちゃんの愛してくださっている芸工の空気を受け継いで、これからも大切にしていきたいと思います。
Vol10. 2010年11月 伊藤 景司さん 芸術工学部6期生
海外マーケティング
ソニー株式会社伊藤 景司
6期生 視覚情報デザイン学科 平成16年度卒業
森島 紘 研究室
-伊藤さんがどんなお仕事をされているかお聞かせください。
ソニー株式会社のVAIO & Mobile事業本部にて海外マーケティングに従事しており、中国エリアを担当しています。中国における同業界の実情を注視しながら、どのような商品を、どのようなタイミング・価格で投入すれば、効果的な売り上げや利益が計上できるかを考え、実行することを業務としています。
提案・企画の内容に関し議論し、実現可能性について設計・企画も含めた関係部署と調整して、的確にアクションに結びつけることを行っています。適切な調整や交渉を実施しないとスムーズに事業が動かず、ジャッジのスピードが遅くなり、効率が悪くなります。ビジネスをきちんと実践的に学習し、向上していくことができる点で、今の仕事はとても勉強になってます。
現在入社3年目ですが、まず入社して2年間は群馬県の営業所に配属され、電機量販店を中心とした営業をやっていました。売上が達成されるための交渉が主な仕事でしたが、店舗スタッフのトレーニングも同時に行っていたので、自分自身が販売の見本を見せる必要があり、店頭に立って接客もしました。
体力勝負な部分もありなかなか大変でしたが、お客さんと直接接するのは大切なことで、直接ユーザーに長時間接しながらニーズを聞き出す機会は、今後は非常に少ないのではないかと感じています。今年の6月に東京に戻ってきてからまだ4ヶ月で仕事に慣れるのも大変ですが、営業での経験を活かしつつ、現在の業務をまずはきっちり1人でハンドルできるよう努力しているところです。
-お客様の声を直接聞いた経験を生かして、
企画・マーケティングのお仕事をされているのですね。
芸工時代は主にどんなことをされていましたか?
森島先生がやっていた「バナナプロジェクト」に、早期から参加していました。このプロジェクトは、アフリカや中南米で主食として食されているバナナに焦点をあてた国際協力プロジェクトです。
バナナは茎の成長が非常に早く、しかも1回実をつけると成長した数メートルの茎はすべてゴミになってしまう。そこで日本の紙漉きの技術を応用してゴミになっている茎から紙を作ることができれば、バナナを主食にしている貧しい国が救えるのではないかと考え、立ち上げられたプロジェクトです。紙を作る仕事も生まれるし、教育で必要な教科書で使う紙も作れる。しかもゴミも減らせる。非常に相乗効果が高いプロジェクトだと思います。
具体的には、青山の国連大学での展示、中南米から様々な関係者を招いた紙漉きworkshop、森島先生とのコスタリカ、ジャマイカ、ホンジュラスでのfeasibility Study等に参加しました。最終的に、私たちが卒業する時期に愛知万博が開催され、私は ワークショップのプロジェクトを担当し、ブースで子どもたちに紙漉きを教えていました。
-芸工での思い出やエピソードは何かありますか?
4年の最後の時期はとにかく大変でした。卒業制作、卒業論文をやりながら、愛知万博に携わり、加えて大学院の受験勉強にも取り組んでいました。愛知万博だけでほとんど寝る時間無いほどなのに、取り組んでいるものすべてに対して、高いクオリティを求められました。そのおかげで、どんなに大変なことがあっても耐えることができる我慢強さと粘り強さを得ることができました。同時に厳しい環境でもいい結果を残していこうという精神力も身につきました。
-デザイン系就職や芸工の院ではなく、
名古屋大学の経済学部に進学されたのはどうしてでしょうか?
いわゆるデザイナーになる選択肢も当然ありました。当然以前はそれをめざしていましたがこのままデザイナーとしてキャリアを築いて行っても、自分が目指しているようなデザイナーになれないと考えた時期がありました。すこし未練はありましたが、バナナプロジェクトで森島先生に影響を受けたこともあり、困っている人をどう助けるか、人をどう幸せにしていくかということを、今後人生で自分が目標にしていきたいと考えるようになりました。
その後、国際開発を勉強しようと決め、進路を他大学院進学に変更しました。そこから1人で芸工棟の4階のテラスにこもって、国際開発、おもに国際経済学の本を山積みにして半年間ひたすら勉強していました。まったく経済学は先攻していなかったので、完全に独学で非常に苦労したことを覚えています。
大学院では貧しい人をどう助け、生活を豊かにしていくか、幸せをどう生み出していくかということを中心に研究をしていました。授業はほぼすべて英語で、私のゼミは8割が途上国から来た留学生でした。単純に進学している留学生もいれば、開発途上国の官僚も混ざっており、彼らはどうやって自国を豊かにしていくかを日本の開発経験も参考にしながら、学習・研究している非常に優秀な人たちが多かったと感じました。そのような環境にいたこともあり、机の上でだけではなく現地の経験が必須だと感じ、1年休学してカンボジアに行きました。
-志を持ってとことん突き進んでいったのですね。
カンボジアにはどのようにして行かれたのですか?
