メンバー投稿記事一覧
Vol10. 2010年11月 伊藤 景司さん 芸術工学部6期生
海外マーケティング
ソニー株式会社伊藤 景司
6期生 視覚情報デザイン学科 平成16年度卒業
森島 紘 研究室
-伊藤さんがどんなお仕事をされているかお聞かせください。
ソニー株式会社のVAIO & Mobile事業本部にて海外マーケティングに従事しており、中国エリアを担当しています。中国における同業界の実情を注視しながら、どのような商品を、どのようなタイミング・価格で投入すれば、効果的な売り上げや利益が計上できるかを考え、実行することを業務としています。
提案・企画の内容に関し議論し、実現可能性について設計・企画も含めた関係部署と調整して、的確にアクションに結びつけることを行っています。適切な調整や交渉を実施しないとスムーズに事業が動かず、ジャッジのスピードが遅くなり、効率が悪くなります。ビジネスをきちんと実践的に学習し、向上していくことができる点で、今の仕事はとても勉強になってます。
現在入社3年目ですが、まず入社して2年間は群馬県の営業所に配属され、電機量販店を中心とした営業をやっていました。売上が達成されるための交渉が主な仕事でしたが、店舗スタッフのトレーニングも同時に行っていたので、自分自身が販売の見本を見せる必要があり、店頭に立って接客もしました。
体力勝負な部分もありなかなか大変でしたが、お客さんと直接接するのは大切なことで、直接ユーザーに長時間接しながらニーズを聞き出す機会は、今後は非常に少ないのではないかと感じています。今年の6月に東京に戻ってきてからまだ4ヶ月で仕事に慣れるのも大変ですが、営業での経験を活かしつつ、現在の業務をまずはきっちり1人でハンドルできるよう努力しているところです。
-お客様の声を直接聞いた経験を生かして、
企画・マーケティングのお仕事をされているのですね。
芸工時代は主にどんなことをされていましたか?
森島先生がやっていた「バナナプロジェクト」に、早期から参加していました。このプロジェクトは、アフリカや中南米で主食として食されているバナナに焦点をあてた国際協力プロジェクトです。
バナナは茎の成長が非常に早く、しかも1回実をつけると成長した数メートルの茎はすべてゴミになってしまう。そこで日本の紙漉きの技術を応用してゴミになっている茎から紙を作ることができれば、バナナを主食にしている貧しい国が救えるのではないかと考え、立ち上げられたプロジェクトです。紙を作る仕事も生まれるし、教育で必要な教科書で使う紙も作れる。しかもゴミも減らせる。非常に相乗効果が高いプロジェクトだと思います。
具体的には、青山の国連大学での展示、中南米から様々な関係者を招いた紙漉きworkshop、森島先生とのコスタリカ、ジャマイカ、ホンジュラスでのfeasibility Study等に参加しました。最終的に、私たちが卒業する時期に愛知万博が開催され、私は ワークショップのプロジェクトを担当し、ブースで子どもたちに紙漉きを教えていました。
-芸工での思い出やエピソードは何かありますか?
4年の最後の時期はとにかく大変でした。卒業制作、卒業論文をやりながら、愛知万博に携わり、加えて大学院の受験勉強にも取り組んでいました。愛知万博だけでほとんど寝る時間無いほどなのに、取り組んでいるものすべてに対して、高いクオリティを求められました。そのおかげで、どんなに大変なことがあっても耐えることができる我慢強さと粘り強さを得ることができました。同時に厳しい環境でもいい結果を残していこうという精神力も身につきました。
-デザイン系就職や芸工の院ではなく、
名古屋大学の経済学部に進学されたのはどうしてでしょうか?
いわゆるデザイナーになる選択肢も当然ありました。当然以前はそれをめざしていましたがこのままデザイナーとしてキャリアを築いて行っても、自分が目指しているようなデザイナーになれないと考えた時期がありました。すこし未練はありましたが、バナナプロジェクトで森島先生に影響を受けたこともあり、困っている人をどう助けるか、人をどう幸せにしていくかということを、今後人生で自分が目標にしていきたいと考えるようになりました。
その後、国際開発を勉強しようと決め、進路を他大学院進学に変更しました。そこから1人で芸工棟の4階のテラスにこもって、国際開発、おもに国際経済学の本を山積みにして半年間ひたすら勉強していました。まったく経済学は先攻していなかったので、完全に独学で非常に苦労したことを覚えています。
大学院では貧しい人をどう助け、生活を豊かにしていくか、幸せをどう生み出していくかということを中心に研究をしていました。授業はほぼすべて英語で、私のゼミは8割が途上国から来た留学生でした。単純に進学している留学生もいれば、開発途上国の官僚も混ざっており、彼らはどうやって自国を豊かにしていくかを日本の開発経験も参考にしながら、学習・研究している非常に優秀な人たちが多かったと感じました。そのような環境にいたこともあり、机の上でだけではなく現地の経験が必須だと感じ、1年休学してカンボジアに行きました。
-志を持ってとことん突き進んでいったのですね。
カンボジアにはどのようにして行かれたのですか?
