芸工クロストーク

名古屋市立大学芸術工学部現役生が先輩に仕事のことをインタビュー!



Vol17. 2012年5月 藪腰 梨里さん 芸術工学部1期生

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エイトデザイン
ウェブ・グラフィックデザイナー

藪腰 梨里

1期生 視覚デザイン情報学科 平成11年度卒業(伊藤研/横山研)
大学院芸術工学研究科博士前期課程 平成13年度修了(横山研)

―現在の仕事について教えてください。

リノベーション専門の名古屋のデザイン事務所「エイトデザイン」で働いています。私はウェブとグラフィックと、デザイン全般を担当していて、会社のホームページや販促物など印刷物のほか、そういったものに載せている写真も撮ったりします。

会社への問い合わせのほとんどはホームページからで、最初の入り口になるウェブやその写真がち魅力的でないと、お客さんも来ないしかなり責任重大です。

写真は前いた会社でも必要で、やってるうちにどんどん好きになっていきました。

建築写真のようにピシッと歪みなく撮るのではなく、スナップ写真のようなカジュアルな雰囲気の方が、「ライフスタイルに合わせて楽しい暮らしをつくる」というリノベーションの提案にあっていると思うので、それが伝わるよう努力しています。

―前職は何をされていたんですか?

大学院修了後、新卒で創健という建設コンサルタントに入社しました。省庁や自治体からの依頼でまちづくりや道路計画などをする会社で、そこでウェブサイトや広報誌を作る仕事をしていました。取材に行って写真を撮って、ちょっとした記事を書いて…。ダムや港などの一般の人が入れないようなところにも行けて楽しかったですよ。

その後、リノベーション事業をしている会社に転職しました。もともと古い建物が好きで、おもしろそうだなと思って。そこでもウェブデザイナー・グラフィックデザイナーとして会社案内やウェブ、広告をつくっていました。エイトデザインはそこで出会った仲間が立ち上げた会社です。

―会社は変わってもずっとウェブとグラフィックのデザインをされてきたんですね。大学時代もウェブを専攻していたのですか?

情報処理の授業で基本のHTMLを学んだり、趣味でホームページをつくってはいたんですけど、会社に入ってから覚えたという感じです。でも、ウェブを教えてくれる先輩はいなかったので、本を見るなり、かっこいいなと思うホームページのソースを見て真似してみるなり、手探りでやってきました。自己流なので自分のやり方が正しいのかという不安はありますけど、現場に放り込まれるというのは、すごく勉強になりますよ。研究したり調べたりするのは、楽しいですし。オタクなんです、きっと(笑)。

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エイトデザインのサイト。「『楽しむ』をデザインしよう!」という言葉どおり楽しげな暮らしの空間がいっぱい

―ホームページ、とてもおしゃれですね。つくるときに心がけていることはありますか?

手作り感やアナログ感を意識してます。古い建物を改修して、味のある暮らしを提案しているので。あとは、お客さまの好みはいろいろなので、特定のテイストに偏り過ぎないようにしてます。できるだけシンプルに、見やすく、わかりやすく。

―エイトデザインはスタッフの皆さんお若いですね。

2010年4月に立ち上げたんですが、メンバーがだいたい30歳前後でした。みんな趣味は違うんですけど、好きなものやつくりたいもの、目指す方向が一緒で。それぞれが今までやってきた経験を活かして働いています。
仕事はこと細かく指示をもらって作業をするのではなく、個々で考え判断することが多いです。もちろん、途中途中でデザインを見てもらって意見を聞いたり、毎週ミーティングをして会社の事業もどんどん変えていったりもします。

この2年で40件のリノベーションをさせてもらいました。実績がないとお客さまに事例を見せられないし、信用もいただけないし。皆がむしゃらに頑張ってます。
リノベーションだけでなく、オリジナルの家具をつくったり、2011年10月にはカフェと家具の複合ショップ「ハチカフェ」と「ハチカグ」をオープンしました。カフェや雑貨店はリノベーションとは別の担当者がいますが、ウェブサイトやショップカードなどは私が作っています。

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施工事例を紹介するペーパーも藪腰さんが制作したもの

―仕事をしていて、よかったなと思うことは何ですか?

やっぱりお客さまがすごく嬉しそうにしているのを、間近で見られることでしょうか。あと、好きなデザインの空間を写真に撮ったり、好きなことやってお客さまが喜んでくれるならこんな楽しいことはないです。

ま、好きなことを仕事にしたというか、仕事にしていたら好きになったということもあるかもしれないですね。写真も学生のころはあまり撮っていなかったので。

お客さまも個性的な人が多いので、いろいろ刺激を受けます。新築のマンションを買うとか、注文住宅を建てるとか、賃貸に住み続けるとか、いろいろな選択肢があるなかでリノベーションを選ぶという人ですから。

―仕事を楽しんでいらっしゃるんですね。学生時代は何をどんな風にすごしていましたか?

一期生で初めての学生で人数が少ないし、ゼミの先生だけでなく、たくさんの先生と仲よくさせてもらいました。
大学院では横山先生の研究室にいてプログラムを作ってました。生体情報に関する研究で心拍数を解析して…と、ウェブとは違いました。直接は今の仕事とあまりつながってないかも。

何をやっていたからこうなったってわけではないです。先のことなんてわからないし。私の場合は明確な目標を決めて進んでいくタイプではなかったので、そのときどきにおもしろそうだなって思った方に進んでいったらこうなりました。
でも、大学でグラフィックだけでなくいろいろなことができたのはよかったと思います。私たちのころはけっこう何でもやっていて、都市計画とか建築の授業もひと通り受けました。そういう経験から建築に興味を持って、今の仕事に就いたのかもしれないですね。

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革や鉄などの無骨な素材がかっこいいオリジナルの家具

―建築の授業も受けていたんですね。今後やりたいことはありますか?

今までの経験からすると、そのときになってみないとやっぱりわからないですね。
でも、楽しいことがあればすぐに動けるように、フットワークは軽くしておこうかな。あまり考えすぎてもなって思います。

―先輩にとって芸工とは何ですか?

すごく難しい質問ですね。試行錯誤の場だったんじゃないでしょうか。先輩のいない、前例のない状態でやってきて。それが今でも息づいているかもしれないですね。
学生さんは、勉強以外のこともあれこれやっておくといいんじゃないかな。芸工にはせっかくスタジオや工房があるので、いろいろ作ってみたりするといいと思います。

インタビュワー 浪崎唯
15期生(平成22年度入学)デザイン情報学科

―インタビューの感想―
梨里さんは2回転職されたということですが、どの職場でも楽しみを見つけながら仕事をしているというポジティブな姿勢がとても素敵だなと思いました。このような柔軟な考え方や行動ができるというのはデザイナーに限らずどの職業にも大切なことだと感じました。

浪崎 唯

分野問わずいろいろな物を見たり、人の話を聞いたりするのが好きです。

Written by 浪崎 唯

5月 13th, 2012 at 11:08 pm

Posted in 未分類

Vol16. 2012年5月 林 典子さん 芸術工学部8期生

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株式会社ケイ・ウノ
宣伝広告係

林 典子

8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
山口良臣 研究室

―林さんの仕事について教えてください。

ジュエリーの販売やデザイン・制作をしている会社の宣伝広告係で、プレス(広報)や販売企画をしています。
具体的には季節ごとのフェアや雑誌広告の企画をするのですが、先日担当した女性雑誌のタイアップ記事では、雑誌編集者と誌面構成を考えたり、モデルの撮影に立ちあったりと、良い経験をさせていただきました。ブライダルイベントのブースデザインをすることもあります。いかにお客様に楽しんでいただけるか作戦を立て、ディスプレイはもちろんブースのレイアウトや色味、入口の形などをデザインします。
また、販促物やショップ袋、ジュエリーケースなどのディレクションをして、社内のデザイナーと話し合いながら作ることもあります。自分でIllustratorなどを使って制作をするわけではないですが、意外に芸工らしいことをしていますね。

―林さんはどのような学生だったのですか。

私たちの頃は今よりも実習の選択が自由でしたので、プロダクトやグラフィック、映像など色々な科目に取り組んでいました。もちろん実習も楽しかったのですが、課題に黙々と一人で取り組むよりも学校祭のようにみんなで企画してつくり上げることの方が魅力を感じていました。新入生歓迎会やクリスマス会を企画して走りまわっているのが好きな学生でした。

―そうした経験から仕事を選んだのですか。

就職活動では、自分が本当にやりたいことが始めはわからず、自己分析をしたり色々な業種のことを調べたりしていました
就職活動って恋愛みたいなもので、相性があったら受かるって聞きますよね。だから受かったところが運命の場所なんだろうって、たくさんの会社の説明会に行きました。でも、始めは選考を受けていてもどこかピンとこない会社ばかりで、そういう会社は結局落ちてしまっていました。そして夏を過ぎても内定が貰えず焦り始めたころに、ケイ・ウノに出会いました。
就職情報サイトに掲載されているたった3行の会社説明の文章を見て、ここだ!って。ビビビっと来てすぐにエントリーボタンを押しました。

ケイ・ウノは主に結婚指輪などのオーダーメイドジュエリーの販売をしているので、「一人ひとりのために世界でひとつだけのデザインをする」という考えに共感したのだと思います。お客様の一生に一度の宝物探しのお手伝いがしたい!と、当初は接客業で入社しました。
ところが入社のタイミングがちょうど宣伝広告係を立ち上げる時期と重なり、1カ月間接客業を経験したあとに今の配属先に異動となりました。