インターンに応募し 、1年間JICA(国際協力機構:発展途上国に対するODA(政府開発援助)の中核的な実施機関)の組織の契約社員として、給料を頂きながら現地に住んで業務に携わっていました。
そこで実際に感じたことは、本当に大事なのは機会であるということです。機会が無いと努力している人もそれが報われない状況に陥ってしまう。そのためには、例えば教育が必要で、学校や教育のカリキュラムも必要になってきます。先生のトレーニングもしなければいけません。JICAでは、教育も含め、農業、インフラ、保健、協力隊、援助協調等の多岐にわたる事業を現地にて実施していました。それは、日本にいるのとは違い、非常に貴重な経験であったと感じます。
日本とは全く違う環境に飛び込んで1年間生活や仕事をした経験は、その体験があるとないとでは大きく違うと感じます。海外、特に途上国での生活や経験を持っていない人が多いですが、時間があるときにできるだけ深い経験をすると今後の人生に深みがでると思います。
-カンボジアで様々な経験をされたのですね。
それを生かして、どのような就職活動をされたのですか?
民間企業の国際的に幅広く事業を展開している企業に就職したい気持ちが強く、カンボジアでの経験や、国際協力学の研究をやっていた経験をもとに就職活動を行っていました。そこで、タイミングよくソニーに就職することができました。ソニーは売上の多くを海外で計上し国際的に事業を展開しており、今までにない新しいものを作っていこうということを考えている組織だと思います。
営業をやっていた時に感じたのが、ソニーの商品を求めるお客さんはその商品が本当に欲しくて買いに来て下います。購入された方はとてもうれしそうにしていて、もらった人はちょっと幸せになるような商品を作っています。商品を手にした方々に幸せをちょっとずつ分け与えることができる企業だと考えていますし、そんな会社は多くはないと思います。今後は、可能であれば海外赴任をしたいと考えており、開発途上国へ行きたいと希望を出しています。
-自分に合った会社を見つけて、入社されたのですね。
では、これからの目標を教えて下さい。
大きな組織に所属することや、独立やベンチャー等の小さい会社に所属することは、それぞれ得られる経験が違ったりするけれど、やっぱり自分のやれることは限られています。今の私は組織の何万人分の1人という立場で、とても小さい存在かもしれないけれど、その中で自分がどういう役割を果たすことが出来ているのか、その中でどのように生きていきたいかを考えることが非常に重要であると感じています。
今の私たちは日本にいて、おいしいもの食べることができ、様々な機会が周りに多くあります。お金もある程度はあります。一方、世界中には困っている人たちや貧しい人たち、生きることに困難を覚える人々が世界中にいます。そのような人たちの為に、私たちはどのようなことができるかを考え、生きていきたいと思っています。
-最後に、伊藤さんにとって芸術工学とはなんでしょう?