インターンに応募し 、1年間JICA(国際協力機構:発展途上国に対するODA(政府開発援助)の中核的な実施機関)の組織の契約社員として、給料を頂きながら現地に住んで業務に携わっていました。
そこで実際に感じたことは、本当に大事なのは機会であるということです。機会が無いと努力している人もそれが報われない状況に陥ってしまう。そのためには、例えば教育が必要で、学校や教育のカリキュラムも必要になってきます。先生のトレーニングもしなければいけません。JICAでは、教育も含め、農業、インフラ、保健、協力隊、援助協調等の多岐にわたる事業を現地にて実施していました。それは、日本にいるのとは違い、非常に貴重な経験であったと感じます。
日本とは全く違う環境に飛び込んで1年間生活や仕事をした経験は、その体験があるとないとでは大きく違うと感じます。海外、特に途上国での生活や経験を持っていない人が多いですが、時間があるときにできるだけ深い経験をすると今後の人生に深みがでると思います。
-カンボジアで様々な経験をされたのですね。
それを生かして、どのような就職活動をされたのですか?
民間企業の国際的に幅広く事業を展開している企業に就職したい気持ちが強く、カンボジアでの経験や、国際協力学の研究をやっていた経験をもとに就職活動を行っていました。そこで、タイミングよくソニーに就職することができました。ソニーは売上の多くを海外で計上し国際的に事業を展開しており、今までにない新しいものを作っていこうということを考えている組織だと思います。
営業をやっていた時に感じたのが、ソニーの商品を求めるお客さんはその商品が本当に欲しくて買いに来て下います。購入された方はとてもうれしそうにしていて、もらった人はちょっと幸せになるような商品を作っています。商品を手にした方々に幸せをちょっとずつ分け与えることができる企業だと考えていますし、そんな会社は多くはないと思います。今後は、可能であれば海外赴任をしたいと考えており、開発途上国へ行きたいと希望を出しています。
-自分に合った会社を見つけて、入社されたのですね。
では、これからの目標を教えて下さい。
大きな組織に所属することや、独立やベンチャー等の小さい会社に所属することは、それぞれ得られる経験が違ったりするけれど、やっぱり自分のやれることは限られています。今の私は組織の何万人分の1人という立場で、とても小さい存在かもしれないけれど、その中で自分がどういう役割を果たすことが出来ているのか、その中でどのように生きていきたいかを考えることが非常に重要であると感じています。
今の私たちは日本にいて、おいしいもの食べることができ、様々な機会が周りに多くあります。お金もある程度はあります。一方、世界中には困っている人たちや貧しい人たち、生きることに困難を覚える人々が世界中にいます。そのような人たちの為に、私たちはどのようなことができるかを考え、生きていきたいと思っています。
-最後に、伊藤さんにとって芸術工学とはなんでしょう?
いかに幸せを作るかを考えること。芸術と工学が融合するように、私が携わってきたことは、様々なジャンルが交じっています。それによって、今までになかった新しいものを生み出すことができ、それが人に豊かさや幸せにつながっていくのだと信じています。
インタビューアー 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン・ソーシャルゲームクリエイター志望-インタビューの感想-
自分で決めた道を軸を持ってブレずに生きていらっしゃるんだなと感じ、そうできるのは決意の硬さなんだろうと思いました。何か一つに向かっていけるのはすごいです。ブレずに目指すことができる目標を見つけたいです。
Vol7. 2010年6月 久冨 伸彦さん 芸術工学部8期生
Webデザイナー
チームラボ 株式会社久冨伸彦
8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
瀬口哲夫 研究室
―どのようなお仕事をされていらっしゃるんですか?