林さんの指輪

林さんがケイ・ウノでつくったオーダーメイドの指輪、とってもかわいかったです。口頭で伝えたイメージを社内のデザイナーと職人が形にしてくれるそうです。

―もともとは接客希望だったのですね。

学生の頃に3年間スーパーで接客のアルバイトをしていましたし、人と話すことが好きだったので。宣伝広告に異動してからも、一度だけ接客に戻りたいと悩んだことがありました。
でも、宣伝はお客様が私達のブランドを知る最初の扉なんですよね。接客しながらお客様の幸せな顔を見たいと思っていたのですが、宣伝広告係ではお客様の来店されている数を見れば自分たちの想いが伝わったことが分かります。そういうことに携わることができるのは、とてもありがたいことだし、やりがいを感じます。お客様と直接話す機会はなくても、社内の先輩や後輩、社外の業者の方々と話し合い、アイディアを出し合う機会も多いので楽しんで仕事に取り組むことができています。

今は入社して6年が経ち、プロモーションチームのリーダーという立場を任され、後輩も増えました。そうなってくるとマネジメントといいますか、チームのことも考えなくてはならない立場になります。最近では、周りのスタッフの夢を叶えつつ、一番効率よくスタッフみんなのパワーを引き出すためにはどうするべきかを考えるようになりました。
今は後輩のイキイキしている顔や、頑張っている姿を見られることが本当に嬉しいです。先日も少し大きめの仕事を任せた新入社員が、報告会で泣きながら「辛いことを乗り越えた」という話をしてくれて、本当に良かったなと感じました。

―仕事をする上で、何か気をつけていることはありますか。

健康管理には気を遣っています。私がピリピリしていたり、疲れて元気がなかったりすると、きっと後輩は困っていても、私に相談しにくいですよね。オフィスの空気は上司が作るものだと思うんです。私自身も新入社員だった頃、先輩に声をかけてもらったり、ちょっとしたことにメッセージをくれたりしたことが、とても励みになったことを覚えています。だから、元気に挨拶をしたり、お昼休みに話しかけたりして、みんながホッとできるような雰囲気づくりをしようと心がけています。
学生時代よくしていた徹夜も絶対しないですね。仕事では、いかに時間内にクオリティの高いものを仕上げるかが重要だと思います。

そして仕事は仕事、仕事が終わったらプライベート、としっかり分けています。プライベートでは会社ではできないこと、例えば、情報を取り入れる時間として使うようにしています。街に遊びに行っても、素敵な看板やディスプレイを探したり、楽しい買い物ってなんだろうって考えたりするように意識しています。

―逆に社会人になってからも学生のころと変わらないことはありますか。

「来てくれた人を楽しませたい」それは学校祭や新入生歓迎会の運営のときも、今の仕事でも変わらない想いです。そして、各担当者がバラバラだと何もいいものはできないので、役割を分担して進行状況を見て…。皆で足並みを揃えることの大切さは変わらないですね。

それから、学校の授業でプロダクトを作るにしてもポスターを作るにしても空間をデザインするにしても、社会やそれを使う人のことを考えてデザインしますよね。私は今雑誌を作ったり、ネットに載せる言葉を選んだりしていますが、やはり同じポイントを意識しています。どんな仕事をするにしても、社会や人のためを考えなくてはいけないと思っています。

―学生時代にしておくべきことなどありますか。

とにかく多くの人と話すことをお勧めします。先輩後輩問わず、バイト先の店長でも、他学部の子でも。人と話すといろいろな考え方に触れられるし、自分の持っていない情報を得られますよね。それってとても得だと思うんです。学生のうちにできるだけ価値観が異なる人たちの話をたくさん聞いて、視野を広げていって欲しいと思います。
たくさん吸収できる時期ですので、色々な世界を見て、就職をしてからの視野を広く持てるように準備できるといいですね。その方が人生、楽しく過ごせるのではないでしょうか。

私は結構人見知りなのですが、意識して人としゃべるようにしています。人事部にも商品開発部にもよく足を運びますし、やはりお客様の声を聞くことが大事なので店頭スタッフにもよく電話します。
それに店頭スタッフが商品に対して、「わっ、かわいい!」って盛り上がって愛情を持つことが出来なければ、その良さをお客様に伝えることは難しいと思います。だからよく店頭に行って、どうしたらもっといい商品ができるか、どんなフェアがあったら楽しんでもらえるかと尋ね、みんなの意見を吸い上げながら企画をしています。その方が店頭のスタッフも押し付けられている感じがしなくて「自分達で作り上げている」感が出ていいですよね。自分も参加しているので愛着が沸くし。そういう対話から生まれたものは、デザイン云々ではなく、お客様の喜びにつながります。

雑誌の記事

女性雑誌のタイアップ記事。編集者の方と商品の大きさやモデルのポージングなどの相談をしながらつくったもの。

―もうすぐ社会人になる学生にアドバイスはありますか。

最初の1年は辛いことも多いと思います。覚えることがいっぱいあるし、会社からの信頼を構築する時期ですしね。「あの子はどんな能力があるんだろう」って試されてように感じることもあるかもしれません。でもそれって逆に言うと、先輩や上司にアピールできるチャンスでもあります。頼まれたことを着実にこなしたり、積極的にコミュニケーションを取ったりして、信頼されるスタッフになることが大切だと思います。

2年目は1年目で得たことを死に物狂いでやって、自分のモノにしていく時期だと思います。3年目になると仕事も一通り出来るようになり、冷静に将来のことを考えるようになって「この仕事でよかったのかな」と悩む人も多いと思います。実際に私の友人の中にも、そういった人がいました。でも簡単に「こんなはずじゃなかった」と諦めるのではなく「この状況は何か問題なんだろう」「どうしたら乗り越えられるかな」と考えてその時期を乗り越えてみてください。いつの日か、とても成長している自分に気づきますよ。

学生と社会人は様々なことが違います。環境が変わるということは誰にとってもストレスです。たくさん悩んで、たくさん泣いて、しっかりと仕事と向き合ってほしいと思います。

インタビューワ 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科

―インタビューの感想―
林さんはお仕事のお話を楽しそうに、生き生きと語ってくださって、とても格好良かったです。
仕事仲間への気配り、仕事にかける熱意等、いろんなことを考えながら組んでおられる様子が伝わって来ました。
インタビュー中にも集団で作り上げることが好き、とおっしゃっていましたが、そのためにたくさんの努力をされているのだと感じました。
自分も林さんの仕事に対する姿勢を見習っていきたいと思いました。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Vol15. 2012年3月 寺井(深津) 真理さん 芸術工学部6期生

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株式会社ベネッセコーポレーション 編集者

寺井(深津)真理

6期生 生活環境デザイン学科 平成16年度卒業
大学院芸術工学研究科博士前期課程 平成18年度修了
鈴木賢一研究室

―まず、学生時代のことを教えてください。

学部から鈴木研究室に所属していて、院生時代にはちょうど、「だがねランド」の立ち上げに関わりました。2011年の日本建築学会賞を受賞したり、今でこそ定着していますが、立ち上げのときは手探りでしたね。だがねランドのキャラクター「だがねずみ」とか通貨「ダガネ」とかも私たちの時にデザインしたんですよ。
だがねランドは子どもたちを対象にした、まちづくりや建築の体験型の学習プログラムです。名古屋都市センターを会場にして大学生や建築家と一緒に、夏休みの前半に建築やまちづくりのワークショップをした後、紙管や段ボールなどで実物大のスケールで商店街をつくります。このとき作業をした子どもたちには仕事の対価として、ちゃんとダガネを支給します。後半は自分たちで作ったまちで働き、遊ぶんです。商品を作ったり、それをダガネで売り買いしたりして。このようなリアリティある建築学習のシステムは、当時全国で初めて(!?)だったんじゃないかな。

―今はベネッセで働いているということですが、ここを受けようと思ったきっかっけは何ですか?

子どもと建築と教育というキーワードで会社を探していたんですが、愛知万博の市民プロジェクト「漂流日記」をやったこともあって、最初は広告代理店をいくつか受けてました。でも、広告代理店系は受からなかったんですよ。そんなときに「君のやりたいことってベネッセとかもあてはまるんじゃない?」と尊敬する人にアドバイスをいただいて。エントリーしたらトントン拍子に進み、内定をいただいたんです。
採用枠は営業と編集の二つがあったのですが、ベネッセでは入社後に適性を見て配属されます。私は編集に配属されて教材の制作に携わっています。教材といっても、教職の免許を持っている人は半分もいないかな。文系と理系と半々ぐらいでいろいろな人がいます。
採用試験では新聞の広告制作というグループワークが課題で出されたのですが、きちんとコミュニケーションができるかが見られていたと思います。仕事は自分一人ではできなくても、人と相談や協力することで、完成させることを求められるからです。

―どのようなお仕事をされているのですか?

寺井さんが描いたラフ画を見せていただきました。実際に出来上がったものと見比べると面白いです。(チャレンジ2年生「はてな?はっけんブック」より」)

最初は進研ゼミ小学講座の社会科の教材を2年間担当した後、希望していた副教材の担当になりました。副教材というのはお楽しみの読み物や投稿ページなどで、主要教科は指導要領があるのである程度決まった方針がありますが、副教材にはそれがないので、子どもたちに何を届けたら良いか、一から考えます。
約60ページの冊子を3人ぐらいの編集者で作っていますが、こんなふうに私たちがラフ画を描くんですよ。デザインをしたことのない文学部出身の人も。これをもとにデザイナーやイラストレーターに発注します。そして、あがってきたデザインに対して、文字校正やレイアウトの変更などあれこれ赤入れをしながら、一緒に作っていきます。そういうクリエーターと試行錯誤しながら作り上げるのは楽しいですよ。デザイナーでも、こちらのラフをガラっと変えてデザインする人もいれば、そうでない人もいて。タイプが全然違うので、企画によって頼む人を決めます。その時々で仕事の仕方も変わってきますが、基本的に編集はすべての工程を把握しているし、ゴーサインを出すのは編集の役目です。
以前、芸工の友人に「アートディレクターみたいだね」と言われました。誌面のデザインをするのは私ではないですけど、そのディレクションをしているように見えたのでしょう。

―編集者がラフを描くなんて意外でした。仕事の幅が広いですね。では企画はどのように考えるのですか?

