芸工クロストーク

名古屋市立大学芸術工学部現役生が先輩に仕事のことをインタビュー!



ワークショップ「あそびのつくりかた」写真レポート-3月19日(土)20日(日)開催

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子供と大人で「あそびをつくる」ワークショップ、「あそびのつくりかた」が3月19日(土)20日(日)の2日間にわたり開催されました。岡田憲一さん冷水久仁江さん2人のゲスト、そして芸工卒業生である青木亮作さん斉川義則さん野口大輔さん3人の講師をお招きし、当日は約30名の受講生と約11組の親子が参加する、総勢50数名という大きなワークショップとなりました。

1.オリエンテーション

まず、講師の青木さんから「workshopという言葉の持つ意味」と「今回のworkshopの目的」について、受講生に向けたオリエンテーションをしていただきました。


「何を作るか決められていない場所」である工房(workshop)にて、「子どもが笑う知恵をみんなでシェアしよう」という目標のもと、どうやって知恵を見つけ出し、遊びを作り出すのか。そのヒントとなりました。
また、そこで青木さんは「スポーツのようなものづくり」の提案をし、普段授業にて頭でアイデアを練る受講生の私たちに「身体でアイデアを出し試作をする」ことを伝えました。

2.チーム別ディスカッション

次に講師を中心とした3つのグループに分かれ、子供の頃に楽しかった「あそび」のエピソードを思い出し紹介し合う、簡単なディスカッションを行いました。「あそび」における「オモシロ成分」の分析をすることで「あそびづくり」のキッカケをつくるとともに、頭と緊張がほぐれました。

3.あそびをつくる①

午後からは実際に子供たちに登場していただき、実践を行いました。



予想をはるかに上回る子供たちのパワーに圧倒され翻弄されつつも、あの手この手と趣向を凝らして「あそぶ」受講生の姿がそこにはありました。時間が経つに連れ子供たちも慣れてきたようで、自分からあそびを提案する子もみられ、確かな手応えを感じました。


4.作戦会議(おやつタイム)


ひとまず休憩ということで親子の皆さんにはおやつを満喫していただき、その隙に受講生たちは作戦会議。


ここではsus4の野村さんによる、最終成果物であるアプリのシステム解説と編集方法のアドバイス講義も行われました。身体と頭脳のフル回転で、受講生たちは若干お疲れのご様子。

5.あそびをつくる②


後半戦は、部屋を真っ暗にしてからのスタート。前半とは環境がうって変わり、明かりも材料も制限された状態でどのように子供たちを喜ばせるのかがポイントでした。


前半のようにスムーズにはいかないものの、暗いことを活かしての「光」や「音」を用いてのアイデアが次々と登場し、なかなか面白い発想だったのではないかと思います。

6.まとめ(1日目)


後半戦も無事終了して親子の皆さんを見送った後、1日目最後のディスカッションが開かれました。どんな「あそび」をつくり、どんな「面白さ」があったのかを思い出しながらカードに描き出し分類していきます。


みんな「子供疲れ」でクタクタにもかかわらず、笑顔を絶やすこと無く作業を進め、一段落ついたところで解散しました。おつかれさまです。

7.オカダケンイチさんによるプレゼンテーション


2日目はゲストのオカダケンイチさんによるプレゼンテーションからの始まりでした。いくつかの作品の解説や、そこにいたるまでのプロセスの紹介など、自分の経験体験談を交えての面白く不思議で貴重なお話をしていただきました。


個人的には「自分の周りを食いつぶしていくデザイン」という考え方がとても印象的で興味深く今後参考にしていきたい話でした。今回のワークショップの目標である「スポーツのようなものづくり」の実感が湧き、午後からの活力を頂いたように思います。

8.アプリをつくる

昼休憩を挟んだ後、3人一組の縦割り(年齢が異なる人で組む)チームに分かれての本格的なまとめ作業にとりかかりました。



1班につき6つ程のあそびを選び、それをアプリに落としこむために共有できるフォーマットに作り替える作業です。ちょっとした誤字脱字がエラーになるという緊張感あふれるバグチェックを固唾を飲んで見守りました。

9.まとめ(2日目)


そして、ついに、完成。目の前のスクリーンに映し出された画像ではなく、実際のiPhoneで手元にて、見て、触ることで実感が湧き、感動もひとしお。あちらこちらからポツポツと聞こえた感嘆は、やがて拍手へと変わり、みんな満足度が肌で感じられるものとなりました。


細かい修正を加え、近日中の公開を目指して今もまだ作業中ですが、公開された暁には日本各地のいろいろな場所で、子供たちの笑顔をつくるために役立てていただけるのではないかと期待しております。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Written by 竹森 佳奈

8月 17th, 2011 at 7:58 pm

Vol13. 2011年08月 東野 唯史さん 芸術工学部8期生

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デザイナー

東野 唯史

8期生 生活環境デザイン学科 平成18年度卒業
三上訓顯 研究室

東野 唯史

―芸工を卒業されてから今までのことをおしえてください。

卒業して2007年から株式会社博展に就職しました。展示会をメインに店舗やグラフィックなど様々なことができる会社でした。
博展を選んだ理由は、建築だけをやるよりも芸工のような環境で、幅広くやりたいと思っていたからです。グラフィックや空間、映像の人がいて、情報の集まる場所で、ベンチャーみたいなノリがあり、新人からバリバリやれるのが良いなと思って就職しました。その会社では、主に展示会のブース設計をしていました。どうやって目立たせようか、どうやって人を集め滞留させて営業しやすいようにもっていくかなどを考えていました。
2年9ヶ月勤めたあと、会社を辞めて、世界一周旅行に出かけました。その後は東京に戻ってきて、フリーのデザイナーとして仕事をしています。

世界一周旅行で共に旅したカメラ
世界一周旅行で共に旅したカメラ

―世界一周旅行はご自身のブログで綴られていますね。どのような旅行でしたか。

一昨年の12月に会社を辞めて、310日ほど旅行して、昨年、2010年12月に日本に戻ってきました。初めての海外だったので、最初は日本語が通じてご飯が美味しい台湾からスタートして。
その後は、中国、香港、マカオ、ベトナムからネパール・インドへ抜け、トルコからヨーロッパ諸国を回り、モロッコ、エジプト、イエメン、東アフリカを回り、アフリカ大陸縦断、南アフリカからアルゼンチンへ飛んで、中南米の国を巡り、最後はキューバから日本に帰ってきました。文字通り世界一周でした。
現地の学校のボランティアをしたりシャーマンの修行をしたりしながら、日本には無い価値観を沢山感じることができた旅行でした。費用は全部で150万円くらい、準備からあわせても180万円くらいでいけますよ。

―世界一周旅行に出かけるきっかけは何でしたか。

社会人になるときに海外やバックパッカーに興味を持って、「深夜特急」や「Design for the other 90%」という本を読んで、影響を受けたのがきっかけです。
社会人になってから旅に出る場合、会社を辞め独立する前ならまとまった時間がとれるだろうと思い、辞めるタイミングを見計らっていました。

―会社を辞める際に葛藤などありましたか。

会社では社員のデザイナー全員がコンペでの勝率を出していて、一人前の人が40%ぐらい。でも入社して2年半のとき、僕の勝率は物件にも恵まれて75%でした。そのとき、それまで働いた2年半とその後の2年半を想像して、このまま仕事していても、もう自分のデザイン的スキルと人間的スキルの伸びしろは、そんなに無いかもしれないと思いました。実績も作れるようもになってきていて、その頃の仕事が2009年にディスプレイデザイン奨励賞を受賞しました。
展示会の仕事ばかりしていても、あまり現状と変わらないだろう、違う情報を自分の中に入れないと面白くない。
もともと、逃げるような形では辞めたくなく、ちゃんと実績を作ってから辞めたいと思っていましたから、実績もあるし、このタイミングで自分のステップアップのために辞めました。
それから、展示会の設計を一生続ける気も無かったんですね。広告業界そのものに対してそんなに興味がなくなってしまって。そんなことできる人は僕以外にもいっぱいいますから。