主にWebのデザインとHTMLのコーディングをしていますが、企画の段階から入ることもあり、基本的にやりたいと言えば何でもやらせてもらえますね。
検索サイトやコーポレートサイトを作ったりしていて、Webを作るときは企業の方からいろんな要望を聞いて、それにこちらから提案をしながら話を詰めていって最終的にモノに落とし込んでいきます。最近だとTwitterを使った企画の相談がありました。
プロジェクトごとにチームのメンバーを総入れ替えするので、デザイン職以外の席はそんなに固定されていなくて、毎回移動します。なので、いろんな人と一緒に仕事ができて面白いですね。
Web制作の他、依頼される仕事とは別に映像などのアート作品を作ったり、時計や机を作ったり。
めちゃくちゃ自由な発想でモノを制作できる会社だと思います。
―自由な環境で仕事をされているのですね。
どのような学生生活を送られていたのですか?
今はWebデザインをやってますけど、学生のときは建築を専攻していました。
でも大学2年くらいのとき、このまま建築に行って良いのかなって
漠然と不安になって、そこで建築を一回やめたんですね。
直感で、別の分野に行った方が絶対後悔しない気がして。
当時は今よりも違う専攻の課題が取りやすかったので、
映像とかさまざまなことをやりつつ模索していました。
また、昔から写真が趣味で、
いろんな人の写真サイトを見て自分でも作ってみたり。
日常的に学校でも友達とかを撮っていました。
他にはフットサルをしていました。
夕方から夜までやって、終わるとみんなで飲みに行って。
それで朝起きられなくて、授業にあまり出られず、
卒業制作着手の必要単位がギリギリでした(笑)。
フットサルで先輩後輩のつながりは強かったですね。
あと建築専攻は先輩の模型作りを手伝ったり、
逆に自分の時は後輩に手伝ってもらったりしていて、
そういうつながりで、今でも連絡を取ったり遊んだりする人が結構いて。
今考えるとよかったなと思います。
―学校でのつながりっていいですね。
では就職活動の話を聞かせてもらえますか?
やりたいことが無い学生だったので、デザイン以外の仕事も考えましたが、でもそれは絶対俺は楽しくないと思い、業種は絞らずにデザイナー職を受けました。
でも、いろんな面接や説明会に行ってもどこも全然グッとこないなと。そんなときに今の会社の説明会に来て、なんか面白いと思ったんです。まず面接をしてくれた人たちに圧倒されました。脳をフル回転しないと受け答えできない状況になったのが久々で、面接が終わった後は爽快でした。あと年齢がそんなに離れてない女性が創業者で、それもすごいと思い、面接2回目でここにしようって。最終面接後すぐに、他の面接中の会社に電話して、まだ内定も出てないのに「もう決まった」って言ってました(笑)。それくらいチームラボに来たかったんです。
だけど、Webデザイナーを希望してるのにHTMLの知識やスキルがなくて、
結局チームラボは最終面接で落ちたんです。
でも、結果のメールに、スキルアップしたら採用しますって雰囲気のコメントがあったので
それにすがろうと、「がんばります」って返信しました。
課題を出されて独学でWeb言語を学び、できた課題を提出、
結果を待っていたら次の課題を出される。それを数回繰り返しました。
4年の時は忙しくて、その課題と卒業研究の他に、単位の関係で授業にも出ていて。
年が明けた頃はさすがに卒業制作が間に合わないので、
1度提出を待ってもらって、卒業制作に集中し、その後課題を出しました。
それが2月末で、実はまだ就職も卒業も決まってなかったんです(笑)。
卒業旅行から帰ってきたら結果のメールが届いていて、採用ってあって、よっしゃーっって(笑)。
―課題を出し続けた努力が実ったんですね。
これからどのようなことをやりたいと考られていますか?
いいものを作って世界を良くしたいというのが根本にあって、Webだけにこだわるつもりはないです。
でもチームラボに来て4年目で、Webでまだまだ勉強することがあるし、
面白いものを作れる可能性を感じています。
現実世界とWebの連携をやってみたいですね。
前に携帯やWebからのアクションで、表参道の照明の色や動きが変わる
「表参道アカリウム」というライティングイベントがあって。
そういったWebだけにとどまらないものを面白いなぁと昔から思っています。
一つのサービスができるだけで、大分世界が変わると思うんです。
例えば不動産がもっと簡単に探せる方法ができて、引越しがすごい便利になるかも知れない。
いろんな可能性があると思うから、今までに無い仕組みを作っていけたらなと思います。
―やりがいがある目標ですね。
デザイン情報だと、都市環境の就職について分からないのですが、
建築系での進路は決まっているのですか?