企画のアイディアのおおもとは子どもです。ベネッセでは子どもたちへのアンケートやヒアリングを積極的にしていて、それを参考にしています。好きな色とか、人気のスポーツとか。
以前作った職業についての副教材では、子どもに人気のあるサッカーの選手を取り上げました。小学5年生ぐらいだと「好きだからこの仕事がしたい」と思っているんですけど、いくら好きでも皆がサッカー選手になれるわけではない。でも、サッカーの記事を書くライターという仕事もあるよ、と教えてあげることで視野が広がりますよね。この冊子ではあこがれる身近な仕事から周辺にある違う仕事へつなげていこう、というコンセプトで作りました。

―面白い企画ですね。大変なことも多いですか?

私もやっていたチャレンジ、懐かしいです。その制作の裏側を話していただきました。

たくさんの人が関わって制作しているので進行管理が大変ですよ。ひとつの特集をデザイナーやライターなど多くのスタッフと関わりながら3カ月かけて作っていて、月刊の冊子でいくつかのコーナーを担当していると、4月号の色校正をしながら5月号のデザイン依頼をして…、と常に企画が同時並行で動いていくことになるんです。発行日は決まっているので予定通り進めていかないと大変な事になるじゃないですか。自分でスケジュールを立てるんですけど、慣れるのには相当時間がかかりました。入社して半年ぐらいはOJT(On-the-Job Training)といって、上の人に教えてもらいながらやって、だいたい1年ぐらいで何とか一通りできるようになると思います。
今までやってきたことや特技などは、最初のうちはなかなか発揮できません。よく、就職活動中の学生さんが「即戦力になりたい」と言ったりしますがなれるわけがない。報・連・相(ホウ・レン・ソウ)とか取引先との対応とか、社会人として基本的な動作ができて初めて、得意なことが活かされるようになると思います。3年くらい経ってある程度できるようになると、今度は自分の強みを伸ばして頼られる人材になっていかないといけません。

―私も即戦力という言葉を使っていましたが、反省したいです。入社して芸工時代と変わったことはありますか?

芸工生って提出の締切ぎりぎりまで粘って、課題の細部にまでこだわったりする人多いですよね。私はめちゃめちゃそういう気質でしたが、今は良くも悪くもそういうのを残しつつ、そうじゃなくなったかなって思います。最後までこだわり続けて10時間残業しても、子どもたちにとっての価値は数パーセントしか変わらなかったりする。それなら、新規の企画にあてた方がいいかもしれない。ラフを裏紙に描いたりセロハンテープで切り貼りしたり、大雑把に仕上げてもそれで伝わる。下手にこだわるよりちゃんと締切を守り、全体をきちんと伝えることに意味があると気付きました。これは仕事を始めたことによる変化ですね。

―自分のことだけを考えればいい学生時代ではなく、それ以外のこともきちんと考えないといけない。その中で逆に変わらないことはありますか?

探求心は変わらないと思います。新しいもの作りたいとか、人と違うデザインでものを作りたいとか。モチベーションが下がる時もありますけど、できてきたり山を越えると、次は仕上がりが楽しみになってまた頑張れる。芸工時代にものを生み出す悩みとか苦しみをたくさん経験したおかげで鍛えられたのかな。いろんな人と関わりながら作っているのも、救いになっているかもしれません。デザイナーから刺激を受けたり、社内の人に相談したりできますから。クリエイティブな仕事をしているのであれば、相談相手は多い方がいい。社会に出て、仕事は一人でするものじゃないと思いました。

(インタビュー:2011年7月19日)

インタビュアー 宮城真紀
13期生(平成20年度入学)都市環境デザイン学科 原田昌幸研究室
エクステリア業界に就職予定

−インタビューの感想−
小学生からお世話になっていたチャレンジの話に花が咲きました。
どの仕事もですが、多くの人たちと関わりながら進んでいくこと、
また社会人としての責任を教えていただきました。
就職する前にインタビューができ、良かったです。

宮城 真紀

いろいろなことに興味を持って
色々なことをしていきたいです。

Vol14. 2012年3月 一宮 しのさん 芸術工学部5期生

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デザイナー

一宮 しの
5期生 生活環境デザイン学科 平成15年度卒業
三上訓顯 研究室

一宮しのさん

―大学を卒業してからは何をされてましたか?

まず、卒業してからは建築デザイン事務所に1年いました。芸工で学んできたことと違い、格好良い格好悪いという、感性だけでプランが進んでしまうようなところだったので、違和感を感じて過ごしていました。でもここで鍛えていただいたお陰で、パースはとても魅力的に描けるようになりましたけどね。
その頃に三上研究室のOBOG現役生の集まりがあったんですけど伊藤先生(現在名古屋工業大学准教授、当時三上研博士後期課程在籍)がいらしていて、建築事務所のスタッフを探しているんだけどやらないか?と誘って下さって転職しました。あと伊藤先生のご紹介で、愛知産業大学の非常勤講師も一期だけしていました。

―転職先の建築事務所ではどういった仕事をされていましたか?

事務所の名前はTYPE A/Bというんですけど、建築・プロダクト・グラフィックなどのデザインだけでなく、企業や店舗のブランディングやプロデュースまでやる所で、グラフィックの文字組などの細かいところや、ブランディングを行う際のマーケティングなど、たくさんのことを学びました。もちろん建築設計もやっていて、店舗のデザインをする際は、ブランディングからグラフィックまで一貫してやっていました。それから他の事務所とコラボレーションして展覧会を行ったりもしていました。
事務所に入って2年目くらいからはただ教えられるというだけでなく伊藤先生と一緒に作っているな、という実感がありましたし、特に入社当初から関わっていた、店舗兼住宅のCad:coには物件探しから建築設計・ネーミングなど並々ならぬ思い入れがありますね。

―同時期に非常勤講師もされていたようですが、どういったことを教えていたのですか?

非常勤講師では、学生に建築のプレゼンテーション方法を教えていました。始めは、何を教えようかと悩んだんですけど、技術的なことはもう授業で学んでいて、そういったことは自分たちでやっていけば良いと思ったので、実習をブラッシュアップさせるための講義にしようと考えました。
自分のプランがいかに良いかをうまく説明できていない子がほとんどだったので、それをもう少し引き出してあげられるように、リサーチ方法や表現方法を教えました。例えば、コンセプトシートを作成することで考えを整理することや、パース1枚描くにしてもどこに人を描くのか、それ次第でパースが生きたりする。そういったことを教えていました。私の知っている知識の中で、学生さん一人一人の個性が出るように。あと、分からないから教えてもらってないから、できませんという人には、調べ方を教えたりしました。全てを教えるんじゃなくて、ヒントをあげる感じですね。

―自分自身の経験を生かした講義をされてますね。なかなかできない経験ですがどうでしたか?

非常勤講師って人前に立って話さなきゃいけないじゃないですか。私は小心者なんで、すごく緊張しました。数ヶ月前から入念に準備してたんですけど、3日前からご飯がのどを通らなかったり、時間を計って家でぶつぶつ話す練習もしてました。だんだんと慣れてきたんですが、もともと半期だけと決めてましたので継続の依頼は丁重にお断りしました。
この頃から海外の大学院に行きたくて、事務所をやめて3ヶ月ほど語学留学しました。このまま日本で毎日たった数時間英語の勉強のしたところで埒があかないと思って。丁度自分が担当していた住宅(Cad:co)が竣工して、タイミングが良かったのもあります。周りにはとめられましたけどね(笑)。

―留学にとても興味があるのですが、その時のことを詳しくお願いします。

留学先はフィリピンでした。ここは留学費用が安くて、1対1で家庭教師をしてくれる利点が有るんですよ。留学生の宿舎に、レベルや授業内容に応じて現地の先生が来てくれるんです。韓国では有名で、一度フィリピン留学で英語の勉強した後、欧米に留学するのが主流らしいです。
フィリピン留学の後、東京に出て派遣会社に入り、某有名ブランドへ派遣されました。英語の勉強をしながら仕事をしていたのですが、志望していたシンガポール国立大学の大学院試験に落ちてしまい…。これはお前日本で頑張れっていう天の声かなって思って(笑)、ここ日本で頑張ろうとなりました。

―大学院に落ちた後も派遣会社で働いていたのですか?

英語の勉強をするための時間が欲しかったから派遣会社で働いていたので、落ちた後はやめました。
その後貴金属やドッグオーナー向けの商品を取り扱う会社で働きつつ、ご縁があって始めた赤坂の店舗運営準備に奔走していました。その会社では、会社の立ち上げから関わっていたので、広報から雑用まで色々やりました。どういったものが売れるか、市場展開を考えるのも楽しかったですね。店舗の方は、イタリアンレストランの居抜の店舗がある状態から始まり、私と同い年のメンバー三人でターゲット層やテーマからお金の管理方法まで全部考えていました。香りをテーマにメニューとサービスを提供し、日替わり・時間割制で店舗を運営していく、という面白い試みだったと思うんですけど破談になっちゃいました(笑)。

―では現在は何をなさっているのですか?