―それで旅に出ることにされたのですね。お仕事中に心がけていたことはありますか。

「会社に期待をしないし、依存はしない」とずっと心に決めていました。もともとフリーでやりたい気持ちがあったので、いつ首が切られてもいいように心構えをし、仕事に臨んでいました。会社にしがみつくのではなくて、必要とされるぐらいのレベルで常にいられるように意識していましたね。
また、在学中に三上研究室の伊藤さん(現:名古屋工業大学准教授)に言われた、「社会人になったら馬鹿になるから気をつけろよ」という言葉が、社会人になって心に沁みました。会社の利益を上げるためのデザインと、大学のときに勉強していたデザインは全然違います。新人の時は仕事に追われて目先のことしか見えなくなってくる自分に気づいて、視野を広げられるように週末は必ず美術館などに行くように心がけていました。

toco.エントランス
インタビュー会場は東京の古民家ゲストハウス、toco.でした。あずのさんが世界一周中に知り合った方が経営されています。

―世界一周したあと、日本に帰ってきてからは何をされていたのですか。

戻ってきた直後は、転職するかフリーになるかまだ悩んでいましたが、結局いきたい会社もないので、やりたい方向を探したり勉強したり、いろんなとこに顔出したりしようかなと、フリーランスで働きはじめました。
業務内容は博展のときと変わらず、展示会やモデルルームのデザインをしたり、博展のころの先輩の仕事を手伝ったりしています。

フリーになってすぐに東日本大震災があって、何かしたいな、と考えるようになりました。フリーだし、地震で物件も止まっているので、ボランティアに行こうと思いました。仕事は回り始めたら帰ってこればいいやと思って。4月のはじめにap bankの一般参加ボランティアの第一期に参加して石巻に行って、その後、友人が立ち上げた青年東北支援隊に参加してGW明けまで石巻に入りました。
作業内容は瓦礫の撤去と泥だし。デザインではなく「人手」でした。作業をしつつ、団体のロゴを作ったりもしましたけど、とりあえず肉体労働をがんがんやりました。

今は仕事が忙しくて行けてないですが、仮設住宅に絵を描く企画の提案をしたり、全壊した建物を残して後世に伝えていく企画にも興味があって、今後も時間が作れたら行きたいと思っています。

―精力的に活動されているのですね。ではお仕事の今後の目標をおしえてください。

フリーとして食べてはいける、だけどそれだけでは満足できない。デザインもできるし、パースもやれるけれど、それだけでは面白くないというのが僕の考えです。

最近僕が良く考えているのは、「脱東京」と「脱デザイン」です。

僕は今東京で仕事をしているけれど、その理由は、デザインで稼いでいくには東京が一番手っ取り早いから。お金も集まるし、デザインに対するニーズも一番多い。名古屋や福岡で同じように働いていけるかというと、それは断言できません。ということは、東京という大都市の、デザインにかける広告費や消費の経済的な枠組みの中でないと生きていけない状態ということですよね。そうではなくて、ゆくゆくは田舎でもちゃんとデザイナーとして食べて行けるシステムができた方がいいなと思っています。僕は東京も好きだけれど、東京に依存して生活していくのは面白くない。

「脱デザイン」は、デザインを仕事としてやっているけれど、装飾的なデザインだけを頼まれる人にはなりたくはないという意味です。もっと根本のコミュニティのあり方から関わって行きたい。企画から携わって、その過程で必要となった時にデザインをしたい。今まで空間デザインやグラフィックデザインをしてきたので、そのマネジメントもできるし、必要な部分で働いていきたいです。

—その目標には何かきっかけがあるのですか。

山崎亮さんというデザイナーの本を読んで、コミュニティデザインに興味をもつようになりました。
この方は地元の人とじっくり時間をかけて町の復興の流れをデザインされています。一時期だけ人を集める仕掛けではなくて、デザイナーが町を去ってもずっと人が集まるように、町の人たちが継続して活動できるようにしている。今はこの方のような働き方で食べて行けたらいいなと思っています。

たぶん、そういう部分に興味があるのは、学生の時、川崎先生の一番最初の授業で、「お前らは日本のデザイン界を背負っていくんだ。デザインでもっと世の中を良くすることができる。」と言われたことが大きいですね。そのときの衝撃が今も残っています。僕の思っているデザインは、世間一般の人の言うデザインとは違います。もっと広い意味でのデザインをしたいのです。

もうひとつ、学生時代で心に残っているのは、芸工の伊藤先生からもらった一言でした。広小路を活性化させるための提案をプレゼンテーションした際に、「東野は設計とかは全然だめだけど、こういう提案はいけるからプロデューサーになればいいよ」と。これはとても嬉しかったです。

僕は卒業制作で、チルドレンズミュージアムという建物の設計をしました。
名古屋の小学校の多くが公園と隣接しているので、その場所を使って地域ぐるみで子ども達の教育ができる持ち運び可能なユニットを作る。そのユニットを栄の街中に持ち出して、ワークショップや展示をしたら楽しいだろうな、という提案でした。

今、やろうとしていることも、卒業制作でやりたかったことも、根本はあまり変わらないのかもしれませんね。

—学生時代から考え方を貫かれていますよね。東野さんにとって芸術工学とは何ですか。

ひとことで言えば、デザイン。でもこの学部で言うデザインは、世の中で言われているデザインではなく、もっと広義なデザインです。
いろんな学問を勉強して結びつけて形にするのも芸術工学、いろんな分野の人をマネジメントして、そこから何かの役に立つように導いて行くのも芸術工学。要するに、ひとつに偏らないこと。芸術工学の良さは、いろんなことに興味を持てるし、いろんなことが吸収できるし、いろんな人と話ができることだと思うのです。
芸大美大の人たちは絵の勉強をすごく力を入れてやってきているけど、芸工はそうじゃない。その中でデザインするならば、自分たちでないとできないことを考えて行けばいいと思います。
僕は芸工のような、芸術の分野の人とも、それ以外の分野の人とも歩み寄れる「中途半端」なポジションがとてもいいと思っています。芸工には幅広い分野の先生がいるから、こんな世界があるんだなっていろいろ覗き見れるでしょう。興味を持つ取っ掛かりにもなりますよね。

学生の時、三上先生に、建築家とかグラフィックデザイナーとかいろんな人と仕事をするようになると、対等に話をするために、相手のレベルまでその分野もやっておかなきゃいけないって言われました。そうすると、ひとつの視点から見えていた物が別の視点からさらに改良して行けるようにもなります。川崎先生がデザインをする時、内側の基盤まで考えて無駄の無いデザインをするように。それこそが芸術工学だと思っています。

―最後に学生に向けてメッセージをいただけますか。

形を作ったり、デザインを考えたりするのはトレーニングすればどうにでもなります。極端に言えばCGも図面も書けないまま卒業しても全然なんとかなりますよ。もっと言うなら、生きていくだけならばどうにだってなります。去年一年間世界一周して、出会った旅行者はみんな無職でした。でもみんな日本で職がある多くの人よりも幸せに生きているからね。

CGや図面のスキルを身につけることに時間を割くくらいなら、もっといろんなものを見て、いろんな人と話して吸収するほうがよっぽど有意義な大学生活だと僕は思う。スキルをつけるだけなら専門学校へ行けばいいし、そういうことを学んだ人がやればいい。
そういうスキルの部分は、社会人になってからも伸びると思っています。でもその土台はそうではない。大学の特性や置かれている環境で土台がつくられて、その後は伸びない部分がある。そしてそこは社会人になっても皆が揃うことは無いのです。
たまに、大学の勉強が役に立たないって言う人がいるけれど、そんな馬鹿な話はないですよ。めちゃくちゃ勉強になりますよ。ものの考え方はどの分野にも応用が効きますから。

みんなには大学にいるときのメリットを生かして欲しいと思います。大学生という立場、芸術工学を学んでいる立場、名市大生という立場。名古屋に住んでいることも含め、そういうことを駆使すれば他の大学よりもずっと動きやすいことが、いっぱいあるのではないでしょうか。

先日、世界一周旅行の写真展がゲストハウスtoco.にて行われました。
その写真などがたっぷり掲載されている、世界一周のことを綴られたブログ -ヒトリマワリヒトリタビ-(http://azutrip.blog101.fc2.com/
フリーをされてからのことを綴られているブログ aiUeO(http://t-azuno.com/

とても読みごたえがあります。ボランティアや旅に興味のある学生は是非ご覧ください。
また、旅に興味のある学生には助言してくださるそうです。是非、連絡をされてみてはいかがでしょうか。

インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科 藤井尚子研究室

―インタビューの感想―
学生のときもフリーをされるようになってからも、変わらず貫かれている志を感じることができて刺激的なインタビューでした。
また、インタビュー中も会場を通りかかる人から、よく声を掛けられているお姿や、世界一周時のエピソードや今の活動について語るときのとても笑顔が素敵で、東野さんの心の広さや、コミュニケーションをデザインしたいと仰っていた部分を垣間見れた気がします。会社に依存せず、自分を常に高めようとされている姿勢は私も身につけられるようになりたいと感じました。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Written by 竹森 佳奈