いかに幸せを作るかを考えること。芸術と工学が融合するように、私が携わってきたことは、様々なジャンルが交じっています。それによって、今までになかった新しいものを生み出すことができ、それが人に豊かさや幸せにつながっていくのだと信じています。
インタビューアー 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン・ソーシャルゲームクリエイター志望-インタビューの感想-
自分で決めた道を軸を持ってブレずに生きていらっしゃるんだなと感じ、そうできるのは決意の硬さなんだろうと思いました。何か一つに向かっていけるのはすごいです。ブレずに目指すことができる目標を見つけたいです。
Vol9. 2010年8月 土井 梢さん 芸術工学部5期生
建築設計
笠嶋淑恵建築工房(現在は別の建築事務所で就業中)土井 梢
5期生 生活環境デザイン学科 平成15年度卒業
鈴木賢一研究室
―卒業後初めに入社された株式会社スペースでのお仕事について教えて下さい。
スペースは主に店舗内装の企画・設計・監理・施工をしている会社で、店舗設計をしたくて選びました。仕事の内容としては、設計だけじゃなくて、積算から監理施工までを一貫して1人でやれるのが特徴です。このことは後に独立してやっていくにしても勉強になります。
私の場合、カフェなど飲食店の内装をする部署にいました。スペースでは早い段階で設計をやらせてもらい、現場に行ったり、お客さまにつくのも早かったです。
―リレー形式ではなく、全段階を自ら踏んで内装を作り上げるのがスペースでの仕事の魅力ですね。その後、建築設計事務所に転職した経緯を伺いたいです。
スペースでは初めからいろいろやらせていただいたおかげで、
2年ちょっと勤めて一通りの仕事をさせてもらえました。そこで内装だけでなく、
やっぱりハコ(建築)からやりたいなって思うようになり、スペースを辞めました。
次に転職した建築の設計事務所では、スペースとは仕事の内容が全然違っていたので、一から勉強という感じで、指示通りに住宅の図面を描くことから始めました。それから、経験のある所員の方と一緒に、住宅設計の計画の段階からやらせてもらったのが2年目です。
スペースでの経験があったので、インテリアと建築の両方のことが分かるのはよかったと思います。
その後この建築設計事務所を退社し、仕事から離れて一級建築士の資格を取りました。
―今日はお子さんもご一緒ですが、育児と現在のお仕事について教えていただけますか?
10カ月の子どもを育てながら、笠嶋淑恵建築工房(現在は別の建築事務所で就業中)で週4日働いています。
笠嶋先生は芸工で非常勤講師をされていて、学生時代のアルバイトからお世話になっていました。
笠嶋先生ご自身育児経験があり、育児との両立について配慮していただいています。
シュタイナーの教えや、人智学、子どもの教育の観点から建築を考えている方で、
私の子どもが通っているのも、笠嶋先生が改装した保育園です。
部屋が多角形だったり、それぞれの部屋にキッチンカウンターやロフトがあったりして、おもしろい保育園ですよ。
子どもができたことで、学生の頃より教育の観点に立った建築に興味がわきました。
笠嶋先生に「子育ての経験はあなたの設計人生において、確実にプラスになります。」といわれたことが
とても印象強く、心に響きました。
確かに女性が社会でがんばっていくのは大変だけど、子供を産むことでみえてくることってありますよね。
例えば、新婚の2人でいるときはワンルームの広い家がいいと思っていても、
子どもができることで生活の時間帯が違うから間仕切りが必要だって気付いたりとか。
そんな気付きをデザインに活かしていきたいなと。
子ども向けにしても、お母さん向けにしても、
男の人がわからないことを自分のデザインの糧にしていけるんじゃないかと思いますね。
―育児経験はデザインに活かせるのですね。
社会全体として、仕事と子育ての両立はしやすくなっているでしょうか。
大企業は産休も取りやすいみたい。でも建築業界自体は、まだ女性が子ども産んでからいい条件で働くのは難しいと思います。定時に帰るとなると、十分な仕事をもらえないのが現実です。
だから建築をやる女性は、企業でやっていくより、いつかは自分でやれるようになるといいなって思いますけど。子どもから手が離れるまでは、今後のための知識を蓄える期間だと、今は割り切っています。
ある程度したらゆったりするためにも、若いうちにがむしゃらに、やれるだけやっとくのは必要ですね。だから辞めるにしても、仕事をしている間につながりをつくっておくのが大切かな。
そういうことが、後に仕事を直接もらったり、条件に合う事務所に入れてもらうことにつながります。
―建築の仕事を目指す方って大学院に行くことが多いと思うのですが。
大手企業の中には大学院卒を求めることもありますが、事務所だと学歴よりも実力重視だと思います。
だから学部卒で就職して早いうちから仕事を覚えられるのも逆にいいんじゃないかなと。
私は学部時代、鈴木先生の研究室で病院の壁画を描いたりしていたので、
大学院で研究室に残って子どものための空間について研究したいとも思っていました。
ただ、スペースに内定をもらって、早く働きたい気持ちもあって就職を選びました。
大学院卒業後に就職すると、同期が年下でやりづらいこともあったり、
女性の院卒を使いにくいと感じる上司もいるみたいです。
もちろん、院に行けば専門的な知識も深まりますし、その専門分野を活かした仕事に就けると思います。
―土井さんはどんな学生生活を過ごしましたか?