今現在は、フリーランスのデザイナーとして始めたばかりです。
まだまだお金にならないに等しいけれど、絵本の装丁のお仕事や、マンションのリノベーション、シェアハウスの物件探しとリノベーションなんかのお話があります。それも旅先のインドで出会った方だったり、シェアハウス仲間から、といったご縁でお話をいただいてます。
最近は20代で起業している人たちや、面白い事やろう!というパワーのある人たちと出会うことが多いので、そんな人たちと一緒にコラボしながら楽しくやっていきたいですね。

―驚きました。様々なことを経験されていますね。

シェアハウス

ご自宅で開かれたパーティーの様子です。楽しそうな雰囲気が伝わってきます。

よく言われます(笑)。 生活環境デザイン学科に在籍してたので、周りから「建築以外もほんといろいろやるよね」と言われたけれど、私からしたら何も変わっていないと思います。モノとかコトとかを造り出して行くことに、なにをやるにも変わりはないと無いというか。形を、どういうものをつくるかが結果的に違うだけで、プロセスは変わらない。だから逆に、何が違うの?とも思います。ご縁があったもので面白いと思ったものはやりたい、って思っちゃうんですよね。ただ単にモノをデザインするというよりは、企画段階から入っていってストーリーを構築していくことの方に興味があるので、たくさんの人と関わりながら、その中で技術的に自分ができることをやっていければいいな、と思います。
それは芸工にいたからこそ、そう考えられるようになったんじゃないかな。様々な専門分野の先生たちがいて、学生がいて、やっていることや考えてることも違うのだけど、たくさんの人と一緒に過ごす事で、何をするのにも大した垣根はないんだって教えてもらった気がします。
卒業して8年経つけど、腹を割って話せるのは芸工の子たちだと思います。根本的な志が似てるからかな。同じ空気を持っていて、同じ環境で過ごせた人ってそうそういないですよ。苦楽を共にしてきたし、良い面も嫌な面も全部見せてきてますからね。芸工は本当に楽しかった。
今も芸工の子と一軒家をシェアしています。家族の次に気を使わなくていい子なんです。今はちょっと中断してますが、外国人の方の滞在先として家を提供したりしています。他にも友達や、友達の友達なんかも泊まりに来たりパーティーをやったりしてるので、毎日賑やかですし、また色んな人と考えを共有できて楽しいですよ。

―芸工の素晴らしいところを再認識しました。一宮さんにとって芸術工学とは何でしょうか?

『右脳と左脳、感性と論理、そのバランスを持つ力を養う。』

…という中途半端でかつ矛盾を帯びた言葉です。
でもこの中途半端で矛盾している感じがとても好きなんです。
わたしにとって芸術工学という言葉は、普段は頭の片隅に隠れていて、ひょんなことで飛び出して来る、一生のパートナーです。デザインをするときだけでなく、色んな分野内でも、二項対立するものを考えた時いつも思い出すのが芸術工学という言葉です。白黒はっきり決めなくてもいいじゃん、って思わせてくれる。
でもそれはただの言葉であって、難しく考える必要はなくて、目の前にいる人のために、愛情を持って自分に何ができるか真剣に考え行動することが大事ですよね。

―それでは最後に学生へメッセージをお願い致します。

大学時代は、たくさんの人と会話をすること、話を聞くこと、とりあえずやってみること、誘われたら断らないこと、なんかを頭に入れておけば良いのではないでしょうか。色んな人がいて、色んな意見を聞かされて、頭の中と感情が一緒にならないときってあると思うんですが、その中でふと身体に入ってくるものもあるはずだから、それを選んで行けば良いと思います。
色々経験して、中途半端で矛盾だらけの面白い人になってほしいですね(笑)。

(インタビュー:201)

インタビュアー 宮城真紀
13期生(平成20年度入学)都市環境デザイン学科 原田昌幸研究室
エクステリア業界に就職予定

−インタビューの感想−
自分がやりたいと思うことを沢山経験されており、インタビューを始めてすぐに一宮さんのお話に惹き込まれました。
凄いなと感心すると同時に、とても羨ましいとも思いました。
記事にはしていませんが、いくつかの人生の相談にのっていただきありがとうございます。

宮城 真紀

いろいろなことに興味を持って
色々なことをしていきたいです。

ワークショップ「あそびのつくりかた」写真レポート-3月19日(土)20日(日)開催

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子供と大人で「あそびをつくる」ワークショップ、「あそびのつくりかた」が3月19日(土)20日(日)の2日間にわたり開催されました。岡田憲一さん冷水久仁江さん2人のゲスト、そして芸工卒業生である青木亮作さん斉川義則さん野口大輔さん3人の講師をお招きし、当日は約30名の受講生と約11組の親子が参加する、総勢50数名という大きなワークショップとなりました。

1.オリエンテーション

まず、講師の青木さんから「workshopという言葉の持つ意味」と「今回のworkshopの目的」について、受講生に向けたオリエンテーションをしていただきました。


「何を作るか決められていない場所」である工房(workshop)にて、「子どもが笑う知恵をみんなでシェアしよう」という目標のもと、どうやって知恵を見つけ出し、遊びを作り出すのか。そのヒントとなりました。
また、そこで青木さんは「スポーツのようなものづくり」の提案をし、普段授業にて頭でアイデアを練る受講生の私たちに「身体でアイデアを出し試作をする」ことを伝えました。

2.チーム別ディスカッション

次に講師を中心とした3つのグループに分かれ、子供の頃に楽しかった「あそび」のエピソードを思い出し紹介し合う、簡単なディスカッションを行いました。「あそび」における「オモシロ成分」の分析をすることで「あそびづくり」のキッカケをつくるとともに、頭と緊張がほぐれました。

3.あそびをつくる①

午後からは実際に子供たちに登場していただき、実践を行いました。



予想をはるかに上回る子供たちのパワーに圧倒され翻弄されつつも、あの手この手と趣向を凝らして「あそぶ」受講生の姿がそこにはありました。時間が経つに連れ子供たちも慣れてきたようで、自分からあそびを提案する子もみられ、確かな手応えを感じました。


4.作戦会議(おやつタイム)


ひとまず休憩ということで親子の皆さんにはおやつを満喫していただき、その隙に受講生たちは作戦会議。


ここではsus4の野村さんによる、最終成果物であるアプリのシステム解説と編集方法のアドバイス講義も行われました。身体と頭脳のフル回転で、受講生たちは若干お疲れのご様子。

5.あそびをつくる②


後半戦は、部屋を真っ暗にしてからのスタート。前半とは環境がうって変わり、明かりも材料も制限された状態でどのように子供たちを喜ばせるのかがポイントでした。


前半のようにスムーズにはいかないものの、暗いことを活かしての「光」や「音」を用いてのアイデアが次々と登場し、なかなか面白い発想だったのではないかと思います。

6.まとめ(1日目)


後半戦も無事終了して親子の皆さんを見送った後、1日目最後のディスカッションが開かれました。どんな「あそび」をつくり、どんな「面白さ」があったのかを思い出しながらカードに描き出し分類していきます。


みんな「子供疲れ」でクタクタにもかかわらず、笑顔を絶やすこと無く作業を進め、一段落ついたところで解散しました。おつかれさまです。

7.オカダケンイチさんによるプレゼンテーション


2日目はゲストのオカダケンイチさんによるプレゼンテーションからの始まりでした。いくつかの作品の解説や、そこにいたるまでのプロセスの紹介など、自分の経験体験談を交えての面白く不思議で貴重なお話をしていただきました。


個人的には「自分の周りを食いつぶしていくデザイン」という考え方がとても印象的で興味深く今後参考にしていきたい話でした。今回のワークショップの目標である「スポーツのようなものづくり」の実感が湧き、午後からの活力を頂いたように思います。

8.アプリをつくる

昼休憩を挟んだ後、3人一組の縦割り(年齢が異なる人で組む)チームに分かれての本格的なまとめ作業にとりかかりました。



1班につき6つ程のあそびを選び、それをアプリに落としこむために共有できるフォーマットに作り替える作業です。ちょっとした誤字脱字がエラーになるという緊張感あふれるバグチェックを固唾を飲んで見守りました。

9.まとめ(2日目)


そして、ついに、完成。目の前のスクリーンに映し出された画像ではなく、実際のiPhoneで手元にて、見て、触ることで実感が湧き、感動もひとしお。あちらこちらからポツポツと聞こえた感嘆は、やがて拍手へと変わり、みんな満足度が肌で感じられるものとなりました。


細かい修正を加え、近日中の公開を目指して今もまだ作業中ですが、公開された暁には日本各地のいろいろな場所で、子供たちの笑顔をつくるために役立てていただけるのではないかと期待しております。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Written by 竹森 佳奈

8月 17th, 2011 at 7:58 pm

Vol13. 2011年08月 東野 唯史さん 芸術工学部8期生

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デザイナー

東野 唯史

8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
三上訓顯 研究室

東野 唯史

―芸工を卒業されてから今までのことをおしえてください。

卒業して2007年から株式会社博展に就職しました。展示会をメインに店舗やグラフィックなど様々なことができる会社でした。
博展を選んだ理由は、建築だけをやるよりも芸工のような環境で、幅広くやりたいと思っていたからです。グラフィックや空間、映像の人がいて、情報の集まる場所で、ベンチャーみたいなノリがあり、新人からバリバリやれるのが良いなと思って就職しました。その会社では、主に展示会のブース設計をしていました。どうやって目立たせようか、どうやって人を集め滞留させて営業しやすいようにもっていくかなどを考えていました。
2年9ヶ月勤めたあと、会社を辞めて、世界一周旅行に出かけました。その後は東京に戻ってきて、フリーのデザイナーとして仕事をしています。