8月 10th, 2011 at 10:40 am

Vol12. 2011年3月 食堂のおばちゃん

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和田静子
食堂のおばちゃん

今回のクロストークインタビューは、「食堂のおばちゃん」こと和田静子さんです。
1月30日に食堂で働いていた先輩方に集まっていただき、おばちゃんを囲んで座談会を行いました。
参加していただいた先輩は、
松河剛司さん(6期生)、長谷川麻衣さん(6期生)、田中揚子さん(8期生)、濱口皓太さん(9期生)、井村旭宏さん(9期生)です。
今年度いっぱいで食堂を引退されるおばちゃんから芸工生へのメッセージをお伺いしました。

―おばちゃんはここにいつから勤めていらっしゃるんですか

芸工のキャンパスが名古屋市立女子短期大学だった頃から働いています。だから40年くらいになるでしょうか。
女子短大の初めの頃は売店だけで厨房は無くて、パンとアイスクリームを売っていました。そのころは食堂の二階は全部部室で、テニスや茶道、ギターマンドリンなどがあって賑やかだった。店を閉めるときに声を掛けると二階から学生さんがアイスクリームを買いに降りてくるから、なかなか閉められないってこともありました。テニス部は食堂の外のガラスを鏡代わりに素振りをしていたし、毎日合唱部の発声練習の声が聞こえていましたよ。食堂にあるピアノはそのときのものなの。

―そんなに長く勤められているんですね。芸工ができた当初から芸工を見ていらっしゃったと思うのですが、1期生の頃と今とでは食堂に変化がありますか。

1期生の頃は今ある芸工の建物もまだ無くて、みんなが集まれる場所も無かったからね、授業が無い学生さんはいつも食堂で集まってテレビを見たりしていましたよ。その頃は生徒も少なかったですし、みんな顔を覚えていますよ。授業の後に「おばちゃん、何か残っていない?」って食堂に来た学生さんに食事を出したり、お弁当を作ってあげたこともありました。今みたいに生協だとできませんけど、当時はわたしが個人でやっていましたから。

座談会の様子

おばちゃんが家族のように先輩方に接しておられたことが伝わる、暖かい雰囲気の座談会でした。

―おばちゃんは本当に、学生にも、食堂にも愛情をもってお仕事されていますよね。

わたしはこの店に凄く愛着があるんです。カウンターひとつでも傷つけちゃいけないなって思って使っています。学校のものなんですけどね、自分のうちのお勝手以上に大切に使っているつもりです。

食堂に新しく入った人も若い人ばかりだし、よく働いてくださっている。こんなに綺麗にしてもらえたし、みなさんもこれからも食堂を利用してくださいね。

―学生を注意したり叱ったりすることもありますか?

「プレゼンするときにはきちんと身だしなみを整えなさいよ」と言ったりします。芸工ではプレゼンして人の前でしゃべることも勉強のひとつでしょう。これから社会に出て行くんだから、そういったこともしっかりできるようになるといいですよね。

それから芸工は時間にルーズな学生さんもいるでしょう。でも時間を守ることや約束を守ることは、一番大事。時間を守れない人はやっぱり約束も守れない。そういうことは食堂のアルバイトの学生さんにはしっかり注意しますよ。

―おばちゃんはお母さん的視点で指導されていますよね。その他に芸工生にアドバイスはありますか

普段そんなに4年生と1年生が話をする機会は無いけれど、例えば食堂のアルバイトしている学生さんは各学年にいたから手伝いをしていると先輩の姿も見るし、話を聞く機会があるでしょう。それはとてもプラスになることだと思います。だから、私はいつも「先輩のお手伝いをさせてもらいなよ」と言っています。

勉強のことも先輩に聞いて、教えてもらったらいい。お手伝いさせてもらうと、目で勉強させてもらえますから。たとえば建築系の模型作りでも、お手伝いをすると、先輩のいろんなものを見せてもらえますよね。周りの人をいっぱい見て比較して、それだけで勉強になるじゃない。ああこうやって作るんだなとか。

お手伝いしたら、先輩と繋がることもできるし、いいことばかりですよ。

―40年間もずっとここで仕事を続けてこられましたよね。長く続けられる秘訣ってあるんですか。

わたしの旦那が亡くなったときも、食堂に来ました。その日ぐらい休めばいいのにって周りの人に言われましたけれど、わたしがいなかったら、学生さんたちがご飯を食べられない。学生さんのことを思うとどうしても休めない。そういった気持ちで毎日来ていました。

最近も足の親指が腫れて痛くて、息子に「食堂休んで病院行って来なよ」って言われても、雪の日に「転んだら危ないから休みなさい」って言われても、仕事に来ました。40年休まずに食堂に来ていたのに、あと少しのところで休んでどうなるのって。

―どうしてそんなに生徒のために尽くしてくださるんでしょうか

「情けは人のためならず」って言葉があるじゃない。食堂のバイトの学生さんにはいつも良く覚えておきなさいって言うんですが、人のために情けをかけると、その場では返ってこなくてもいつか自分に戻ってくるから、って。

わたしも芸工の子が卒業して活躍しているのをみると嬉しいし、どこかで会うといつものように「おばちゃん」って声を掛けてくれて、自然と「いってくるね」「いってらっしゃい」ってやり取りができることが、すごく嬉しい。そういうことがみんなにしてあげたことの、ご褒美みたいなものだと思っています。

おばちゃんは学生に対して、時にはお母さんのような目線で叱ったりすることもあったそうです。

―芸工生はおばちゃんにとても感謝していますよ。

最近、学生さんから手紙を頂いたんです。「おうちに帰って読んでね、おばちゃん」って言って。わたしは申し訳ないことにその子の名前も知らなかったんだけど、その手紙には「寒い日にパンを買おうとしたら、おばちゃんが今日は寒いから味噌汁を飲んだほうがいいよって言ってくれた」とか、今までどういうことをしてくれてありがとうって、いっぱい書いてあったんです。わたしが何気なくやっていたことが、こんな風に思われていたんだなって、食堂のバイトでもない学生さんから、そういうふうに言ってもらえて、ほんとに涙が出るほど嬉しかった。

―そんなことがあったのですね。最後に芸工生に伝えたいことはありますか。

このあいだも、私が食堂に立つ最後の日にたくさんの方が来てくださって、ほんとにほんとに嬉しかったです。食堂をがんばってきて良かったなと思いました。わたしは学生さんや先生方、事務の人、みんなに生かされて、40年休まずにここまでこれたと思っています。

今でも卒業生が電話や手紙で、展示会のお知らせや受賞の連絡をくれたりするんです。また、学生さんと触れ合えたことももちろんですが、芸工の学生さんたちから建築や芸術などにも触れ合えて、自分の感性にも影響してもらえたって思っています。それは他の職場ではできないこと。わたしはほんとにみんなのおかげで幸せなお仕事をさせてもらえたなって、思っています。ほんとにみんなありがとう。
これからも、皆さんの健康とご活躍をお祈りしていますよ。

食堂のおばちゃんお疲れさま会のお知らせ

月日:2011年4月24日(日)
場所:芸術工学部北千種キャンパス
●川崎和男名誉教授による記念講演会
16:00~ (15:30 開場)
図書館上大講堂
●食堂のおばちゃんお疲れさま会
18:00~ (記念講演会終了後、受付開始)
アセンブリーホール(食堂)
詳細はこちらから(同窓会のサイトが開きます)

どうぞふるってご参加ください。

インタビュワー 竹森佳奈
12期生(平成19年度入学)デザイン情報学科

―インタビューの感想―
記事には書ききれないほど沢山、おばちゃんの芸工生への愛情を感じるエピソードを聞くことができて、とても楽しいインタビューでした。
この学部ができた当初から、おばちゃんは芸工のお母さん的存在で、芸工の変化も見守られてきていることが伝わってきました。
おばちゃんの愛してくださっている芸工の空気を受け継いで、これからも大切にしていきたいと思います。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Written by 竹森 佳奈

3月 23rd, 2011 at 10:37 pm

Vol11. 2010年12月 青木 亮作さん 芸術工学部3期生

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プロダクトデザイン

青木 亮作

大学院芸術工学研究科 平成15年卒業
川崎 和男 研究室

—今までのお仕事について教えて下さい。

大学でプロダクトデザインを学んだ後、オリンパスに入社しました。
最初の年は内視鏡や顕微鏡を作るチームに、2年目からはコンシューマー機器のチームでICレコーダーやカメラなどの製品デザインをし、3年目に全く新しい部署の立ち上げメンバーになりました。