その後その経験をどう生かされました?
課題はちゃんとしましたし、設計事務所でのバイトもしましたけど、基本的に遊んでただけな気がします(笑)。
海外旅行とかも行きました。その経験は勉強にもなりました。例えばイタリアのフィレンツェなら、外観を揃えて街並みを大切にしています。屋根の色が揃っていて上から見た景観がきれいとか、外観を崩さないように建設中の工事の仮囲いに建物の絵が描いてあったりとか。そういう考え方がもっと日本にあってもいいんじゃないかなって思うようになりました。デザインしていく上でも、後からその時の写真を見ながら考えることもあります。
あと、世界観が変わりますよね。建築を仕事にしてる身だから、建物は建てるものっていう概念がまずあるけれども、海外に行くと建築よりも自然の方がすごいんじゃないのかな、建物を建てない方がいいんじゃないのかな、って考えたりします。
だから、日本にないものをいっぱい見とくといいですね。
あと、ポートフォリオに海外で描いたスケッチを載せたんですけど、面接で評価がよかったです。
学生のうちに遊べるだけ遊んだから、
働き出したり子どもができたりして自由がなくなっても、今は仕事をがんばろうって思えます。
-芸工にはいろいろな分野がありますけど、
それをどう活かしていけばいいですか。
仕事やり始めたら、一つの分野でやっていくことが多くなっていくと思うから、学生のうちからそこまで知識を深めなくても、広く浅く手を出してもいいんじゃないかなって。技術は働き出せばつくし、いやでも専門性を持つから。なんでもやってみて、いろんな分野のいろんな考え方をもっていれば、頭が柔らかくなるんじゃないかな。
芸工の同期には大学の専攻とは違う分野の職を楽しんでいる人がたくさんいますし、私も大学では建築をやっていたけど、最初の会社では内装をやりました。だって全部つながってるんだから、建築から中を考えてもいいし、インテリアから建築を考えてもいいし、大きく言えばプロダクトから建築を考えてもいい。
私が今やっている建築の仕事で言うと、教育にもつながってます。
それに、違う分野の人がいればいるほど面白い仕事ができる。
建築やってる人と家具やってる人や映像、グラフィック、
いろいろやってる人がユニット組んで仕事したりするじゃないですか、
そういうのって刺激し合って一つのものをつくっていくし。
だから、固執せずにいろんなことに興味を持つのがいいと思います。
いい意味で適当にね、何でもプラスに考えればいいと思います。
それこそ学科の域を飛び越えて、授業に参加してみてもよかったなと今は思います。
―土井さんはプラス思考が印象的です。
最後に、土井さんにとって芸術工学とは何か、教えて下さい。
いろんな場面でのいいなを足していくことかな。
アート的なものの根底に基礎みたいなものを付け加えて、説得力を付けるような。
でも私は芸術工学とは、なんて深く考えたことないですよ。
私の中で芸術工学は、ほわんとして、輪郭がなくて、「何か」って言い切れないものです。
インタビューワ 内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定-インタビューの感想-
仕事と家庭のどっちも捨てがたい…と考えていましたが、
お話を伺ってそれはその時悩めばいいし、
少なくとも今あきらめる必要はないと感じました。
仕事や育児にこだわりを持ちつつ、ご自身を縛る頑固さは持たない土井さんの考え方は、
芸工の「柔軟性」というプラス面に通じると思います。
Vol8. 2010年7月 島 麻絵さん 芸術工学部3期生
島 麻絵さん
3期生視覚情報デザイン学科 平成14年度卒業
水野研究室/溝口研究室 (卒業制作:水野研/卒業論文:溝口研)
社会福祉法人わたぼうしの会 たんぽぽの家 スタッフ
—芸術工学部からどのようにして福祉業界へ就職されたのですか?
学外のアート系のワークショップで「障害のある人と働いている」
という人に出会ったのが最初のきっかけです。
その方は、授産施設(就労が難しい障害者に就労の場や技能取得を
手助けする福祉施設)で働いており、その時はちんぷんかんぷんで、
介護をイメージして大変そうとしか思いませんでした。
しかし後日、その施設の手織りの展示を見に行くと、障害のある人がつくったマフラーや、
スタッフがつくった人形など、おもしろいものがたくさんありました。
その時にこういう仕事があるんだと知り、その後、「なごやボランティア・NPOセンター」で
「たんぽぽの家」という社会福祉施設の資料を見つけました。
アートサポーターやボランティアの募集のほか、メンバー(障害のある人)と一緒に
銭湯に行こうという企画もあり、おもしろそうな施設だなぁと、4年生の冬に
見学しに行きました。自己紹介のために、課題をまとめたものと、
在学中にサークルで毎月発行していた「カヤバ一揆」というフリーペーパーを
持っていったところ、対応してくれたスタッフの方が、興味を持ってくれました。
何度かたんぽぽの家に通ううちに、「CHIRORI」という雑貨店を紹介され、
アルバイトを始めることになりました。
—福祉にそのような関わり方があるのですね。CHIRORIとは具体的にどのようなお店なのですか?