世界一周旅行で共に旅したカメラ
世界一周旅行で共に旅したカメラ

―世界一周旅行はご自身のブログで綴られていますね。どのような旅行でしたか。

一昨年の12月に会社を辞めて、310日ほど旅行して、昨年、2010年12月に日本に戻ってきました。初めての海外だったので、最初は日本語が通じてご飯が美味しい台湾からスタートして。
その後は、中国、香港、マカオ、ベトナムからネパール・インドへ抜け、トルコからヨーロッパ諸国を回り、モロッコ、エジプト、イエメン、東アフリカを回り、アフリカ大陸縦断、南アフリカからアルゼンチンへ飛んで、中南米の国を巡り、最後はキューバから日本に帰ってきました。文字通り世界一周でした。
現地の学校のボランティアをしたりシャーマンの修行をしたりしながら、日本には無い価値観を沢山感じることができた旅行でした。費用は全部で150万円くらい、準備からあわせても180万円くらいでいけますよ。

―世界一周旅行に出かけるきっかけは何でしたか。

社会人になるときに海外やバックパッカーに興味を持って、「深夜特急」や「Design for the other 90%」という本を読んで、影響を受けたのがきっかけです。
社会人になってから旅に出る場合、会社を辞め独立する前ならまとまった時間がとれるだろうと思い、辞めるタイミングを見計らっていました。

―会社を辞める際に葛藤などありましたか。

会社では社員のデザイナー全員がコンペでの勝率を出していて、一人前の人が40%ぐらい。でも入社して2年半のとき、僕の勝率は物件にも恵まれて75%でした。そのとき、それまで働いた2年半とその後の2年半を想像して、このまま仕事していても、もう自分のデザイン的スキルと人間的スキルの伸びしろは、そんなに無いかもしれないと思いました。実績も作れるようもになってきていて、その頃の仕事が2009年にディスプレイデザイン奨励賞を受賞しました。
展示会の仕事ばかりしていても、あまり現状と変わらないだろう、違う情報を自分の中に入れないと面白くない。
もともと、逃げるような形では辞めたくなく、ちゃんと実績を作ってから辞めたいと思っていましたから、実績もあるし、このタイミングで自分のステップアップのために辞めました。
それから、展示会の設計を一生続ける気も無かったんですね。広告業界そのものに対してそんなに興味がなくなってしまって。そんなことできる人は僕以外にもいっぱいいますから。

―それで旅に出ることにされたのですね。お仕事中に心がけていたことはありますか。

「会社に期待をしないし、依存はしない」とずっと心に決めていました。もともとフリーでやりたい気持ちがあったので、いつ首が切られてもいいように心構えをし、仕事に臨んでいました。会社にしがみつくのではなくて、必要とされるぐらいのレベルで常にいられるように意識していましたね。
また、在学中に三上研究室の伊藤さん(現:名古屋工業大学准教授)に言われた、「社会人になったら馬鹿になるから気をつけろよ」という言葉が、社会人になって心に沁みました。会社の利益を上げるためのデザインと、大学のときに勉強していたデザインは全然違います。新人の時は仕事に追われて目先のことしか見えなくなってくる自分に気づいて、視野を広げられるように週末は必ず美術館などに行くように心がけていました。

toco.エントランス
インタビュー会場は東京の古民家ゲストハウス、toco.でした。あずのさんが世界一周中に知り合った方が経営されています。

―世界一周したあと、日本に帰ってきてからは何をされていたのですか。

戻ってきた直後は、転職するかフリーになるかまだ悩んでいましたが、結局いきたい会社もないので、やりたい方向を探したり勉強したり、いろんなとこに顔出したりしようかなと、フリーランスで働きはじめました。
業務内容は博展のときと変わらず、展示会やモデルルームのデザインをしたり、博展のころの先輩の仕事を手伝ったりしています。

フリーになってすぐに東日本大震災があって、何かしたいな、と考えるようになりました。フリーだし、地震で物件も止まっているので、ボランティアに行こうと思いました。仕事は回り始めたら帰ってこればいいやと思って。4月のはじめにap bankの一般参加ボランティアの第一期に参加して石巻に行って、その後、友人が立ち上げた青年東北支援隊に参加してGW明けまで石巻に入りました。
作業内容は瓦礫の撤去と泥だし。デザインではなく「人手」でした。作業をしつつ、団体のロゴを作ったりもしましたけど、とりあえず肉体労働をがんがんやりました。

今は仕事が忙しくて行けてないですが、仮設住宅に絵を描く企画の提案をしたり、全壊した建物を残して後世に伝えていく企画にも興味があって、今後も時間が作れたら行きたいと思っています。

―精力的に活動されているのですね。ではお仕事の今後の目標をおしえてください。

フリーとして食べてはいける、だけどそれだけでは満足できない。デザインもできるし、パースもやれるけれど、それだけでは面白くないというのが僕の考えです。

最近僕が良く考えているのは、「脱東京」と「脱デザイン」です。

僕は今東京で仕事をしているけれど、その理由は、デザインで稼いでいくには東京が一番手っ取り早いから。お金も集まるし、デザインに対するニーズも一番多い。名古屋や福岡で同じように働いていけるかというと、それは断言できません。ということは、東京という大都市の、デザインにかける広告費や消費の経済的な枠組みの中でないと生きていけない状態ということですよね。そうではなくて、ゆくゆくは田舎でもちゃんとデザイナーとして食べて行けるシステムができた方がいいなと思っています。僕は東京も好きだけれど、東京に依存して生活していくのは面白くない。

「脱デザイン」は、デザインを仕事としてやっているけれど、装飾的なデザインだけを頼まれる人にはなりたくはないという意味です。もっと根本のコミュニティのあり方から関わって行きたい。企画から携わって、その過程で必要となった時にデザインをしたい。今まで空間デザインやグラフィックデザインをしてきたので、そのマネジメントもできるし、必要な部分で働いていきたいです。

—その目標には何かきっかけがあるのですか。

山崎亮さんというデザイナーの本を読んで、コミュニティデザインに興味をもつようになりました。
この方は地元の人とじっくり時間をかけて町の復興の流れをデザインされています。一時期だけ人を集める仕掛けではなくて、デザイナーが町を去ってもずっと人が集まるように、町の人たちが継続して活動できるようにしている。今はこの方のような働き方で食べて行けたらいいなと思っています。

たぶん、そういう部分に興味があるのは、学生の時、川崎先生の一番最初の授業で、「お前らは日本のデザイン界を背負っていくんだ。デザインでもっと世の中を良くすることができる。」と言われたことが大きいですね。そのときの衝撃が今も残っています。僕の思っているデザインは、世間一般の人の言うデザインとは違います。もっと広い意味でのデザインをしたいのです。

もうひとつ、学生時代で心に残っているのは、芸工の伊藤先生からもらった一言でした。広小路を活性化させるための提案をプレゼンテーションした際に、「東野は設計とかは全然だめだけど、こういう提案はいけるからプロデューサーになればいいよ」と。これはとても嬉しかったです。

僕は卒業制作で、チルドレンズミュージアムという建物の設計をしました。
名古屋の小学校の多くが公園と隣接しているので、その場所を使って地域ぐるみで子ども達の教育ができる持ち運び可能なユニットを作る。そのユニットを栄の街中に持ち出して、ワークショップや展示をしたら楽しいだろうな、という提案でした。

今、やろうとしていることも、卒業制作でやりたかったことも、根本はあまり変わらないのかもしれませんね。

—学生時代から考え方を貫かれていますよね。東野さんにとって芸術工学とは何ですか。

ひとことで言えば、デザイン。でもこの学部で言うデザインは、世の中で言われているデザインではなく、もっと広義なデザインです。
いろんな学問を勉強して結びつけて形にするのも芸術工学、いろんな分野の人をマネジメントして、そこから何かの役に立つように導いて行くのも芸術工学。要するに、ひとつに偏らないこと。芸術工学の良さは、いろんなことに興味を持てるし、いろんなことが吸収できるし、いろんな人と話ができることだと思うのです。
芸大美大の人たちは絵の勉強をすごく力を入れてやってきているけど、芸工はそうじゃない。その中でデザインするならば、自分たちでないとできないことを考えて行けばいいと思います。
僕は芸工のような、芸術の分野の人とも、それ以外の分野の人とも歩み寄れる「中途半端」なポジションがとてもいいと思っています。芸工には幅広い分野の先生がいるから、こんな世界があるんだなっていろいろ覗き見れるでしょう。興味を持つ取っ掛かりにもなりますよね。

学生の時、三上先生に、建築家とかグラフィックデザイナーとかいろんな人と仕事をするようになると、対等に話をするために、相手のレベルまでその分野もやっておかなきゃいけないって言われました。そうすると、ひとつの視点から見えていた物が別の視点からさらに改良して行けるようにもなります。川崎先生がデザインをする時、内側の基盤まで考えて無駄の無いデザインをするように。それこそが芸術工学だと思っています。

―最後に学生に向けてメッセージをいただけますか。

形を作ったり、デザインを考えたりするのはトレーニングすればどうにでもなります。極端に言えばCGも図面も書けないまま卒業しても全然なんとかなりますよ。もっと言うなら、生きていくだけならばどうにだってなります。去年一年間世界一周して、出会った旅行者はみんな無職でした。でもみんな日本で職がある多くの人よりも幸せに生きているからね。

CGや図面のスキルを身につけることに時間を割くくらいなら、もっといろんなものを見て、いろんな人と話して吸収するほうがよっぽど有意義な大学生活だと僕は思う。スキルをつけるだけなら専門学校へ行けばいいし、そういうことを学んだ人がやればいい。
そういうスキルの部分は、社会人になってからも伸びると思っています。でもその土台はそうではない。大学の特性や置かれている環境で土台がつくられて、その後は伸びない部分がある。そしてそこは社会人になっても皆が揃うことは無いのです。
たまに、大学の勉強が役に立たないって言う人がいるけれど、そんな馬鹿な話はないですよ。めちゃくちゃ勉強になりますよ。ものの考え方はどの分野にも応用が効きますから。