そこでは、すでに決まっている企画を形にするのではなくて、提案したいものがあったら自分でスケジュールを立てて見積もりを取って上司を通し、プロジェクトを動かしていくことができました。プロダクトだけでなくUIを含んだ実働プロトタイプを作成して、説明書、箱、Web、販売戦略など包括的に提案するのが仕事です。

こう言うと、日本の会社によくある、商品につながらない研究部署のように聞こえるかもしれませんが、結果的には、1年後のヒット商品につながる提案を行えていました。
そのときの仕事は、もう最高に楽しかったです。
一方で、オリンパスの環境が自分には小さいと感じるようになって、ソニーに転職することにしました。

—ソニーではどのようなお仕事をされましたか。

バイオチームという部署に所属して、パソコンとその周辺機器のデザインをしました。ここでは、オリンパスでやっていたように最初から包括的に提案をするのではなく、プロダクトデザイナーとして徹底的に外観形状について考えることになりました。

今思えば当たり前ですけど、ソニーのように大規模な会社は役割分担が徹底しているのです。デザインの話でちょっと極端に例えると、GUIはGUIチームで決める。プロダクトはプロダクトチーム、パッケージはパッケージチームで決める、というように。細部を徹底的に考える方法が学べた事は、大変ありがたかったのですが、より包括的な仕事するために大きな会社へ転職したつもりだったので、想像とはまったく逆だったんですね。 一方、オリンパスで立ち上げた部署は、実働メンバーが3人しかいなかった。だから、メンバーの一人ひとりがいくつかの役割を兼ねる必要があるし仕事のやり方を自分で考えて作っていけたんです。

大企業式役割分担の仕組みだからできる質の高い製品もあるでしょう。でも、僕にとっては役割分担よりも包括的なやり方の方が楽しめるし、良い結果も出しやすい。ソニーでは細部を徹底的に考え抜くための大変恵まれた環境がある反面、包括的な能力を発揮する機会が少ない。
それがもどかしく感じて、半年前に辞めることにしたんです。

—ソニーを辞めて独立された、ということでしょうか。

独立っていう言葉の印象とはちょっと違うと思います。確かに、大企業っていう組織は抜けました。でも、それは別の集団に移っただけで、自分に合ったコミュニティに転職したような感覚です。企業に属さず立派な仕事をしている人はたくさんいて、そういう人の集まったコミュニティが周りには多くあるんです。だから、そっちの方が自分にはプラスになると思ったんですよね。

この半年の仕事内容としては、家電メーカーのプロダクトやUI、海外のショッピングセンターのモニュメントの仕事をしたりしました。それから最近は、本を作ってほしいという変わった依頼もありましたね。

—本の制作ですか。オリンパスやソニーでは扱わないような製品ですね。

本といっても、編集、デザイン、印刷、製本、全部一人で手作りするスペシャルなものなんですけどね。 例えば、あるイベントの展示内容と催し物の雰囲気を伝える為に、巨大で分厚い豪華本をつくりました。記録のためだけでなく次回のスポンサーを集めるためにも使える、ということで喜んでもらえました。

実はオリンパスのときにも、自主的に手作り本は作っていたんです。実働プロトタイプをはじめとする様々なアイテムを作った後に、その提案の持つ哲学や世界観をきっちり伝えるコンセプトブックを作って、提案に賛同する仲間を増やす為のきびだんご的な目的に使ってました。誰に頼まれた訳でもなく始めた事が、こんな形で仕事になったんです。

—どのようにして、本の制作の依頼が来るようになりましたか。

「夫婦2人で企画した新しい結婚式を本にまとめました。」

実は、自分の結婚式で相当面白いことをやりまして、せっかくなんでポートフォリオにしたんですよ。いわゆる夫婦の幸せ自慢アルバムにならないように注意して、新しい結婚式のノウハウ本にしたんです。
これを人に見せたところ大好評で、雑誌にも特集されました。その結果、イベントを本にして欲しいという話が来るようになったんです。

―新しい結婚式は、どのようなものでしたか。

結婚式のロゴマーク。案内状や引出物などのグッズもオリジナルのものを制作。

具体例をごく一部だけ話すと、告知のためにマークを作ったんですけど、結婚式が10月10日なので「10」と「10」が縦に並んでいるマークなんです。これを横にすると夫婦が並んでご飯を食べている図になるんです。
他にも、ケーキを食べさせあうのではなく、両家の思い出のおかずを食べるファーストバイトや、シャンパンで乾杯ではなく、参加者百人で茶碗を持って一斉に「いただきます」をしたりしました。

―青木さんの哲学が反映されているのですね。

この結婚式では、徹底的に全ての儀式を見直して、僕たちにとって本来あるべき形に置き換えました。
僕は昔から、見た目のデザインとか、デザイナーっていう肩書きを胡散臭く感じていたんですが、この体験の中で、あ、これこそがデザインだ。これをデザインと呼ばないなら、もうデザインはやりたくないな、って思ったんです。

—以前から形を作るだけは足りない、と感じられていたのですね。
なぜでしょうか。

takramという会社がありますよね。彼らは当然のようにデザインをするんですけど、それだけじゃなくて機械の設計、ソフトウェアの設計、それから回路も作って実装までしちゃうんですよ。しかも極めて少人数で。つまり、デザインとプラスなんなの、ってことなんです。
4年前に彼らと仕事をする機会があって、僕の技術が一つしかないことに気付いて絶望しました。
色々考えたあげく、肩書きや経験値、上手下手に関係なく、自分がやるべきと思った事は何でもやろうと思ったんです。
その時から、プロダクトだけにとどまらない包括的な提案やモノづくり、さらに雰囲気や哲学を伝える本づくりなどを行うようになりました。

—これからどのような仕事をしていきたいですか。

プロダクトデザインをしていると言いつつ、あんまり決め込まずにやっていきたいな、と思っています。例えばプロダクトデザインだと、形状という結果だけが、手に取れるモノになるんです。でも本だったら、たとえ「結果が出なかった」っていう事でも、物語としてモノに変換できるおもしろみがありますよね。
とは言っても、形を作るのはものすごく好きなんですよ。そういう能力も使いつつ、総合的に考えていきたいんです。

―進路を考えている芸工生にアドバイスをいただけますか。

「デザイナーになりたい」とよく言いますけど「デザイナー君」なんて人はいなくて、実際にはデザインで飯を食ってる 、一人一人別の人がいるだけなんですよね。
だから「デザイナーになるためにはこれをやりなさい」なんて話は聞いてもしょうがないし、信じちゃいけないと思います。それよりも今の自分ができることを全部やるってことが大事。そうすれば、今はまだ呼び名がないような新しい仕事だって作り出せるかもしれません。

—では最後に、青木さんにとって芸術工学とは何ですか。

「ただの言葉じゃよ。」バガボンドの柳生石舟斎の言葉ですけどね。
言葉を定義することはそんなに大事ではないと思うんです。
そこにいる誰が何をしているか、さらに、私には何ができるだろうかと考える方が大事なんです。集団じゃなくて、その中の“人”が何かをしているっていうことを忘れずに学部名や職業名にこだわらず、目の前のことを全力でやっていきたいですね。

インタビュアー 内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定

-インタビューの感想-
記事には書ききれませんでしたが、インタビューの中で「思考停止ワード」についてもお話しいただきました。デザイン、クリエイティブ、学校、日本人というように集団や肩書などでひとくくり考えると、人が何かをしているというもっと大事なことを見逃してしまうということです。
今後たくさんの人と関わりながら深く考えることで、自分の思考停止ワードに気付いて減らしていきたいと思います。

内田 晴香

関心事は商環境、観光、都市、建築、家具など。
幼いころから人の仕事の話を聞くのが好きです。
知らないこと、感じたことのないものにもっと出会いたいです。

芸工ビジネスセミナー写真レポート – 2010年11月19日開催

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卒業生からビジネスマナーを教えていただくイベント、芸工ビジネスセミナーが1119日(金)に開催されました。当日は約20名の在校生が参加し、鈴木多恵さん(6期)をゲストスピーカーにむかえて、ビジネスをしていくために重要な”人に与える印象の大切さ”についてプロの視点から語っていただきました。