決まったルートとかはなくてその人次第。このままだとマズイって、早く気づけた人は、インターンに行ったりどこかのデザイン事務所でバイトしたりしていました。そうやっていろんなところを経験した上で自分の道を決めるような人はいいけど、中にはあるときにピタッと止まって迷う人もいる。だから、自分でいろんな事をやりつつ見つけなきゃいけない。
自分の場合は今はWebをやってるけど、建築の課題で培った考え方とかって、建築から外れても全然生きると思っています。思考のプロセスって、基本的に一緒だから。プレゼンは限られた時間内に簡潔に伝えるのがすごい大事で、それは分野が違っても同じ。そういうのはやってる当時は分からなくても後々気づくと思います。
―それでは久冨さんにとって芸術工学とは?
僕もデザインを狭い視野で考えていたときがありました。でも、いろんな先生の授業やレポートで見た目だけではなく、いろんな仕組みやシステムもデザインだって、すごい幅の広いものだと思えるようになりましたね。
働き始めてからは、映像の見せ方もサービスの仕組みを
議論をしてるときもデザインかもしれないって思っています。
芸術工学やデザインは世の中をよくする手段の一つで、
いろんな切り口で自由に考えられる可能性を持っていると思います。
芸術工学で学んだことって結構今でも生かせていて、学ぶことで考える力も身に付き、
いろんな事に気付けるタイミングが増えるので、世の中よくする一つの近道のような気もしていますね。
―インタビューの感想―
とても自由度の高い職場で様々なことに取り組めるのだなと感じました。
アプローチは何でもいいから、とにかくいいものを作りたいという姿勢に共感しました。
Vol6. 2010年5月 横田 理恵子さん 芸術工学部3期生
マーケティング
ブランドデータバンク株式会社横田 理恵子
3期生 視覚情報デザイン学科 平成13年度卒業
―今働いていらっしゃるブランドデータバンクはどんな会社ですか?
マーケティングをやっている会社です。
全国3万人に所持品など130ジャンルに渡って半年毎にアンケートを取り、
結果をデータベース化して分析し、いろんな企業の人に提供するサービスをしています。
そのデータを使うことで、例えばi-podを持ってる人は、他に何を購入しているかが横断的に分かり、
持ち物からどういうユーザーかが具体的に分かるんです。
データベースは専用のアプリケーションをインストールすることなくアクセスできるかたちで提供しており、
いろんなメーカーや広告代理店が、契約してくれています。
インターネットリサーチの会社は他にもありますが、
消費者の情報をデータベース化して情報を提供している会社は
そんなには無くて、競合はあんまりいないですね。
仕事は大きくは二つに分かれていて、サービスをいろんなお客様に売る営業と、
データを元にレポートを作ったり分析したりするプランニングです。
私はゼネラルマネージャーという肩書きで、
両方を見渡しながら何でもやる、全体を統括する立場です。
―学生だとなかなか知る機会の無いお仕事ですね。
芸術工学部からマーケティングというのが想像しにくいのですが、
どうして今のお仕事に?
もともとは編集の仕事をしていたんです。就職活動をして、内定をもらったのがソフトバンクパブリッシングという東京の出版社でネットランナーという雑誌の編集部に配属になりました。それが超オタクの雑誌で10人位の編集部だったんですけど、新卒を採るのが初めてだったので可愛がられて、最初からいろいろ教えてくれましたね。編集の仕事は希望してた職種だし、楽しくて、それなりにがんばりました。
就職して2年経ったころ、大学4年の時に参加した「てつそん」っていう全国の美術やデザインなどを学ぶ大学の合同卒業制作展があるんですけど、そこで知り合ったデザイナーの人に、今の上司を紹介されました。それで、「新しい事業するんだけど、専属で一緒に働いてくれる人を探してるからウチに来ない?」って初対面で言う訳ですよ。
私は転職したいとも思ってないし、マーケティングに興味があるって話もしてない。
でも、話をするうちに、この人はすごい面白いし、
やろうとしてることにもすごい可能性を感じる、と直感で思ったんです。
一回会社に遊びにおいでよってって言われて、
後日会社に遊びに行ったら、やっぱりウチで働かないかって。
何か面白い気がするって確信があったんで、6月のボーナスまで待ってもらって(笑)、転職しました。
また、学生時代にDTPのバイトを経験した際、雑誌の誌面デザインよりは、
そこに書かれている内容を生み出すことに携わりたい、といったように、モノが生み出される、
最初の源流に近いところにたどり着きたいなって漠然と思っていました。
マーケティングは、特にモノを市場に出す前に重要なフェーズでもあるので、
そういう意味ではより源流に近い仕事です。
だから、別にマーケティングを勉強したこともないし、全く関係ないと思っていたけれども、
話を聞いてみて、自分の興味に近いんじゃないかなとピンっときました。
―運命の出会いだった訳ですね!