全国の福祉施設でつくられた、陶芸、手織り、木工などの手づくり雑貨や食品を扱うお店で、障害のある人が働いています。1996年に、「まほろば・楽市・楽座」という、奈良町界隈(CHRORIがあるエリア)のギャラリーや空き店舗で施設の商品を大々的に展示販売するイベントがはじまり、その流れでCHIRORIが誕生しました。当時、福祉施設の商品は、地元のバザーでの販売が主流であり、まほろば・楽市・楽座は画期的だったと聞きます。
私自身は、CHIRORIで、商品のセレクトや通信やチラシの制作などをしていました。全国にはものづくりをしている施設が
たくさんありますが、障害のある人がつくったものを面白いと思い、発信していこうという意欲のあるスタッフがいるかどうかで、商品も変わってくるといえます。
ところで、CHIRORIでは、芸工の近くにある「うえの授産所」のカップも取り扱っていました。
芸工生のときにそこのバザーに行ったことがありましたが、
障害のある人の働く場所であるということに気付きませんでした。
特にこの分野は接点がない人は全く知らないということがあるので、
もうちょっと気軽に歩み寄ることができるといいなぁと思います。
いきなり障害のある人と接するとなったら、最初は緊張感やためらいがあると思うけど、
きっかけとして“もの”というのは入りやすいですよね。
—いつたんぽぽの家のスタッフになられたのですか?また、たんぽぽの家はどのような活動をされていますか?
CHIRORIは2007年にたんぽぽの家と事業統合しました。
その際にCHIRORIのアルバイトからたんぽぽの家の正職員になりました。
たんぽぽの家でのメンバーの活動は、絵画、陶芸、手織り、カフェ、ショップ、企画部など、
多岐に渡ります。たんぽぽの家では、メンバーひとり一人に希望を聞きながら、
本人にあった働き方を提案し、プログラムを作成します。
また、たんぽぽの家は障害のある人自身の夢を実現、個性をのばすという考え方を持っており、
それはスタッフに対しても生かされているので、決められた仕事ばかりではなく
自由にアイディアを出して考えていけます。
たんぽぽの家の特徴として、作品展やセミナーなど、外に向けた活動が多いことがあげられます。
年に1回「アート化セミナー」といって、福祉施設のスタッフに向けた、
施設でのアート活動や商品化に関するセミナーをやっており、
全国から関心のある人たちが集まってきます。
また、海外からのお客さんも多く、去年は韓国のアーティストがたんぽぽの家に
1ヶ月以上滞在し、メンバーと一緒に制作しました。
本当に色々な人とのつながりが生まれやすい職場です。
7月23日から31日には、可児市文化創造センターで、
「エイブル・アート展」が開催されます。
たんぽぽの家のメンバー他全国の障害のある人の作品が展示されますので、
ぜひお越しください。
−おもしろい企画ばかりですね。現在はスタッフとしてどのようなお仕事をされていますか?
CHIRORIから始まった経緯もあり、今でも、福祉施設の商品を扱う仕事をメインにやっています。CHIRORIの他、イベントや商業施設での販売の機会も多く、場所に応じた商品をセレクトしたり、企画などもします。その他、たんぽぽの家を含む3つのNPOが共同でやっているエイブルアート・カンパニー(以下、カンパニーと表記)にも関わっています。この事業の目的は、障害のある人のアートを仕事につなげることです。作品を使いたい人と障害のある作家の間に立って仕事の仲介をしています。障害のある人の作品をデジタルデータ化して、それらを企業に貸し出し、著作権使用料を得ています。
窓口がはっきりすることにより、企業はアクセスしやすく、作家に対して適切な対価が支払われるようになりました。
—例えばどのような依頼がきますか?