1部 自分の印象について考える

まず、鈴木さんからお辞儀の仕方を指導していただき、第一印象はどこで判断されるのかについて意見を出し合いました。

正しいお辞儀:左手を上にして両手を前で組み、言葉を話しきった後に頭を下げる。

第一印象:身だしなみや表情など、「視覚」からの情報に左右されやすい

これらを意識しながら一人ずつ一分間で自己紹介を行いました。

実際に人前に立つと思った以上に緊張し、事前にまとめておいたはずの内容を忘れてしまったり、相手にどう見られているのかを考える余裕さえ無くしてしまう学生も多くいたようです。そして、他の参加者の自己紹介を「暖かい印象だったか」「視点が定まっているか」「表情があるか」「聞き取りやすい声か」「話がまとまっているか」など18項目について評価したアンケート用紙を互いに交換しました。

2部 印象を改善してみる

第一部で記入し合ったアンケートと、スピーチを撮影したものを見直し、相手に与える印象をさらに良くするにはどうしたら良いのかを話し合いました。声の大きさや、定まった視点かどうかなど、自分では意識していなかったことでも、他の人から見ると不足していたり、逆に、緊張しすぎて表情や話し方に影響してしまったと心配していた人でも、他の人からは落ち着いて見えていたりと、自分の予想と実際に相手が受ける印象に差異があることが分かりました。

3部 印象を良くするためのエッセンスを学ぶ

ビジネスシーンで欠かすことのできない、名刺交換のマナーついて学びました。名刺を受け取った後に左から役職順に並べて机に置くことや、机越しのやり取りはよくないことなど、気をつけるべき具体的な点を教えていただきました。これから実践する際にはこれらのポイントを踏まえ、明日からの人脈作りに役立てたいと思います。

本セミナーを通して、相手に良い印象を持ってもらうためには、話し方や立ち振る舞いの良さがとても大きな要素であること、またそれらを意識して身につけていく必要性を感じました。人前で話すのは気恥ずかしく、緊張もしましたが、客観的に自分の振る舞いを見ることができ、改善すべき点を発見することができました。また、それらは、ビジネス面だけでなく、日常生活の中でもその人を表す大切な要素だと思います。このセミナーで学んだことを大学生活や就職活動で生かしていけたらと思います。

竹森 佳奈

学部3年のときに事故に遭い、一年の療養ののち復学しました。
入院生活とリハビリを経験して、健康であることの素晴らしさを実感しながら日々を送っています。
人の痛みが、ちょっとでも分かってあげられる人になりたいです。

Vol10. 2010年11月 伊藤 景司さん 芸術工学部6期生

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海外マーケティング
ソニー株式会社

伊藤 景司

6期生 視覚情報デザイン学科 平成16年度卒業
森島 紘 研究室

6期性 視覚情報デザイン学科卒業 伊藤景司さん

-伊藤さんがどんなお仕事をされているかお聞かせください。

ソニー株式会社のVAIO & Mobile事業本部にて海外マーケティングに従事しており、中国エリアを担当しています。中国における同業界の実情を注視しながら、どのような商品を、どのようなタイミング・価格で投入すれば、効果的な売り上げや利益が計上できるかを考え、実行することを業務としています。

提案・企画の内容に関し議論し、実現可能性について設計・企画も含めた関係部署と調整して、的確にアクションに結びつけることを行っています。適切な調整や交渉を実施しないとスムーズに事業が動かず、ジャッジのスピードが遅くなり、効率が悪くなります。ビジネスをきちんと実践的に学習し、向上していくことができる点で、今の仕事はとても勉強になってます。

現在入社3年目ですが、まず入社して2年間は群馬県の営業所に配属され、電機量販店を中心とした営業をやっていました。売上が達成されるための交渉が主な仕事でしたが、店舗スタッフのトレーニングも同時に行っていたので、自分自身が販売の見本を見せる必要があり、店頭に立って接客もしました。

体力勝負な部分もありなかなか大変でしたが、お客さんと直接接するのは大切なことで、直接ユーザーに長時間接しながらニーズを聞き出す機会は、今後は非常に少ないのではないかと感じています。今年の6月に東京に戻ってきてからまだ4ヶ月で仕事に慣れるのも大変ですが、営業での経験を活かしつつ、現在の業務をまずはきっちり1人でハンドルできるよう努力しているところです。

-お客様の声を直接聞いた経験を生かして、
企画・マーケティングのお仕事をされているのですね。
芸工時代は主にどんなことをされていましたか?

森島先生がやっていた「バナナプロジェクト」に、早期から参加していました。このプロジェクトは、アフリカや中南米で主食として食されているバナナに焦点をあてた国際協力プロジェクトです。

バナナは茎の成長が非常に早く、しかも1回実をつけると成長した数メートルの茎はすべてゴミになってしまう。そこで日本の紙漉きの技術を応用してゴミになっている茎から紙を作ることができれば、バナナを主食にしている貧しい国が救えるのではないかと考え、立ち上げられたプロジェクトです。紙を作る仕事も生まれるし、教育で必要な教科書で使う紙も作れる。しかもゴミも減らせる。非常に相乗効果が高いプロジェクトだと思います。

具体的には、青山の国連大学での展示、中南米から様々な関係者を招いた紙漉きworkshop、森島先生とのコスタリカ、ジャマイカ、ホンジュラスでのfeasibility Study等に参加しました。最終的に、私たちが卒業する時期に愛知万博が開催され、私は ワークショップのプロジェクトを担当し、ブースで子どもたちに紙漉きを教えていました。

-芸工での思い出やエピソードは何かありますか?

4年の最後の時期はとにかく大変でした。卒業制作、卒業論文をやりながら、愛知万博に携わり、加えて大学院の受験勉強にも取り組んでいました。愛知万博だけでほとんど寝る時間無いほどなのに、取り組んでいるものすべてに対して、高いクオリティを求められました。そのおかげで、どんなに大変なことがあっても耐えることができる我慢強さと粘り強さを得ることができました。同時に厳しい環境でもいい結果を残していこうという精神力も身につきました。

-デザイン系就職や芸工の院ではなく、
名古屋大学の経済学部に進学されたのはどうしてでしょうか?

いわゆるデザイナーになる選択肢も当然ありました。当然以前はそれをめざしていましたがこのままデザイナーとしてキャリアを築いて行っても、自分が目指しているようなデザイナーになれないと考えた時期がありました。すこし未練はありましたが、バナナプロジェクトで森島先生に影響を受けたこともあり、困っている人をどう助けるか、人をどう幸せにしていくかということを、今後人生で自分が目標にしていきたいと考えるようになりました。

その後、国際開発を勉強しようと決め、進路を他大学院進学に変更しました。そこから1人で芸工棟の4階のテラスにこもって、国際開発、おもに国際経済学の本を山積みにして半年間ひたすら勉強していました。まったく経済学は先攻していなかったので、完全に独学で非常に苦労したことを覚えています。

大学院では貧しい人をどう助け、生活を豊かにしていくか、幸せをどう生み出していくかということを中心に研究をしていました。授業はほぼすべて英語で、私のゼミは8割が途上国から来た留学生でした。単純に進学している留学生もいれば、開発途上国の官僚も混ざっており、彼らはどうやって自国を豊かにしていくかを日本の開発経験も参考にしながら、学習・研究している非常に優秀な人たちが多かったと感じました。そのような環境にいたこともあり、机の上でだけではなく現地の経験が必須だと感じ、1年休学してカンボジアに行きました。

-志を持ってとことん突き進んでいったのですね。
カンボジアにはどのようにして行かれたのですか?

インターンに応募し 、1年間JICA(国際協力機構:発展途上国に対するODA(政府開発援助)の中核的な実施機関)の組織の契約社員として、給料を頂きながら現地に住んで業務に携わっていました。

そこで実際に感じたことは、本当に大事なのは機会であるということです。機会が無いと努力している人もそれが報われない状況に陥ってしまう。そのためには、例えば教育が必要で、学校や教育のカリキュラムも必要になってきます。先生のトレーニングもしなければいけません。JICAでは、教育も含め、農業、インフラ、保健、協力隊、援助協調等の多岐にわたる事業を現地にて実施していました。それは、日本にいるのとは違い、非常に貴重な経験であったと感じます。

日本とは全く違う環境に飛び込んで1年間生活や仕事をした経験は、その体験があるとないとでは大きく違うと感じます。海外、特に途上国での生活や経験を持っていない人が多いですが、時間があるときにできるだけ深い経験をすると今後の人生に深みがでると思います。

-カンボジアで様々な経験をされたのですね。
それを生かして、どのような就職活動をされたのですか?