転職されてからは、どんなことがありましたか?
私が入った頃はまだデータベースができたばかりで、
上司に付いていろんな会社を訪問するうちに、徐々に契約者を増やすことができました。
人と話したり会ったりする仕事は自分に向いてないと思ってたんですけど、
営業の仕事をするようになって、面白いなと気づきました。
ほかにも、最初の仕事で書籍を作ったり、
見積りや請求書の作成などお金や数字に関わることをしたり、
本当にいろんな経験をさせてもらえましたね。
学生の頃に「手に職を付ける」感じで覚えたIllustratorで、パンフレット制作もしていて、
全然違う仕事をしていますが芸工で学んだことも生かされてるかな。
そして、小さな会社だったブランドデータバンクが何年かかけて大きくなってきて、
去年会社の方針で、インターネット調査会社のマクロミルの子会社になったことで、
更に大きくなろうとしている。それにちょっとでも協力しながら、
会社が成長する場面に立ち会えているのはすごく面白いですね。
―本当にいい会社にめぐり会えて、充実されているんですね。
就職活動の際、どのように自分に合った会社を探せばいいか
アドバイスをお願いします。
インターネットリサーチの会社を例にとっても、知らない人が多いですよね。
だから今の芸工生には、幅広い視点で会社を探してみて欲しいです。
あと、自分の働き方に合った規模の会社を選ぶのは重要だと思います。
マクロミルは小さな会社と違って福利厚生がちゃんとしていて、
年に1回定期健診を受けられるのは良いと思います。
社員も300人くらいなのでコミュニケーションの面でもちょうどいいボリュームだと感じますね。
逆に小さい会社なら、意思疎通がもっと密になるし、意思決定もより早いと思います。
比較的大きい会社と小さい会社の両方を経験してみて、
どっちにも良い所悪い所があると思うんです。
―会社の大きさはあまり考えたことがなかったです。
いろんな側面から会社を見る必要があるんですね。
ところで、学生時代はどんなことをされていましたか?
グラフィックの授業を受けたり、情報・建築問わずいろんな先生のところに顔出しては、ワークショップに参加したりしてました。興味があるいろんなことを浅く広くやってましたね。バイトは雑誌を作るDTPの仕事や、飲食店を取材して記事を作る仕事などをしてました。そんな仕事をしながら何となくメディアの仕事がしたいなとか思い始めましたね。また、東京に憧れがあって好きだったこともあって、月一で遊びに行ってました。学生のうちにいろんなものを見た方がいいと思います。
―芸工らしく、浅く広い分野に積極的に関わっていらしたのですね。 最後に、横田さんにとって芸術工学とは何でしょうか?
芸術工学と言いつつ、芸術プラス工学じゃないところが難しいね。
私の中では、右脳と左脳のバランスが非常に良い学問だと思っていて、
手動かして絵描いたりデザインしたり、感覚的なことを学べる一方で、
文章や言葉、表現など論理的なことも関連してくる。
私は自分が広く浅くを超追求する人だって思っていて、その芸工らしさで、
専門に特化しているプロフェッショナルにも戦えるんじゃないかというのが持論です。
インタビューワ 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
バリバリ働いているかっこいい女性だと思います。
いろんな研究室を覗きに行ったり、いろんな場所に赴いたり、
もっとアクティブに行動していきたいと思いました。
Vol4. 2010年3月 遠藤 頌太さん 芸術工学部8期生
農業ベンチャー 食品安全マーケター※
株式会社M-easy遠藤頌太
8期生 視覚情報デザイン学科 平成18年度卒業
大学院芸術工学研究科 平成20年度卒業
森島 紘 研究室※専門的な知識を有し、消費者に安全を届ける職業。
※安全な商品を流通させるためのマーケティング企画立案従事者
-どんな仕事をされているのですか?