アパレルメーカーより、ジャマイカというテーマで
描き下ろしをしてほしいという依頼がありました。
カンパニーが間に入って作家の体調やスケジュールの調整をしました。
依頼に応えられないタイプの作家であれば断ることもありますし、
作家をバックアップしている施設に相談しながら、情報を集約してお客さんに伝えたりもします。
スタッフは現場を体験してきているので、施設や作家の状況もよくわかります。
—話は変わりますが、研究室を悩んでいる子が多くいます。どのように研究室を選べばよいかなど、アドバイスはありますか?
私は水野先生がやっている現代音楽、実験的な音楽に興味があり、先生のキャラクターが好きで水野研究室を選びました。溝口研究室も同じ理由で選びました。研究や制作の内容ももちろん大事だけど、人柄や相性で選んでもよいのではないでしょうか。
6月中旬に水野先生の矢田ギャラリーでの展示を見た時に、こんなマニアックな分野をやっている人もいて、芸工って幅広いなぁって改めて感じました。だから学生が迷うのかも。
学生時代に思ったのは、早いうちにやりたいこと、専門を見つけられた人はラッキーだなぁということ。私は見つけられなかったので、そういう人たちがうらやましかったです。
—オープントークにも参加いただきありがとうございました。現役生へのアドバイスや感想を教えてください。
学生のうちは動きやすく、出会った人がその後の人生ずっとつながることもあるので、
学外に飛び出して色々な人やものに貧欲に会いにいってほしいと思います。
違う大学の講義を聴きにいってもいいですね。オープントークへの参加は緊張しましたが、
自分の仕事を学生に知ってもらうことは大切で、すごくいい経験をさせてもらいました。
普段そんなに大学生と喋る機会もないので楽しかったです。
リアルな声を聞くことが就職活動をする上でのヒントになれば、参加者としては嬉しいです。
発表者の卒業生の中には自分も知らない人が多かったので、仕事の話を聞くのは新鮮でした。
—島さんにとってやりがいとはなんですか?
おもしろさを追求するということが生きるモットーです。
そこに貪欲で、おもしろいものを見たら誰かに伝えたくてしかたないんです。
会わないはずの人と人をものを通して結びつけられる。
福祉の世界であるけれど、おしゃれな雑貨店に負けないグッズができ、
またそれが売れると、親、本人、友人が喜ぶ。そこにやりがいを感じます。
インタビューワ 山下 咲衣子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
プロダクトデザイン志望
―インタビューの感想―
まさに大学で学んだことがそのまま生かされているのだろうなと感じました。
外に出て、自分から出会いを見つけにいくということは大切であると思いました。
芸工オープントーク写真レポート – 2010年6月15日開催
卒業生と仕事について語り合う交流イベント、芸工オープントークが6月15日(火)に開催されました。芸工クロストークで紹介された卒業生をはじめ、十数名の卒業生と約130名の在校生に参加いただき、芸術工学部の卒業生と在校生をリアルにつなぐ充実したイベントとなりました。
当日のライブレポート(Ustream)はこちらからご覧いただけます。
芸工オープントークUStreamアーカイブ
第1部 オープントーク参加卒業生の紹介「わたし、こんな仕事してます。」
建築やプロダクト、WEB、福祉、農業などで活躍されている卒業生に、簡単な自己紹介をしていただきました。分野や職種もさまざまで、芸術工学部の幅の広さが感じられました。
第2部 パネルディスカッション「卒業生×卒業生のクロストーク」
在校生の関心度の高い就職活動の話を中心に、先輩方の経験談やアドバイスをうかがいました。それぞれ就職活動の方法は異なりましたが、人のつながりや積極性、人間力といったものがキーワードとして上がりました。
第3部 ブーススタイル/オープントーク「もっと聞きたい! 話したい!」
ブースに分かれて、卒業生と在校生が直接話しをしました。イメージと実際の仕事内容の違いに驚いたり、就職活動や進路の相談などをしたり、和気あいあいとした雰囲気の中で、終了時間が過ぎても歓談が続きました。
当日アンケートに記入いただいた在校生の皆さんには、卒業生のプロフィールシートを配布し(初回特典バインダー付!)、来学できなかった卒業生の仕事も一部紹介させていただきました。
在校生の進路選択や就職活動の参考にしていただくことを目的にしたイベントでしたが、卒業生にとっても、久しぶりに会う級友や先輩後輩との交流の場となり、今後ビジネスやプライベートでの親交を深めるきっかけとなりました。
芸工オープントークは今後も継続的に開催していく予定です。皆さまの声を反映させながら、よりブラッシュアップしていきたいと思いますので、ぜひご要望やご意見をお聞かせくださいますよう、お願いいたします。