民間企業の国際的に幅広く事業を展開している企業に就職したい気持ちが強く、カンボジアでの経験や、国際協力学の研究をやっていた経験をもとに就職活動を行っていました。そこで、タイミングよくソニーに就職することができました。ソニーは売上の多くを海外で計上し国際的に事業を展開しており、今までにない新しいものを作っていこうということを考えている組織だと思います。

営業をやっていた時に感じたのが、ソニーの商品を求めるお客さんはその商品が本当に欲しくて買いに来て下います。購入された方はとてもうれしそうにしていて、もらった人はちょっと幸せになるような商品を作っています。商品を手にした方々に幸せをちょっとずつ分け与えることができる企業だと考えていますし、そんな会社は多くはないと思います。今後は、可能であれば海外赴任をしたいと考えており、開発途上国へ行きたいと希望を出しています。

-自分に合った会社を見つけて、入社されたのですね。
では、これからの目標を教えて下さい。

大きな組織に所属することや、独立やベンチャー等の小さい会社に所属することは、それぞれ得られる経験が違ったりするけれど、やっぱり自分のやれることは限られています。今の私は組織の何万人分の1人という立場で、とても小さい存在かもしれないけれど、その中で自分がどういう役割を果たすことが出来ているのか、その中でどのように生きていきたいかを考えることが非常に重要であると感じています。

今の私たちは日本にいて、おいしいもの食べることができ、様々な機会が周りに多くあります。お金もある程度はあります。一方、世界中には困っている人たちや貧しい人たち、生きることに困難を覚える人々が世界中にいます。そのような人たちの為に、私たちはどのようなことができるかを考え、生きていきたいと思っています。

-最後に、伊藤さんにとって芸術工学とはなんでしょう?

いかに幸せを作るかを考えること。芸術と工学が融合するように、私が携わってきたことは、様々なジャンルが交じっています。それによって、今までになかった新しいものを生み出すことができ、それが人に豊かさや幸せにつながっていくのだと信じています。

インタビューアー 稲垣 裕美子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
Webデザイン・ソーシャルゲームクリエイター志望

-インタビューの感想-
自分で決めた道を軸を持ってブレずに生きていらっしゃるんだなと感じ、そうできるのは決意の硬さなんだろうと思いました。何か一つに向かっていけるのはすごいです。ブレずに目指すことができる目標を見つけたいです。

稲垣 裕美子

3DCGのmayaをかじったり、ActionScript若干かじったり、Photoshopかじったり。
いろいろを、少しずつですがかじってます。

今はWebに興味があります。
何でも聞いたり言ったりしてください。
知らない人でも何でも、役に立たなくても手伝います。

Vol9. 2010年8月 土井 梢さん 芸術工学部5期生

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建築設計
笠嶋淑恵建築工房(現在は別の建築事務所で就業中)

土井 梢

5期生 生活環境デザイン学科 平成15年度卒業
鈴木賢一研究室

―卒業後初めに入社された株式会社スペースでのお仕事について教えて下さい。

店舗内装のパーススケッチや竣工写真。

スペースは主に店舗内装の企画・設計・監理・施工をしている会社で、店舗設計をしたくて選びました。仕事の内容としては、設計だけじゃなくて、積算から監理施工までを一貫して1人でやれるのが特徴です。このことは後に独立してやっていくにしても勉強になります。
私の場合、カフェなど飲食店の内装をする部署にいました。スペースでは早い段階で設計をやらせてもらい、現場に行ったり、お客さまにつくのも早かったです。

―リレー形式ではなく、全段階を自ら踏んで内装を作り上げるのがスペースでの仕事の魅力ですね。その後、建築設計事務所に転職した経緯を伺いたいです。

スペースでは初めからいろいろやらせていただいたおかげで、
2年ちょっと勤めて一通りの仕事をさせてもらえました。そこで内装だけでなく、
やっぱりハコ(建築)からやりたいなって思うようになり、スペースを辞めました。

矩計図や立面図。「働きながら覚えることも多いです。建物の構造によってはまだ描けないものもありますよ。」

次に転職した建築の設計事務所では、スペースとは仕事の内容が全然違っていたので、一から勉強という感じで、指示通りに住宅の図面を描くことから始めました。それから、経験のある所員の方と一緒に、住宅設計の計画の段階からやらせてもらったのが2年目です。
スペースでの経験があったので、インテリアと建築の両方のことが分かるのはよかったと思います。
その後この建築設計事務所を退社し、仕事から離れて一級建築士の資格を取りました。

―今日はお子さんもご一緒ですが、育児と現在のお仕事について教えていただけますか?

10カ月の子どもを育てながら、笠嶋淑恵建築工房(現在は別の建築事務所で就業中)で週4日働いています。
笠嶋先生は芸工で非常勤講師をされていて、学生時代のアルバイトからお世話になっていました。
笠嶋先生ご自身育児経験があり、育児との両立について配慮していただいています。
シュタイナーの教えや、人智学、子どもの教育の観点から建築を考えている方で、
私の子どもが通っているのも、笠嶋先生が改装した保育園です。
部屋が多角形だったり、それぞれの部屋にキッチンカウンターやロフトがあったりして、おもしろい保育園ですよ。

子どもができたことで、学生の頃より教育の観点に立った建築に興味がわきました。
笠嶋先生に「子育ての経験はあなたの設計人生において、確実にプラスになります。」といわれたことが
とても印象強く、心に響きました。
確かに女性が社会でがんばっていくのは大変だけど、子供を産むことでみえてくることってありますよね。
例えば、新婚の2人でいるときはワンルームの広い家がいいと思っていても、
子どもができることで生活の時間帯が違うから間仕切りが必要だって気付いたりとか。
そんな気付きをデザインに活かしていきたいなと。
子ども向けにしても、お母さん向けにしても、
男の人がわからないことを自分のデザインの糧にしていけるんじゃないかと思いますね。

―育児経験はデザインに活かせるのですね。
社会全体として、仕事と子育ての両立はしやすくなっているでしょうか。

「最近つかまり歩きをするようになりました。」と土井さん。お子さんとの時間も大切にしたいですよね。

大企業は産休も取りやすいみたい。でも建築業界自体は、まだ女性が子ども産んでからいい条件で働くのは難しいと思います。定時に帰るとなると、十分な仕事をもらえないのが現実です。

だから建築をやる女性は、企業でやっていくより、いつかは自分でやれるようになるといいなって思いますけど。子どもから手が離れるまでは、今後のための知識を蓄える期間だと、今は割り切っています。

ある程度したらゆったりするためにも、若いうちにがむしゃらに、やれるだけやっとくのは必要ですね。だから辞めるにしても、仕事をしている間につながりをつくっておくのが大切かな。
そういうことが、後に仕事を直接もらったり、条件に合う事務所に入れてもらうことにつながります。

―建築の仕事を目指す方って大学院に行くことが多いと思うのですが。

大手企業の中には大学院卒を求めることもありますが、事務所だと学歴よりも実力重視だと思います。
だから学部卒で就職して早いうちから仕事を覚えられるのも逆にいいんじゃないかなと。
私は学部時代、鈴木先生の研究室で病院の壁画を描いたりしていたので、
大学院で研究室に残って子どものための空間について研究したいとも思っていました。
ただ、スペースに内定をもらって、早く働きたい気持ちもあって就職を選びました。
大学院卒業後に就職すると、同期が年下でやりづらいこともあったり、
女性の院卒を使いにくいと感じる上司もいるみたいです。
もちろん、院に行けば専門的な知識も深まりますし、その専門分野を活かした仕事に就けると思います。

―土井さんはどんな学生生活を過ごしましたか?
その後その経験をどう生かされました?