M-easyという常滑で無農薬・無化学肥料にこだわった農業をしている会社で働いています。
会社名は「Making the Earth Alive SYnergy」の頭文字を取ったもので「相乗的に地球を良くしていこう」みたいな意味です。
小さい会社なので事業計画や店舗設計などほぼ全てのことに関わるんですけど、僕の仕事は野菜の販売に特化した「やさい安心くらぶLLP(有限責任事業組合)」事業の活動がメインです。
-入社1年目で会社の全てのことに関わるなんてすごいですね。
その「やさい安心くらぶLLP」での仕事を具体的に教えていただけますか?
簡単に言えば、野菜の移動販売をやってるんですが、自社で作っている野菜だけでなく、自家用野菜に着目したのがポイントです。
常滑周辺ではたくさんの人が畑を持っていて、多くの方が自家用に野菜などを作っているんです。そういった野菜は自分たちが食べるから無農薬か最低限の農薬で済ませるので、市場の野菜より安心・安全。
その野菜を集めて、我々の考えに賛同して下さる名古屋の飲食店やお花屋さんの土地をお借りして販売する。販売場所を名古屋にしたのは、都心部に行くほど安全な野菜が手に入りにくくなり、消費者のニーズが増えるからです。
仕事の目標が二つありまして、一つはいかに安全な野菜で消費者に健康を届けるか。
もう一つは農業を経済的にどうやって自立させるか。
-作り手が食べている野菜なら確かに安心ですね。
では、その二つの目標について詳しく教えて下さい。
まず安全な野菜についてですが、我々の野菜を買いに来られる方の中には、持病をお持ちの方や、アレルギー体質の方がたくさんいらっしゃいます。
そうした安全を求めて買いにきて下さる方を裏切らないように、今の我々の技術では無農薬栽培が難しい野菜も、「全部無農薬にするぞ」って農家さんと気持ちを一つにしてやっています。
そして豊田市旭町の限界集落では、11人の若者が定住して完全無農薬・無化学肥料の自社製野菜の栽培に取り組んでいます。そこはきれいな清水の流れる山奥の秘境で、若者たちはお寺で共同生活を送っています。
究極の目標として健康な野菜を届けて病気を治すとか、予防医療とかを目指してます。実際に予防医学に力をそそいでいらっしゃる医師と協力して年に一回セミナーを開いたりしています。
農業の経済的な自立を目標にするのは、農業の問題を解決するには後に続く世代が出てこないといけないから。
農業の平均年収は100万円くらいなのですが、それを上げて就職活動の選択肢に農業が普通に出てくるくらいまでにしたいです。まずは自分達が成功事例を作ることで、憧れや夢を持った世代が出てくると思うんです。
-安全な野菜作りは、豊田市にも出来た生産チームに期待が持てますね。
そして農業の経済的な自立には、
農業は儲からないという固定観念を無くすことが重要なのですね。
では解決すべき農業の問題とはなんでしょうか?
僕の実家も兼業農家なんですけど、親の世代は外に働きに出て農業をしているのはまだ祖父母という現状があり、今の課題は祖父母から孫の世代への代継ぎ。でも孫も大半が反発する。そうすると、土地を受け渡せず、耕作放棄になったり、限界集落になっていったりする。
生産側の利益が少ないことも問題です。
例えば愛媛のみかん農家は、みかん一個の卸値が1~3円くらいと聞きます。
卸から小売までの中間経費がすごいかかるので、ほんとに生活できないような値段で取引しているんです。
大手小売に力があるので、小売が値段を下げたら、圧迫されていって生産農家が一番打撃を受ける。我々の会社は中間経費を全部取っ払うために、物流コストはかかるんですけど、自分たちで農家さんのところまで取りに行って、売る。利益配分は売り上げに対して我々と農家さんとで50:50なんですよ。他の会社には無いビジネスモデルです。
-生産者と対等な立場で取引をするビジネスモデルなんですね。
本当にやりたい事に向かっていらっしゃるように見えます遠藤さんですが、
学生時代に悩みはなかったんですか?