そして、参加およびご協力いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。
おまけ:準備編
15:00から卒業生だけのミーティングを行っていました。横山先生に、今の大学や学生の現状などを伝えてもらい、パネルディスカッションでなにを論議するべきかなど、意識の共有をしました。
今回の参加メンバーで記念撮影。ご協力ありがとうございました。
参加卒業生(敬略称、順不同)
横田 理恵子(視覚情報デザイン学科2001年度卒業)
ブランドデータバンク株式会社/ゼネラルマネージャー
青木 亮作(大学院博士前期課程2003年度修了)
メーカー(OLYMPUS、SONY)勤務を経て2010年5月独立/プロダクトデザイナー
大山 圭史(生活環境デザイン学科2001年度卒業)
株式会社ワーク・キューブおよび有限会社studio point/空間設計・デザイン
萬田 浩太郎 (生活環境デザイン学科2003年度卒業)
株式会社ワーク・キューブ/空間設計・デザイン
島 麻絵(視覚情報デザイン学科2001年度卒業)
社会福祉法人たんぽぽの家
河瀬 智文(生活環境デザイン学科2005年度卒業)
株式会社マキタ/プロダクトデザイナー
遠藤 頌太(視覚情報デザイン学科2006年度卒業、大学院博士前期課程2008年度修了)
農業ベンチャー 株式会社M-easy/企画・営業・商品開発・広報等
白川 勝悟(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
株式会社コボ/プロダクトデザイナー
久冨 伸彦(生活環境デザイン学科2006年度卒業)
チームラボ株式会社/WEBデザイナー
元山 和之(視覚情報デザイン学科2007年度卒業)
有限会社パワーソース/デザイナー、システムエンジニア
竹内 優(視覚情報デザイン学科2007年度卒業)
株式会社バッファロー/企画
犬飼 裕美(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
ソニー株式会社/プロダクトデザイナー
参加コーディネータ
立石 直敬(視覚情報デザイン学科2006年度卒業、大学院博士前期課程2008年度修了)
鈴木 多恵(視覚情報デザイン学科2004年度卒業)
加藤 沙奈(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
ほか有志の卒業生の皆さま
Vol7. 2010年6月 久冨 伸彦さん 芸術工学部8期生
Webデザイナー
チームラボ 株式会社久冨伸彦
8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
瀬口哲夫 研究室
―どのようなお仕事をされていらっしゃるんですか?
主にWebのデザインとHTMLのコーディングをしていますが、企画の段階から入ることもあり、基本的にやりたいと言えば何でもやらせてもらえますね。
検索サイトやコーポレートサイトを作ったりしていて、Webを作るときは企業の方からいろんな要望を聞いて、それにこちらから提案をしながら話を詰めていって最終的にモノに落とし込んでいきます。最近だとTwitterを使った企画の相談がありました。
プロジェクトごとにチームのメンバーを総入れ替えするので、デザイン職以外の席はそんなに固定されていなくて、毎回移動します。なので、いろんな人と一緒に仕事ができて面白いですね。
Web制作の他、依頼される仕事とは別に映像などのアート作品を作ったり、時計や机を作ったり。
めちゃくちゃ自由な発想でモノを制作できる会社だと思います。
―自由な環境で仕事をされているのですね。
どのような学生生活を送られていたのですか?
今はWebデザインをやってますけど、学生のときは建築を専攻していました。
でも大学2年くらいのとき、このまま建築に行って良いのかなって
漠然と不安になって、そこで建築を一回やめたんですね。
直感で、別の分野に行った方が絶対後悔しない気がして。
当時は今よりも違う専攻の課題が取りやすかったので、
映像とかさまざまなことをやりつつ模索していました。
また、昔から写真が趣味で、
いろんな人の写真サイトを見て自分でも作ってみたり。
日常的に学校でも友達とかを撮っていました。
他にはフットサルをしていました。
夕方から夜までやって、終わるとみんなで飲みに行って。
それで朝起きられなくて、授業にあまり出られず、
卒業制作着手の必要単位がギリギリでした(笑)。
フットサルで先輩後輩のつながりは強かったですね。
あと建築専攻は先輩の模型作りを手伝ったり、
逆に自分の時は後輩に手伝ってもらったりしていて、
そういうつながりで、今でも連絡を取ったり遊んだりする人が結構いて。
今考えるとよかったなと思います。
―学校でのつながりっていいですね。
では就職活動の話を聞かせてもらえますか?