ポートフォリオに載せた海外旅行のスケッチ。「イタリア、アメリカ、中国などに行きました。」

課題はちゃんとしましたし、設計事務所でのバイトもしましたけど、基本的に遊んでただけな気がします(笑)。
海外旅行とかも行きました。その経験は勉強にもなりました。例えばイタリアのフィレンツェなら、外観を揃えて街並みを大切にしています。屋根の色が揃っていて上から見た景観がきれいとか、外観を崩さないように建設中の工事の仮囲いに建物の絵が描いてあったりとか。そういう考え方がもっと日本にあってもいいんじゃないかなって思うようになりました。デザインしていく上でも、後からその時の写真を見ながら考えることもあります。

あと、世界観が変わりますよね。建築を仕事にしてる身だから、建物は建てるものっていう概念がまずあるけれども、海外に行くと建築よりも自然の方がすごいんじゃないのかな、建物を建てない方がいいんじゃないのかな、って考えたりします。

だから、日本にないものをいっぱい見とくといいですね。
あと、ポートフォリオに海外で描いたスケッチを載せたんですけど、面接で評価がよかったです。
学生のうちに遊べるだけ遊んだから、
働き出したり子どもができたりして自由がなくなっても、今は仕事をがんばろうって思えます。

-芸工にはいろいろな分野がありますけど、
それをどう活かしていけばいいですか。

「鈴木先生の活動で、子どものために病院の壁画を描いたりしました。」就職活動では、面接官の方にも興味を持ってもらったそうです。

仕事やり始めたら、一つの分野でやっていくことが多くなっていくと思うから、学生のうちからそこまで知識を深めなくても、広く浅く手を出してもいいんじゃないかなって。技術は働き出せばつくし、いやでも専門性を持つから。なんでもやってみて、いろんな分野のいろんな考え方をもっていれば、頭が柔らかくなるんじゃないかな。

芸工の同期には大学の専攻とは違う分野の職を楽しんでいる人がたくさんいますし、私も大学では建築をやっていたけど、最初の会社では内装をやりました。だって全部つながってるんだから、建築から中を考えてもいいし、インテリアから建築を考えてもいいし、大きく言えばプロダクトから建築を考えてもいい。
私が今やっている建築の仕事で言うと、教育にもつながってます。

それに、違う分野の人がいればいるほど面白い仕事ができる。
建築やってる人と家具やってる人や映像、グラフィック、
いろいろやってる人がユニット組んで仕事したりするじゃないですか、
そういうのって刺激し合って一つのものをつくっていくし。
だから、固執せずにいろんなことに興味を持つのがいいと思います。
いい意味で適当にね、何でもプラスに考えればいいと思います。
それこそ学科の域を飛び越えて、授業に参加してみてもよかったなと今は思います。

―土井さんはプラス思考が印象的です。
最後に、土井さんにとって芸術工学とは何か、教えて下さい。

いろんな場面でのいいなを足していくことかな。
アート的なものの根底に基礎みたいなものを付け加えて、説得力を付けるような。
でも私は芸術工学とは、なんて深く考えたことないですよ。
私の中で芸術工学は、ほわんとして、輪郭がなくて、「何か」って言い切れないものです。

インタビューワ 内田 晴香
12期生(平成19年度入学)都市環境デザイン学科 三上訓顯研究室
家具業界に就職予定

-インタビューの感想-
仕事と家庭のどっちも捨てがたい…と考えていましたが、
お話を伺ってそれはその時悩めばいいし、
少なくとも今あきらめる必要はないと感じました。
仕事や育児にこだわりを持ちつつ、ご自身を縛る頑固さは持たない土井さんの考え方は、
芸工の「柔軟性」というプラス面に通じると思います。

内田 晴香

関心事は商環境、観光、都市、建築、家具など。
幼いころから人の仕事の話を聞くのが好きです。
知らないこと、感じたことのないものにもっと出会いたいです。

Written by 内田 晴香

7月 30th, 2010 at 6:29 pm

Vol8. 2010年7月 島 麻絵さん 芸術工学部3期生

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島 麻絵さん
3期生視覚情報デザイン学科 平成14年度卒業
水野研究室/溝口研究室 (卒業制作:水野研/卒業論文:溝口研)
社会福祉法人わたぼうしの会 たんぽぽの家 スタッフ

—芸術工学部からどのようにして福祉業界へ就職されたのですか?

学外のアート系のワークショップで「障害のある人と働いている」
という人に出会ったのが最初のきっかけです。
その方は、授産施設(就労が難しい障害者に就労の場や技能取得を
手助けする福祉施設)で働いており、その時はちんぷんかんぷんで、
介護をイメージして大変そうとしか思いませんでした。
しかし後日、その施設の手織りの展示を見に行くと、障害のある人がつくったマフラーや、
スタッフがつくった人形など、おもしろいものがたくさんありました。
その時にこういう仕事があるんだと知り、その後、「なごやボランティア・NPOセンター」で
「たんぽぽの家」という社会福祉施設の資料を見つけました。
アートサポーターやボランティアの募集のほか、メンバー(障害のある人)と一緒に
銭湯に行こうという企画もあり、おもしろそうな施設だなぁと、4年生の冬に
見学しに行きました。自己紹介のために、課題をまとめたものと、
在学中にサークルで毎月発行していた「カヤバ一揆」というフリーペーパーを
持っていったところ、対応してくれたスタッフの方が、興味を持ってくれました。
何度かたんぽぽの家に通ううちに、「CHIRORI」という雑貨店を紹介され、
アルバイトを始めることになりました。

—福祉にそのような関わり方があるのですね。CHIRORIとは具体的にどのようなお店なのですか?

グッズを見せていただきました。ひとつひとつ表現方法が全く違い、とてもおもしろく、かわいいグッズばかりでした。

全国の福祉施設でつくられた、陶芸、手織り、木工などの手づくり雑貨や食品を扱うお店で、障害のある人が働いています。1996年に、「まほろば・楽市・楽座」という、奈良町界隈(CHRORIがあるエリア)のギャラリーや空き店舗で施設の商品を大々的に展示販売するイベントがはじまり、その流れでCHIRORIが誕生しました。当時、福祉施設の商品は、地元のバザーでの販売が主流であり、まほろば・楽市・楽座は画期的だったと聞きます。
私自身は、CHIRORIで、商品のセレクトや通信やチラシの制作などをしていました。全国にはものづくりをしている施設が
たくさんありますが、障害のある人がつくったものを面白いと思い、発信していこうという意欲のあるスタッフがいるかどうかで、商品も変わってくるといえます。
ところで、CHIRORIでは、芸工の近くにある「うえの授産所」のカップも取り扱っていました。
芸工生のときにそこのバザーに行ったことがありましたが、
障害のある人の働く場所であるということに気付きませんでした。
特にこの分野は接点がない人は全く知らないということがあるので、
もうちょっと気軽に歩み寄ることができるといいなぁと思います。
いきなり障害のある人と接するとなったら、最初は緊張感やためらいがあると思うけど、
きっかけとして“もの”というのは入りやすいですよね。

—いつたんぽぽの家のスタッフになられたのですか?また、たんぽぽの家はどのような活動をされていますか?

CHIRORIは2007年にたんぽぽの家と事業統合しました。
その際にCHIRORIのアルバイトからたんぽぽの家の正職員になりました。
たんぽぽの家でのメンバーの活動は、絵画、陶芸、手織り、カフェ、ショップ、企画部など、
多岐に渡ります。たんぽぽの家では、メンバーひとり一人に希望を聞きながら、
本人にあった働き方を提案し、プログラムを作成します。
また、たんぽぽの家は障害のある人自身の夢を実現、個性をのばすという考え方を持っており、
それはスタッフに対しても生かされているので、決められた仕事ばかりではなく
自由にアイディアを出して考えていけます。
たんぽぽの家の特徴として、作品展やセミナーなど、外に向けた活動が多いことがあげられます。
年に1回「アート化セミナー」といって、福祉施設のスタッフに向けた、
施設でのアート活動や商品化に関するセミナーをやっており、
全国から関心のある人たちが集まってきます。
また、海外からのお客さんも多く、去年は韓国のアーティストがたんぽぽの家に
1ヶ月以上滞在し、メンバーと一緒に制作しました。
本当に色々な人とのつながりが生まれやすい職場です。
7月23日から31日には、可児市文化創造センターで、
「エイブル・アート展」が開催されます。
たんぽぽの家のメンバー他全国の障害のある人の作品が展示されますので、
ぜひお越しください。

−おもしろい企画ばかりですね。現在はスタッフとしてどのようなお仕事をされていますか?

エイブルアート・カンパニーのパンフレットを見せていただきました。登録されている作家さんの作品は個性があり、魅力的でした。

CHIRORIから始まった経緯もあり、今でも、福祉施設の商品を扱う仕事をメインにやっています。CHIRORIの他、イベントや商業施設での販売の機会も多く、場所に応じた商品をセレクトしたり、企画などもします。その他、たんぽぽの家を含む3つのNPOが共同でやっているエイブルアート・カンパニー(以下、カンパニーと表記)にも関わっています。この事業の目的は、障害のある人のアートを仕事につなげることです。作品を使いたい人と障害のある作家の間に立って仕事の仲介をしています。障害のある人の作品をデジタルデータ化して、それらを企業に貸し出し、著作権使用料を得ています。
窓口がはっきりすることにより、企業はアクセスしやすく、作家に対して適切な対価が支払われるようになりました。

—例えばどのような依頼がきますか?