みんなには大学にいるときのメリットを生かして欲しいと思います。大学生という立場、芸術工学を学んでいる立場、名市大生という立場。名古屋に住んでいることも含め、そういうことを駆使すれば他の大学よりもずっと動きやすいことが、いっぱいあるのではないでしょうか。

先日、世界一周旅行の写真展がゲストハウスtoco.にて行われました。
その写真などがたっぷり掲載されている、世界一周のことを綴られたブログ -ヒトリマワリヒトリタビ-(http://azutrip.blog101.fc2.com/
フリーをされてからのことを綴られているブログ aiUeO(http://t-azuno.com/

とても読みごたえがあります。ボランティアや旅に興味のある学生は是非ご覧ください。
また、旅に興味のある学生には助言してくださるそうです。是非、連絡をされてみてはいかがでしょうか。

インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科 藤井尚子研究室

―インタビューの感想―
学生のときもフリーをされるようになってからも、変わらず貫かれている志を感じることができて刺激的なインタビューでした。
また、インタビュー中も会場を通りかかる人から、よく声を掛けられているお姿や、世界一周時のエピソードや今の活動について語るときのとても笑顔が素敵で、東野さんの心の広さや、コミュニケーションをデザインしたいと仰っていた部分を垣間見れた気がします。会社に依存せず、自分を常に高めようとされている姿勢は私も身につけられるようになりたいと感じました。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Written by 竹森 佳奈

8月 10th, 2011 at 10:40 am

Vol12. 2011年3月 食堂のおばちゃん

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和田静子
食堂のおばちゃん

今回のクロストークインタビューは、「食堂のおばちゃん」こと和田静子さんです。
1月30日に食堂で働いていた先輩方に集まっていただき、おばちゃんを囲んで座談会を行いました。
参加していただいた先輩は、
松河剛司さん(6期生)、長谷川麻衣さん(6期生)、田中揚子さん(8期生)、濱口皓太さん(9期生)、井村旭宏さん(9期生)です。
今年度いっぱいで食堂を引退されるおばちゃんから芸工生へのメッセージをお伺いしました。

―おばちゃんはここにいつから勤めていらっしゃるんですか

芸工のキャンパスが名古屋市立女子短期大学だった頃から働いています。だから40年くらいになるでしょうか。
女子短大の初めの頃は売店だけで厨房は無くて、パンとアイスクリームを売っていました。そのころは食堂の二階は全部部室で、テニスや茶道、ギターマンドリンなどがあって賑やかだった。店を閉めるときに声を掛けると二階から学生さんがアイスクリームを買いに降りてくるから、なかなか閉められないってこともありました。テニス部は食堂の外のガラスを鏡代わりに素振りをしていたし、毎日合唱部の発声練習の声が聞こえていましたよ。食堂にあるピアノはそのときのものなの。

―そんなに長く勤められているんですね。芸工ができた当初から芸工を見ていらっしゃったと思うのですが、1期生の頃と今とでは食堂に変化がありますか。

1期生の頃は今ある芸工の建物もまだ無くて、みんなが集まれる場所も無かったからね、授業が無い学生さんはいつも食堂で集まってテレビを見たりしていましたよ。その頃は生徒も少なかったですし、みんな顔を覚えていますよ。授業の後に「おばちゃん、何か残っていない?」って食堂に来た学生さんに食事を出したり、お弁当を作ってあげたこともありました。今みたいに生協だとできませんけど、当時はわたしが個人でやっていましたから。

座談会の様子

おばちゃんが家族のように先輩方に接しておられたことが伝わる、暖かい雰囲気の座談会でした。

―おばちゃんは本当に、学生にも、食堂にも愛情をもってお仕事されていますよね。

わたしはこの店に凄く愛着があるんです。カウンターひとつでも傷つけちゃいけないなって思って使っています。学校のものなんですけどね、自分のうちのお勝手以上に大切に使っているつもりです。

食堂に新しく入った人も若い人ばかりだし、よく働いてくださっている。こんなに綺麗にしてもらえたし、みなさんもこれからも食堂を利用してくださいね。

―学生を注意したり叱ったりすることもありますか?

「プレゼンするときにはきちんと身だしなみを整えなさいよ」と言ったりします。芸工ではプレゼンして人の前でしゃべることも勉強のひとつでしょう。これから社会に出て行くんだから、そういったこともしっかりできるようになるといいですよね。

それから芸工は時間にルーズな学生さんもいるでしょう。でも時間を守ることや約束を守ることは、一番大事。時間を守れない人はやっぱり約束も守れない。そういうことは食堂のアルバイトの学生さんにはしっかり注意しますよ。

―おばちゃんはお母さん的視点で指導されていますよね。その他に芸工生にアドバイスはありますか

普段そんなに4年生と1年生が話をする機会は無いけれど、例えば食堂のアルバイトしている学生さんは各学年にいたから手伝いをしていると先輩の姿も見るし、話を聞く機会があるでしょう。それはとてもプラスになることだと思います。だから、私はいつも「先輩のお手伝いをさせてもらいなよ」と言っています。

勉強のことも先輩に聞いて、教えてもらったらいい。お手伝いさせてもらうと、目で勉強させてもらえますから。たとえば建築系の模型作りでも、お手伝いをすると、先輩のいろんなものを見せてもらえますよね。周りの人をいっぱい見て比較して、それだけで勉強になるじゃない。ああこうやって作るんだなとか。

お手伝いしたら、先輩と繋がることもできるし、いいことばかりですよ。

―40年間もずっとここで仕事を続けてこられましたよね。長く続けられる秘訣ってあるんですか。

わたしの旦那が亡くなったときも、食堂に来ました。その日ぐらい休めばいいのにって周りの人に言われましたけれど、わたしがいなかったら、学生さんたちがご飯を食べられない。学生さんのことを思うとどうしても休めない。そういった気持ちで毎日来ていました。

最近も足の親指が腫れて痛くて、息子に「食堂休んで病院行って来なよ」って言われても、雪の日に「転んだら危ないから休みなさい」って言われても、仕事に来ました。40年休まずに食堂に来ていたのに、あと少しのところで休んでどうなるのって。

―どうしてそんなに生徒のために尽くしてくださるんでしょうか

「情けは人のためならず」って言葉があるじゃない。食堂のバイトの学生さんにはいつも良く覚えておきなさいって言うんですが、人のために情けをかけると、その場では返ってこなくてもいつか自分に戻ってくるから、って。

わたしも芸工の子が卒業して活躍しているのをみると嬉しいし、どこかで会うといつものように「おばちゃん」って声を掛けてくれて、自然と「いってくるね」「いってらっしゃい」ってやり取りができることが、すごく嬉しい。そういうことがみんなにしてあげたことの、ご褒美みたいなものだと思っています。

おばちゃんは学生に対して、時にはお母さんのような目線で叱ったりすることもあったそうです。

―芸工生はおばちゃんにとても感謝していますよ。

最近、学生さんから手紙を頂いたんです。「おうちに帰って読んでね、おばちゃん」って言って。わたしは申し訳ないことにその子の名前も知らなかったんだけど、その手紙には「寒い日にパンを買おうとしたら、おばちゃんが今日は寒いから味噌汁を飲んだほうがいいよって言ってくれた」とか、今までどういうことをしてくれてありがとうって、いっぱい書いてあったんです。わたしが何気なくやっていたことが、こんな風に思われていたんだなって、食堂のバイトでもない学生さんから、そういうふうに言ってもらえて、ほんとに涙が出るほど嬉しかった。

―そんなことがあったのですね。最後に芸工生に伝えたいことはありますか。

このあいだも、私が食堂に立つ最後の日にたくさんの方が来てくださって、ほんとにほんとに嬉しかったです。食堂をがんばってきて良かったなと思いました。わたしは学生さんや先生方、事務の人、みんなに生かされて、40年休まずにここまでこれたと思っています。

今でも卒業生が電話や手紙で、展示会のお知らせや受賞の連絡をくれたりするんです。また、学生さんと触れ合えたことももちろんですが、芸工の学生さんたちから建築や芸術などにも触れ合えて、自分の感性にも影響してもらえたって思っています。それは他の職場ではできないこと。わたしはほんとにみんなのおかげで幸せなお仕事をさせてもらえたなって、思っています。ほんとにみんなありがとう。
これからも、皆さんの健康とご活躍をお祈りしていますよ。

食堂のおばちゃんお疲れさま会のお知らせ

月日:2011年4月24日(日)
場所:芸術工学部北千種キャンパス
●川崎和男名誉教授による記念講演会
16:00~ (15:30 開場)
図書館上大講堂
●食堂のおばちゃんお疲れさま会
18:00~ (記念講演会終了後、受付開始)
アセンブリーホール(食堂)
詳細はこちらから(同窓会のサイトが開きます)

どうぞふるってご参加ください。

インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科

―インタビューの感想―
記事には書ききれないほど沢山、おばちゃんの芸工生への愛情を感じるエピソードを聞くことができて、とても楽しいインタビューでした。
この学部ができた当初から、おばちゃんは芸工のお母さん的存在で、芸工の変化も見守られてきていることが伝わってきました。
おばちゃんの愛してくださっている芸工の空気を受け継いで、これからも大切にしていきたいと思います。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Written by 竹森 佳奈