今でこそ自分の目標がありますけど、自分は何をすべきなんだろうってずっと思ってました。学部の時は興味のあった環境デザインをテーマにパッケージやグラフィックをやっていたんですけど、自分の中でしっくり落とし込んでる感覚がなかったんです。
なので、もうちょっと考えてみようと大学院に進学して、トリノ工科大学に留学もしました。でも、どんだけもがいてみても、結局しっくりこなかったんです。
そんな時、農業へシフトしていくきっかけが森島先生のアドバイスだったんですよ。修士研究のテーマが決まらず相談したりして、ある時自分の身内話になりまして。
自分の家の農業の後継者問題とかのお話をしたら、「お前、なんでそれやらないんだ」って(笑)。
今だから分かったんですけど、僕は長男で農業の跡継ぎ問題が小さい頃からあったんです。
でも、自分の可能性が断たれるのが嫌で、常にそこから離れるような行動を取ってきた。
それで最終的にはトリノまで行った。
結局何も見つからなかったけど、一旦離れてみると自分っていうのが見えたんですよね。
やっぱり実家の農業のことが常に頭の中をチラつく。
こんなにも気になるんだったら、一回腹決めてやってみようと思いました。
なんとなくとんとん拍子に進んでいったのはそれからですね。
-なにをするか迷われていたなんて、情熱的に仕事を
なさっている遠藤さんからは想像がつかないです。
今の会社にはどうやって就職されたんですか?
農業をテーマに研究を始めたころは、農業の話題が旬で、新聞記事に今の会社が載っていたんです。
それでコンタクトを取ってお会いし話をしたときに、これって自分がやりたいことの一つの具体例かなって思ったんですよ。
卒業後も気になっていたので、また連絡を取るようになり、そのうちにやっぱりやりたいことに近いなと思いまして。「やさい安心くらぶLLP」という販売事業が始まって間もない頃だったので、自分のやりたいことが出来るんじゃないかなとも思って、迷わず飛び込みました。
-すごい行動力ですよね。
その姿勢が、M-easyとの出会いを導いたんですね。
今だから言える大事なことはなんですか?
人と会うことを大事にしてください。
何かを成し得ようと一人で長時間かけて努力したことが、
実は人に聞けばたった一分で分かるってことがざらにあるんですよね。
人の力を借りてやればいいから、いかに怖がらずに会ったり吸収しようって思うか。
人に助けられて生きているって感じるし、大学の時の恩師 森島先生、
そういった存在が無ければ今の僕は無かった。
いろんな人に聞いたり意見を言ったりして、進むことってあると思う。
僕も何やりたいか分からなかったけど、見つけようともがき続けたのは確か。
興味を持った人に会いに行ったり、行動したから、結果がよくなってきたっていう感じです。
家で悩んでても、絶対に見つからへん。
神様って見捨てへんもんでね、自分の一番大切な部分を思い切って差し出すでしょ。
すると絶対それに応えてくれる。不思議ですよね、誰かに引っ張られてるような感じ。
すごく抽象的に言うなら、運命(笑)。
-素敵ですね。
勇気を出して行動することで、やっと自分らしい景色が見えてくるんですね。
最後に遠藤さんにとって芸術工学とはなんですか?
大学で一番何が養われたかというと、自分の場合は課題解決力だったりバランス力だったりだと思うんです。たとえ専門外の事であっても、ある程度物事を理解してしまえば、芸術工学という学問がどんな分野にでも活かせると思うし、芸工生として社会に通用する実感があります。
今の仕事でいえば、農業を農業の力だけで何とかしようって思っているのではなくて、医学や栄養学、情報を農業と結びつけることで一つの新しい価値にしようとしてるところ。今まで個別だったもの同士を結んだら相乗効果があるんじゃないって感性は、芸術工学のとても良い所じゃないかな。
インタビュアー:稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
何かを成し遂げたいと思う、夢の力は偉大だと感じました。
自分の立ち位置が分かって、そこから物事を眺められるような大人に、早く仲間入りしたいです。
Vol2. 2010年2月 長谷川 麻衣さん 芸術工学部6期生
アパレル系 グラフィックデザイナー
株式会社マグネット長谷川 麻衣
6期生 視覚情報デザイン学科 平成16年度卒業
森下良三 研究室
-仕事について教えて下さい。
株式会社マグネットというアパレル系の会社でデザイナーをしています。アパレルメーカーさんから依頼を受けて、そこのブランドの商品を生産、管理するOEMの仕事と、デザイン画などをメーカーさんに売る企画の仕事をしている会社です。
私は、子どもから大人まで、洋服は全部デザイン経験があります。子ども服の定番ものから、10代・20代のギャル系とかナチュラル系、アメカジとか古着っぽい感じのものとか。いろんなお客さんから依頼が来るので幅広く描けるようになりました。
一つのアパレルメーカーにいたら、そのブランドのテイストとか世界観になってしまったり、
カットソー・ニット・布帛(ふはく)で担当が分かれたりするんでしょうけど。
私は、広く浅くだけど、いろんなことができるようになったのはよかったと思います。
やっていくと、自分が着ないギャル系が一番得意なんだとか分かってきました。
あ、こういうの売れそう、っていうのが分かるんですよ。
ひとりよがりにならずに、ここのお客さんが着るかなとか、そういうのが一番大事だと思います。
-デザインをされる際、どんなことを考えるのですか?