アパレルメーカーより、ジャマイカというテーマで
描き下ろしをしてほしいという依頼がありました。
カンパニーが間に入って作家の体調やスケジュールの調整をしました。
依頼に応えられないタイプの作家であれば断ることもありますし、
作家をバックアップしている施設に相談しながら、情報を集約してお客さんに伝えたりもします。
スタッフは現場を体験してきているので、施設や作家の状況もよくわかります。

—話は変わりますが、研究室を悩んでいる子が多くいます。どのように研究室を選べばよいかなど、アドバイスはありますか?

福祉業界でのデザインの必要性を感じるとともに、デザインはあらゆる分野にアプローチできるのだと思いました。

私は水野先生がやっている現代音楽、実験的な音楽に興味があり、先生のキャラクターが好きで水野研究室を選びました。溝口研究室も同じ理由で選びました。研究や制作の内容ももちろん大事だけど、人柄や相性で選んでもよいのではないでしょうか。
6月中旬に水野先生の矢田ギャラリーでの展示を見た時に、こんなマニアックな分野をやっている人もいて、芸工って幅広いなぁって改めて感じました。だから学生が迷うのかも。
学生時代に思ったのは、早いうちにやりたいこと、専門を見つけられた人はラッキーだなぁということ。私は見つけられなかったので、そういう人たちがうらやましかったです。

—オープントークにも参加いただきありがとうございました。現役生へのアドバイスや感想を教えてください。

学生のうちは動きやすく、出会った人がその後の人生ずっとつながることもあるので、
学外に飛び出して色々な人やものに貧欲に会いにいってほしいと思います。
違う大学の講義を聴きにいってもいいですね。オープントークへの参加は緊張しましたが、
自分の仕事を学生に知ってもらうことは大切で、すごくいい経験をさせてもらいました。
普段そんなに大学生と喋る機会もないので楽しかったです。
リアルな声を聞くことが就職活動をする上でのヒントになれば、参加者としては嬉しいです。
発表者の卒業生の中には自分も知らない人が多かったので、仕事の話を聞くのは新鮮でした。

—島さんにとってやりがいとはなんですか?

おもしろさを追求するということが生きるモットーです。
そこに貪欲で、おもしろいものを見たら誰かに伝えたくてしかたないんです。
会わないはずの人と人をものを通して結びつけられる。
福祉の世界であるけれど、おしゃれな雑貨店に負けないグッズができ、
またそれが売れると、親、本人、友人が喜ぶ。そこにやりがいを感じます。

インタビューワ 山下 咲衣子
13期生(平成20年度入学)デザイン情報学科
プロダクトデザイン志望
―インタビューの感想―
まさに大学で学んだことがそのまま生かされているのだろうなと感じました。
外に出て、自分から出会いを見つけにいくということは大切であると思いました。

山下 咲衣子

プロダクトデザイン志望で、日々なにかしら手をだしています。
いろいろな分野の方と関われたらいいなと思います。

芸工オープントークUstreamアーカイブ

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UStreamで中継したアーカイブを公開です。
学生の方から、マイクの音が抜けてしまって聞こえにくかったということをお聞きしていたので、もう一度ゆっくり聞いていただければと思います。ちょっと拾っている音が小さいですが、音声を大きくして聞いてください。

芸工オープントークの写真レポートは、こちらのページで紹介しています。

野村 亮之

2004年 名古屋市立大学芸術工学部在学中に株式会社sus4を設立・取締役に就任(現職)。2005年同大学を卒業。
デザイン視点でのウェブサービスの在り方をアプローチの基本として、さまざまなウェブサービス構築に従事。
2006年8月日本初のオンライン動画編集サービスClipCast(http://clipcast.jp/)を開始。2009年7月OTSベース動画解析サービスVideoAnalytics(http://video-analytics.jp/)を開始。
2009年8月Ext Japan LLCにてSenior Software Architectに就任。

芸工オープントーク写真レポート – 2010年6月15日開催

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卒業生と仕事について語り合う交流イベント、芸工オープントークが6月15日(火)に開催されました。芸工クロストークで紹介された卒業生をはじめ、十数名の卒業生と約130名の在校生に参加いただき、芸術工学部の卒業生と在校生をリアルにつなぐ充実したイベントとなりました。

当日のライブレポート(Ustream)はこちらからご覧いただけます。
芸工オープントークUStreamアーカイブ

第1部 オープントーク参加卒業生の紹介「わたし、こんな仕事してます。」

建築やプロダクト、WEB、福祉、農業などで活躍されている卒業生に、簡単な自己紹介をしていただきました。分野や職種もさまざまで、芸術工学部の幅の広さが感じられました。

第2部 パネルディスカッション「卒業生×卒業生のクロストーク」

在校生の関心度の高い就職活動の話を中心に、先輩方の経験談やアドバイスをうかがいました。それぞれ就職活動の方法は異なりましたが、人のつながりや積極性、人間力といったものがキーワードとして上がりました。

第3部 ブーススタイル/オープントーク「もっと聞きたい! 話したい!」

ブースに分かれて、卒業生と在校生が直接話しをしました。イメージと実際の仕事内容の違いに驚いたり、就職活動や進路の相談などをしたり、和気あいあいとした雰囲気の中で、終了時間が過ぎても歓談が続きました。

当日アンケートに記入いただいた在校生の皆さんには、卒業生のプロフィールシートを配布し(初回特典バインダー付!)、来学できなかった卒業生の仕事も一部紹介させていただきました。

在校生の進路選択や就職活動の参考にしていただくことを目的にしたイベントでしたが、卒業生にとっても、久しぶりに会う級友や先輩後輩との交流の場となり、今後ビジネスやプライベートでの親交を深めるきっかけとなりました。

芸工オープントークは今後も継続的に開催していく予定です。皆さまの声を反映させながら、よりブラッシュアップしていきたいと思いますので、ぜひご要望やご意見をお聞かせくださいますよう、お願いいたします。

そして、参加およびご協力いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

おまけ:準備編

15:00から卒業生だけのミーティングを行っていました。横山先生に、今の大学や学生の現状などを伝えてもらい、パネルディスカッションでなにを論議するべきかなど、意識の共有をしました。

今回の参加メンバーで記念撮影。ご協力ありがとうございました。

参加卒業生(敬略称、順不同)

横田 理恵子(視覚情報デザイン学科2001年度卒業)
ブランドデータバンク株式会社/ゼネラルマネージャー

青木 亮作(大学院博士前期課程2003年度修了)
メーカー(OLYMPUS、SONY)勤務を経て2010年5月独立/プロダクトデザイナー

大山 圭史(生活環境デザイン学科2001年度卒業)
株式会社ワーク・キューブおよび有限会社studio point/空間設計・デザイン

萬田 浩太郎 (生活環境デザイン学科2003年度卒業)
株式会社ワーク・キューブ/空間設計・デザイン

島 麻絵(視覚情報デザイン学科2001年度卒業)
社会福祉法人たんぽぽの家

河瀬 智文(生活環境デザイン学科2005年度卒業)
株式会社マキタ/プロダクトデザイナー

遠藤 頌太(視覚情報デザイン学科2006年度卒業、大学院博士前期課程2008年度修了)
農業ベンチャー 株式会社M-easy/企画・営業・商品開発・広報等

白川 勝悟(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
株式会社コボ/プロダクトデザイナー

久冨 伸彦(生活環境デザイン学科2006年度卒業)
チームラボ株式会社/WEBデザイナー

元山 和之(視覚情報デザイン学科2007年度卒業)
有限会社パワーソース/デザイナー、システムエンジニア

竹内 優(視覚情報デザイン学科2007年度卒業)
株式会社バッファロー/企画

犬飼 裕美(生活環境デザイン学科2007年度卒業)
ソニー株式会社/プロダクトデザイナー

参加コーディネータ

立石 直敬(視覚情報デザイン学科2006年度卒業、大学院博士前期課程2008年度修了)

鈴木 多恵(視覚情報デザイン学科2004年度卒業)

加藤 沙奈(生活環境デザイン学科2007年度卒業)

ほか有志の卒業生の皆さま

野村 亮之

2004年 名古屋市立大学芸術工学部在学中に株式会社sus4を設立・取締役に就任(現職)。2005年同大学を卒業。
デザイン視点でのウェブサービスの在り方をアプローチの基本として、さまざまなウェブサービス構築に従事。
2006年8月日本初のオンライン動画編集サービスClipCast(http://clipcast.jp/)を開始。2009年7月OTSベース動画解析サービスVideoAnalytics(http://video-analytics.jp/)を開始。
2009年8月Ext Japan LLCにてSenior Software Architectに就任。

Written by 野村 亮之

6月 17th, 2010 at 12:39 pm

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