3月 23rd, 2011 at 10:37 pm

Vol11. 2010年12月 青木 亮作さん 芸術工学部3期生

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プロダクトデザイン

青木 亮作

大学院芸術工学研究科 平成15年卒業
川崎 和男 研究室

—今までのお仕事について教えて下さい。

大学でプロダクトデザインを学んだ後、オリンパスに入社しました。
最初の年は内視鏡や顕微鏡を作るチームに、2年目からはコンシューマー機器のチームでICレコーダーやカメラなどの製品デザインをし、3年目に全く新しい部署の立ち上げメンバーになりました。

そこでは、すでに決まっている企画を形にするのではなくて、提案したいものがあったら自分でスケジュールを立てて見積もりを取って上司を通し、プロジェクトを動かしていくことができました。プロダクトだけでなくUIを含んだ実働プロトタイプを作成して、説明書、箱、Web、販売戦略など包括的に提案するのが仕事です。

こう言うと、日本の会社によくある、商品につながらない研究部署のように聞こえるかもしれませんが、結果的には、1年後のヒット商品につながる提案を行えていました。
そのときの仕事は、もう最高に楽しかったです。
一方で、オリンパスの環境が自分には小さいと感じるようになって、ソニーに転職することにしました。

—ソニーではどのようなお仕事をされましたか。

バイオチームという部署に所属して、パソコンとその周辺機器のデザインをしました。ここでは、オリンパスでやっていたように最初から包括的に提案をするのではなく、プロダクトデザイナーとして徹底的に外観形状について考えることになりました。

今思えば当たり前ですけど、ソニーのように大規模な会社は役割分担が徹底しているのです。デザインの話でちょっと極端に例えると、GUIはGUIチームで決める。プロダクトはプロダクトチーム、パッケージはパッケージチームで決める、というように。細部を徹底的に考える方法が学べた事は、大変ありがたかったのですが、より包括的な仕事するために大きな会社へ転職したつもりだったので、想像とはまったく逆だったんですね。 一方、オリンパスで立ち上げた部署は、実働メンバーが3人しかいなかった。だから、メンバーの一人ひとりがいくつかの役割を兼ねる必要があるし仕事のやり方を自分で考えて作っていけたんです。

大企業式役割分担の仕組みだからできる質の高い製品もあるでしょう。でも、僕にとっては役割分担よりも包括的なやり方の方が楽しめるし、良い結果も出しやすい。ソニーでは細部を徹底的に考え抜くための大変恵まれた環境がある反面、包括的な能力を発揮する機会が少ない。
それがもどかしく感じて、半年前に辞めることにしたんです。

—ソニーを辞めて独立された、ということでしょうか。

独立っていう言葉の印象とはちょっと違うと思います。確かに、大企業っていう組織は抜けました。でも、それは別の集団に移っただけで、自分に合ったコミュニティに転職したような感覚です。企業に属さず立派な仕事をしている人はたくさんいて、そういう人の集まったコミュニティが周りには多くあるんです。だから、そっちの方が自分にはプラスになると思ったんですよね。

この半年の仕事内容としては、家電メーカーのプロダクトやUI、海外のショッピングセンターのモニュメントの仕事をしたりしました。それから最近は、本を作ってほしいという変わった依頼もありましたね。

—本の制作ですか。オリンパスやソニーでは扱わないような製品ですね。

本といっても、編集、デザイン、印刷、製本、全部一人で手作りするスペシャルなものなんですけどね。 例えば、あるイベントの展示内容と催し物の雰囲気を伝える為に、巨大で分厚い豪華本をつくりました。記録のためだけでなく次回のスポンサーを集めるためにも使える、ということで喜んでもらえました。

実はオリンパスのときにも、自主的に手作り本は作っていたんです。実働プロトタイプをはじめとする様々なアイテムを作った後に、その提案の持つ哲学や世界観をきっちり伝えるコンセプトブックを作って、提案に賛同する仲間を増やす為のきびだんご的な目的に使ってました。誰に頼まれた訳でもなく始めた事が、こんな形で仕事になったんです。

—どのようにして、本の制作の依頼が来るようになりましたか。

「夫婦2人で企画した新しい結婚式を本にまとめました。」

実は、自分の結婚式で相当面白いことをやりまして、せっかくなんでポートフォリオにしたんですよ。いわゆる夫婦の幸せ自慢アルバムにならないように注意して、新しい結婚式のノウハウ本にしたんです。
これを人に見せたところ大好評で、雑誌にも特集されました。その結果、イベントを本にして欲しいという話が来るようになったんです。

―新しい結婚式は、どのようなものでしたか。

結婚式のロゴマーク。案内状や引出物などのグッズもオリジナルのものを制作。

具体例をごく一部だけ話すと、告知のためにマークを作ったんですけど、結婚式が10月10日なので「10」と「10」が縦に並んでいるマークなんです。これを横にすると夫婦が並んでご飯を食べている図になるんです。
他にも、ケーキを食べさせあうのではなく、両家の思い出のおかずを食べるファーストバイトや、シャンパンで乾杯ではなく、参加者百人で茶碗を持って一斉に「いただきます」をしたりしました。

―青木さんの哲学が反映されているのですね。

この結婚式では、徹底的に全ての儀式を見直して、僕たちにとって本来あるべき形に置き換えました。
僕は昔から、見た目のデザインとか、デザイナーっていう肩書きを胡散臭く感じていたんですが、この体験の中で、あ、これこそがデザインだ。これをデザインと呼ばないなら、もうデザインはやりたくないな、って思ったんです。

—以前から形を作るだけは足りない、と感じられていたのですね。
なぜでしょうか。

takramという会社がありますよね。彼らは当然のようにデザインをするんですけど、それだけじゃなくて機械の設計、ソフトウェアの設計、それから回路も作って実装までしちゃうんですよ。しかも極めて少人数で。つまり、デザインとプラスなんなの、ってことなんです。
4年前に彼らと仕事をする機会があって、僕の技術が一つしかないことに気付いて絶望しました。
色々考えたあげく、肩書きや経験値、上手下手に関係なく、自分がやるべきと思った事は何でもやろうと思ったんです。
その時から、プロダクトだけにとどまらない包括的な提案やモノづくり、さらに雰囲気や哲学を伝える本づくりなどを行うようになりました。

—これからどのような仕事をしていきたいですか。

プロダクトデザインをしていると言いつつ、あんまり決め込まずにやっていきたいな、と思っています。例えばプロダクトデザインだと、形状という結果だけが、手に取れるモノになるんです。でも本だったら、たとえ「結果が出なかった」っていう事でも、物語としてモノに変換できるおもしろみがありますよね。
とは言っても、形を作るのはものすごく好きなんですよ。そういう能力も使いつつ、総合的に考えていきたいんです。

―進路を考えている芸工生にアドバイスをいただけますか。

「デザイナーになりたい」とよく言いますけど「デザイナー君」なんて人はいなくて、実際にはデザインで飯を食ってる 、一人一人別の人がいるだけなんですよね。
だから「デザイナーになるためにはこれをやりなさい」なんて話は聞いてもしょうがないし、信じちゃいけないと思います。それよりも今の自分ができることを全部やるってことが大事。そうすれば、今はまだ呼び名がないような新しい仕事だって作り出せるかもしれません。

—では最後に、青木さんにとって芸術工学とは何ですか。

「ただの言葉じゃよ。」バガボンドの柳生石舟斎の言葉ですけどね。
言葉を定義することはそんなに大事ではないと思うんです。
そこにいる誰が何をしているか、さらに、私には何ができるだろうかと考える方が大事なんです。集団じゃなくて、その中の“人”が何かをしているっていうことを忘れずに学部名や職業名にこだわらず、目の前のことを全力でやっていきたいですね。

インタビュアー 内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定

-インタビューの感想-
記事には書ききれませんでしたが、インタビューの中で「思考停止ワード」についてもお話しいただきました。デザイン、クリエイティブ、学校、日本人というように集団や肩書などでひとくくり考えると、人が何かをしているというもっと大事なことを見逃してしまうということです。
今後たくさんの人と関わりながら深く考えることで、自分の思考停止ワードに気付いて減らしていきたいと思います。

内田 晴香

関心事は商環境、観光、都市、建築、家具など。
幼いころから人の仕事の話を聞くのが好きです。
知らないこと、感じたことのないものにもっと出会いたいです。

芸工ビジネスセミナー写真レポート – 2010年11月19日開催

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卒業生からビジネスマナーを教えていただくイベント、芸工ビジネスセミナーが1119日(金)に開催されました。当日は約20名の在校生が参加し、鈴木多恵さん(6期)をゲストスピーカーにむかえて、ビジネスをしていくために重要な”人に与える印象の大切さ”についてプロの視点から語っていただきました。

1部 自分の印象について考える

まず、鈴木さんからお辞儀の仕方を指導していただき、第一印象はどこで判断されるのかについて意見を出し合いました。

正しいお辞儀:左手を上にして両手を前で組み、言葉を話しきった後に頭を下げる。

第一印象:身だしなみや表情など、「視覚」からの情報に左右されやすい

これらを意識しながら一人ずつ一分間で自己紹介を行いました。

実際に人前に立つと思った以上に緊張し、事前にまとめておいたはずの内容を忘れてしまったり、相手にどう見られているのかを考える余裕さえ無くしてしまう学生も多くいたようです。そして、他の参加者の自己紹介を「暖かい印象だったか」「視点が定まっているか」「表情があるか」「聞き取りやすい声か」「話がまとまっているか」など18項目について評価したアンケート用紙を互いに交換しました。

2部 印象を改善してみる

第一部で記入し合ったアンケートと、スピーチを撮影したものを見直し、相手に与える印象をさらに良くするにはどうしたら良いのかを話し合いました。声の大きさや、定まった視点かどうかなど、自分では意識していなかったことでも、他の人から見ると不足していたり、逆に、緊張しすぎて表情や話し方に影響してしまったと心配していた人でも、他の人からは落ち着いて見えていたりと、自分の予想と実際に相手が受ける印象に差異があることが分かりました。