どんな人が買うのか、いつ店頭に出てそのとき何が流行っているか、そういうことを考えています。しっかりとやるときは、1カ月ごとにテーマを決めてやっていくことも。あと、先月出したものと合わせられるようにして、ずっとそのブランドで着こなせるようにもしています。
服飾業界では一応トレンドが決まってて、みんなパリコレとかミラノコレクションとかを参考にしています。今年の春はD&Gを見てウエスタンが流行ると思うんだけど、そのまま真似しても着づらかったり、リアルじゃない。自分たちのお客さんがこういう子だからこう着せるんだとか、それぞれのブランドが自分たち流にアレンジしていかないと。
トレンドだから押さえないといけない“見せる商品”もあって、
去年のナポレオンジャケットとかがそう。
お店の雰囲気を今っぽくするためにやるんです。
商品は見せる商品と定番とその中間のものとがありますが、
今はユニクロがあるので、定番がなかなか売れなくなってきてます。
デザイナーをしていてうれしいのは評判が良いとき。
知らない子が着てるのを見たとか、雑誌に載ったとか。
パリス・ヒルトンが着てたときは、会社でキャッキャとはしゃいだりしました。
-情報はどうやって収集されるんですか?
お店見に行くといっぱい情報が入ってきます。
例えば、前の方に置いてあると売れてるんだとか、
次の週に行って一番下にあるとちょっと売れ行き悪いんだなとか。
あと店員さんとしゃべったり、その辺歩いてる子の服見たり。
企画するのは半年くらい前なので、ちゃんとストックもしておかなきゃいけなくて。
私の場合は、雑誌はあまり注目して見てないんだけど、
かわいいなと思ったらどんどん雑誌を切り抜いて、自分のネタ帳に貼っておきます。
-アパレル業界に就職するにはどうすれば?
会社にもよるんですけど、学校は全然関係ない。
ファッションの専門学校を出て、ある程度の知識があると思っていても、
実際は就職してから学ぶことがほとんどなので。
やる気があって素直でがんばってくれる人がいいですね。
やり方とか仕組みも会社によって違うから、
学生のうちは思いっきり楽しめば良いと思います。
好きなことが絶対何か役に立つと思うから。
あとは、服飾系で何をやりたいかですね。
パタンナー(型紙を作る人)なのか、テキスタイルデザイナーなのか、
ファッションデザイナーなのか。グラフィックっていう分野もある。
パターンナーならCADを使うけど、デザイナーはあんまり特殊な技術はいらないですね。
あと、マーチャンダイザーって呼ばれる商品化の全体を見る人がデザイナーよりも上にいます。
-学生時代はどんな風に過ごされましたか?
大学2年生の時から企画会社でアルバイトをしてて、そのときに広告やDMとかのグラフィックをやってました。あと洋服のプリント柄をやったり。
卒業制作の提出前3カ月間はずっと学校に居ました。シルクスクリーンをやって、家にはお風呂に入るために帰って、寝るときは森下さんの研究室にベッドがあったのでそこで(笑)。
-最後に、長谷川さんにとってデザインとはなんですか?
自分も人も喜ばせ、笑顔にするようなもの!
気持ちを動かすものですよね、やっぱり。
森島先生のお別れ会(最終講義)のときに、
一人ずつに色鉛筆をくれたんですけど、
そこに先生作の詩みたいのがあって。
「素敵な色鉛筆を持ったら、
それを入れる上質な筆箱が欲しくなって、
それが手に入ったら次はそれを入れる素敵なかばんが欲しくなって、
かばんを買ったら、次はそのかばんに合う服が欲しくなった。」
とか書いてあったんですよ。
それを見て、あぁ、こういう服を作れたらいいなって。
その人に気に入ってもらえて、
その詩の中に登場できるような服をつくれたらな、って思いました。
インタビューワ 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン志望―インタビューの感想―
終始笑顔でお仕事のことを語って下さった長谷川さんにとても魅力を感じました。
大学を全力で楽しんで、自分らしい作品の作り方や
表現の仕方を学んでいきたいです。
