やりたいことが無い学生だったので、デザイン以外の仕事も考えましたが、でもそれは絶対俺は楽しくないと思い、業種は絞らずにデザイナー職を受けました。
でも、いろんな面接や説明会に行ってもどこも全然グッとこないなと。そんなときに今の会社の説明会に来て、なんか面白いと思ったんです。まず面接をしてくれた人たちに圧倒されました。脳をフル回転しないと受け答えできない状況になったのが久々で、面接が終わった後は爽快でした。あと年齢がそんなに離れてない女性が創業者で、それもすごいと思い、面接2回目でここにしようって。最終面接後すぐに、他の面接中の会社に電話して、まだ内定も出てないのに「もう決まった」って言ってました(笑)。それくらいチームラボに来たかったんです。
だけど、Webデザイナーを希望してるのにHTMLの知識やスキルがなくて、
結局チームラボは最終面接で落ちたんです。
でも、結果のメールに、スキルアップしたら採用しますって雰囲気のコメントがあったので
それにすがろうと、「がんばります」って返信しました。
課題を出されて独学でWeb言語を学び、できた課題を提出、
結果を待っていたら次の課題を出される。それを数回繰り返しました。
4年の時は忙しくて、その課題と卒業研究の他に、単位の関係で授業にも出ていて。
年が明けた頃はさすがに卒業制作が間に合わないので、
1度提出を待ってもらって、卒業制作に集中し、その後課題を出しました。
それが2月末で、実はまだ就職も卒業も決まってなかったんです(笑)。
卒業旅行から帰ってきたら結果のメールが届いていて、採用ってあって、よっしゃーっって(笑)。
―課題を出し続けた努力が実ったんですね。
これからどのようなことをやりたいと考られていますか?
いいものを作って世界を良くしたいというのが根本にあって、Webだけにこだわるつもりはないです。
でもチームラボに来て4年目で、Webでまだまだ勉強することがあるし、
面白いものを作れる可能性を感じています。
現実世界とWebの連携をやってみたいですね。
前に携帯やWebからのアクションで、表参道の照明の色や動きが変わる
「表参道アカリウム」というライティングイベントがあって。
そういったWebだけにとどまらないものを面白いなぁと昔から思っています。
一つのサービスができるだけで、大分世界が変わると思うんです。
例えば不動産がもっと簡単に探せる方法ができて、引越しがすごい便利になるかも知れない。
いろんな可能性があると思うから、今までに無い仕組みを作っていけたらなと思います。
―やりがいがある目標ですね。
デザイン情報だと、都市環境の就職について分からないのですが、
建築系での進路は決まっているのですか?
決まったルートとかはなくてその人次第。このままだとマズイって、早く気づけた人は、インターンに行ったりどこかのデザイン事務所でバイトしたりしていました。そうやっていろんなところを経験した上で自分の道を決めるような人はいいけど、中にはあるときにピタッと止まって迷う人もいる。だから、自分でいろんな事をやりつつ見つけなきゃいけない。
自分の場合は今はWebをやってるけど、建築の課題で培った考え方とかって、建築から外れても全然生きると思っています。思考のプロセスって、基本的に一緒だから。プレゼンは限られた時間内に簡潔に伝えるのがすごい大事で、それは分野が違っても同じ。そういうのはやってる当時は分からなくても後々気づくと思います。
―それでは久冨さんにとって芸術工学とは?
僕もデザインを狭い視野で考えていたときがありました。でも、いろんな先生の授業やレポートで見た目だけではなく、いろんな仕組みやシステムもデザインだって、すごい幅の広いものだと思えるようになりましたね。
働き始めてからは、映像の見せ方もサービスの仕組みを
議論をしてるときもデザインかもしれないって思っています。
芸術工学やデザインは世の中をよくする手段の一つで、
いろんな切り口で自由に考えられる可能性を持っていると思います。
芸術工学で学んだことって結構今でも生かせていて、学ぶことで考える力も身に付き、
いろんな事に気付けるタイミングが増えるので、世の中よくする一つの近道のような気もしていますね。
―インタビューの感想―
とても自由度の高い職場で様々なことに取り組めるのだなと感じました。
アプローチは何でもいいから、とにかくいいものを作りたいという姿勢に共感しました。












