3部 印象を良くするためのエッセンスを学ぶ

ビジネスシーンで欠かすことのできない、名刺交換のマナーついて学びました。名刺を受け取った後に左から役職順に並べて机に置くことや、机越しのやり取りはよくないことなど、気をつけるべき具体的な点を教えていただきました。これから実践する際にはこれらのポイントを踏まえ、明日からの人脈作りに役立てたいと思います。

本セミナーを通して、相手に良い印象を持ってもらうためには、話し方や立ち振る舞いの良さがとても大きな要素であること、またそれらを意識して身につけていく必要性を感じました。人前で話すのは気恥ずかしく、緊張もしましたが、客観的に自分の振る舞いを見ることができ、改善すべき点を発見することができました。また、それらは、ビジネス面だけでなく、日常生活の中でもその人を表す大切な要素だと思います。このセミナーで学んだことを大学生活や就職活動で生かしていけたらと思います。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Vol10. 2010年11月 伊藤 景司さん 芸術工学部6期生

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海外マーケティング
ソニー株式会社

伊藤 景司

6期生 視覚情報デザイン学科 平成16年度卒業
森島 紘 研究室

6期性 視覚情報デザイン学科卒業 伊藤景司さん

-伊藤さんがどんなお仕事をされているかお聞かせください。

ソニー株式会社のVAIO & Mobile事業本部にて海外マーケティングに従事しており、中国エリアを担当しています。中国における同業界の実情を注視しながら、どのような商品を、どのようなタイミング・価格で投入すれば、効果的な売り上げや利益が計上できるかを考え、実行することを業務としています。

提案・企画の内容に関し議論し、実現可能性について設計・企画も含めた関係部署と調整して、的確にアクションに結びつけることを行っています。適切な調整や交渉を実施しないとスムーズに事業が動かず、ジャッジのスピードが遅くなり、効率が悪くなります。ビジネスをきちんと実践的に学習し、向上していくことができる点で、今の仕事はとても勉強になってます。

現在入社3年目ですが、まず入社して2年間は群馬県の営業所に配属され、電機量販店を中心とした営業をやっていました。売上が達成されるための交渉が主な仕事でしたが、店舗スタッフのトレーニングも同時に行っていたので、自分自身が販売の見本を見せる必要があり、店頭に立って接客もしました。

体力勝負な部分もありなかなか大変でしたが、お客さんと直接接するのは大切なことで、直接ユーザーに長時間接しながらニーズを聞き出す機会は、今後は非常に少ないのではないかと感じています。今年の6月に東京に戻ってきてからまだ4ヶ月で仕事に慣れるのも大変ですが、営業での経験を活かしつつ、現在の業務をまずはきっちり1人でハンドルできるよう努力しているところです。

-お客様の声を直接聞いた経験を生かして、
企画・マーケティングのお仕事をされているのですね。
芸工時代は主にどんなことをされていましたか?

森島先生がやっていた「バナナプロジェクト」に、早期から参加していました。このプロジェクトは、アフリカや中南米で主食として食されているバナナに焦点をあてた国際協力プロジェクトです。

バナナは茎の成長が非常に早く、しかも1回実をつけると成長した数メートルの茎はすべてゴミになってしまう。そこで日本の紙漉きの技術を応用してゴミになっている茎から紙を作ることができれば、バナナを主食にしている貧しい国が救えるのではないかと考え、立ち上げられたプロジェクトです。紙を作る仕事も生まれるし、教育で必要な教科書で使う紙も作れる。しかもゴミも減らせる。非常に相乗効果が高いプロジェクトだと思います。

具体的には、青山の国連大学での展示、中南米から様々な関係者を招いた紙漉きworkshop、森島先生とのコスタリカ、ジャマイカ、ホンジュラスでのfeasibility Study等に参加しました。最終的に、私たちが卒業する時期に愛知万博が開催され、私は ワークショップのプロジェクトを担当し、ブースで子どもたちに紙漉きを教えていました。

-芸工での思い出やエピソードは何かありますか?

4年の最後の時期はとにかく大変でした。卒業制作、卒業論文をやりながら、愛知万博に携わり、加えて大学院の受験勉強にも取り組んでいました。愛知万博だけでほとんど寝る時間無いほどなのに、取り組んでいるものすべてに対して、高いクオリティを求められました。そのおかげで、どんなに大変なことがあっても耐えることができる我慢強さと粘り強さを得ることができました。同時に厳しい環境でもいい結果を残していこうという精神力も身につきました。

-デザイン系就職や芸工の院ではなく、
名古屋大学の経済学部に進学されたのはどうしてでしょうか?

いわゆるデザイナーになる選択肢も当然ありました。当然以前はそれをめざしていましたがこのままデザイナーとしてキャリアを築いて行っても、自分が目指しているようなデザイナーになれないと考えた時期がありました。すこし未練はありましたが、バナナプロジェクトで森島先生に影響を受けたこともあり、困っている人をどう助けるか、人をどう幸せにしていくかということを、今後人生で自分が目標にしていきたいと考えるようになりました。

その後、国際開発を勉強しようと決め、進路を他大学院進学に変更しました。そこから1人で芸工棟の4階のテラスにこもって、国際開発、おもに国際経済学の本を山積みにして半年間ひたすら勉強していました。まったく経済学は先攻していなかったので、完全に独学で非常に苦労したことを覚えています。

大学院では貧しい人をどう助け、生活を豊かにしていくか、幸せをどう生み出していくかということを中心に研究をしていました。授業はほぼすべて英語で、私のゼミは8割が途上国から来た留学生でした。単純に進学している留学生もいれば、開発途上国の官僚も混ざっており、彼らはどうやって自国を豊かにしていくかを日本の開発経験も参考にしながら、学習・研究している非常に優秀な人たちが多かったと感じました。そのような環境にいたこともあり、机の上でだけではなく現地の経験が必須だと感じ、1年休学してカンボジアに行きました。

-志を持ってとことん突き進んでいったのですね。
カンボジアにはどのようにして行かれたのですか?

インターンに応募し 、1年間JICA(国際協力機構:発展途上国に対するODA(政府開発援助)の中核的な実施機関)の組織の契約社員として、給料を頂きながら現地に住んで業務に携わっていました。

そこで実際に感じたことは、本当に大事なのは機会であるということです。機会が無いと努力している人もそれが報われない状況に陥ってしまう。そのためには、例えば教育が必要で、学校や教育のカリキュラムも必要になってきます。先生のトレーニングもしなければいけません。JICAでは、教育も含め、農業、インフラ、保健、協力隊、援助協調等の多岐にわたる事業を現地にて実施していました。それは、日本にいるのとは違い、非常に貴重な経験であったと感じます。

日本とは全く違う環境に飛び込んで1年間生活や仕事をした経験は、その体験があるとないとでは大きく違うと感じます。海外、特に途上国での生活や経験を持っていない人が多いですが、時間があるときにできるだけ深い経験をすると今後の人生に深みがでると思います。

-カンボジアで様々な経験をされたのですね。
それを生かして、どのような就職活動をされたのですか?

民間企業の国際的に幅広く事業を展開している企業に就職したい気持ちが強く、カンボジアでの経験や、国際協力学の研究をやっていた経験をもとに就職活動を行っていました。そこで、タイミングよくソニーに就職することができました。ソニーは売上の多くを海外で計上し国際的に事業を展開しており、今までにない新しいものを作っていこうということを考えている組織だと思います。

営業をやっていた時に感じたのが、ソニーの商品を求めるお客さんはその商品が本当に欲しくて買いに来て下います。購入された方はとてもうれしそうにしていて、もらった人はちょっと幸せになるような商品を作っています。商品を手にした方々に幸せをちょっとずつ分け与えることができる企業だと考えていますし、そんな会社は多くはないと思います。今後は、可能であれば海外赴任をしたいと考えており、開発途上国へ行きたいと希望を出しています。

-自分に合った会社を見つけて、入社されたのですね。
では、これからの目標を教えて下さい。

大きな組織に所属することや、独立やベンチャー等の小さい会社に所属することは、それぞれ得られる経験が違ったりするけれど、やっぱり自分のやれることは限られています。今の私は組織の何万人分の1人という立場で、とても小さい存在かもしれないけれど、その中で自分がどういう役割を果たすことが出来ているのか、その中でどのように生きていきたいかを考えることが非常に重要であると感じています。

今の私たちは日本にいて、おいしいもの食べることができ、様々な機会が周りに多くあります。お金もある程度はあります。一方、世界中には困っている人たちや貧しい人たち、生きることに困難を覚える人々が世界中にいます。そのような人たちの為に、私たちはどのようなことができるかを考え、生きていきたいと思っています。

-最後に、伊藤さんにとって芸術工学とはなんでしょう?

いかに幸せを作るかを考えること。芸術と工学が融合するように、私が携わってきたことは、様々なジャンルが交じっています。それによって、今までになかった新しいものを生み出すことができ、それが人に豊かさや幸せにつながっていくのだと信じています。

インタビューアー 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン・ソーシャルゲームクリエイター志望

-インタビューの感想-
自分で決めた道を軸を持ってブレずに生きていらっしゃるんだなと感じ、そうできるのは決意の硬さなんだろうと思いました。何か一つに向かっていけるのはすごいです。ブレずに目指すことができる目標を見つけたいです。

稲垣 裕美子

3DCGのmayaをかじったり、ActionScript若干かじったり、Photoshopかじったり。
いろいろを、少しずつですがかじってます。

今はWebに興味があります。
何でも聞いたり言ったりしてください。
知らない人でも何でも、役に立たなくても手伝います。

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